2、狩人の矜持
「聖女様?」
ふと、聞いたことのある声に振り向くと、ローラさんがいた。
「ローラさん!」
「貴女は無事だったのですね…よかった」
彼女も所々服が汚れているようだったが、幸い大きな怪我はしていないようだった。
「…お連れの方々の、容態は?」
「治療師さんが言うには、傷は治したけど、いずれ熱が出ると…」
「そう…そうね。『治癒の祝福』では、それが限界ね」
普通の人には出来ない技が『祝福』と呼ばれているが、それにはもう一段階規模を上げたものがある。
それは、神々が特定の人間のみに与える寵愛。
『加護』、と呼ばれるものだ。
『治癒の祝福』は、大小関わらず傷を治せる。その一段階上、『治癒の加護』なら、風邪や病気、折れた腕なんかも治せるらしい。
「それで、ヒラ・ハーマレー…私の義弟は何処にいるかご存じですの?」
「ヒラさんですか?…あれ、さっきまで一緒に」
その時だった。部屋の中に叫び声が響いた。
「あ、あんた東の奴らだろ!?何が起こってんのか説明しろ!」
声の元は、部屋の端。赤い服を着た人が、近くの男の人に叫んでいた。
しかも、叫ばれていたのは、ヒラさんだった。
「…私は、知りませんよ」
「嘘だ!きっと、ハーマ集会の奴らが何か…」
「そこ!何やっているんですの!」
止めようとした私の前に、ローラさんの声が飛んだ。
途端に、彼女の存在に気付いた周りがざわめく。彼女は機関長の妻だし、それなりの影響力があるのだろう。
「ロ、ローラ様!?…わ、私はこんな事態を引き起こした東の奴を…」
「仮に東の奴らが災竜をけしかけたとして、じゃあどうして二体も現れて、災竜同士で戦っているんですの?」
「そ、それは…」
「証拠もなしに勝手に決めつけるのは、おやめなさい。それに、貴方が責めていた方は、ハーマ集会の会長ですわよ?」
「はあ、かいちょ…え!?」
途端に、周りの騒めきが激しくなる。その中には、当然ハーマ集会への悪口もあるのだろう。
止めようと思ったけど、西でも東でもない部外者の私が口出ししたところで、かえって混乱を招くだけかもしれない。
「静かに!今は西とか東とか、言ってる場合ではありませんわ!」
「…ええ、そうですね。私が率いるハーマ集会も、あなた方に協力するつもりです」
ローラさんの声に続いて、ヒラさんも声を上げた。
「あら、いつものように会員全員の多数決で決めなくていいんですの?」
「あんな回りくどい事しなくても、会員の皆さんは賛成してくれますよ」
「随分な自信ですわね…」
二人の掛け合いに、周りは呆然とする。
それでもすぐに、衝撃を受けている人、未だ混乱している人、事態を飲み込んで動き出した人に、別れ始めていた。
ヒラさんに言われたことを思い出す。
今だからこそ、聖女の私が動かないと。
立ち上がった瞬間に、再び衝撃で足元が揺れる。エルギオの闘いは、まだ続いているのだ。
私は、不安と焦燥のなんとか隠して、未だ混乱している人たちを宥め始めた。
———
爪。爪。
次々と、続々と。
ただ襲いくる爪を避けるので、僕は精一杯だった。
闘いを始めて、すぐに不利だと言う事を悟った。
彼は僕より殺し慣れてる。
闘い慣れてる。
十年前にメルリを逃した時に倒した奴よりも、ムロリメロ島で倒した奴よりも、桁違いに強い。
爪の動かし方。体のしならせ方。全てが僕とは段違いだった。
そして何より、自分がこう動けば相手はこう動く、と言った予測力が厄介だった。
下手に避ければ、避け先を読まれてさらに攻撃を加えられる。
だからって距離を取ろうとしても、フェイントを混ぜた爪と牙と尾の連携が、それを許さない。
僕と彼の差は、歴然だった。
(なのに…)
僕はまだ死んでいない。
それは恐らく、彼が手を抜いているからだ。
彼は、僕の明らかに大きな隙に、攻撃を与えてこない。その割に、小さい傷を増やさせていく。
意図が読めない。
彼が何をしたいのか、わからない。
「…お前、やっぱあんまり"こっち"になってないだろ?」
突然、対峙しているはずの彼の声が聞こえた。
驚いて、慌てて距離を取る。今のは一体どこから。
その時、対峙する彼の声で、呆れたような声が出た。
「なんだよ。『心話』も使った事ねぇのかよ。お前本当に同族?」
間違いない。彼の声は、目の前の竜から聞こえている。
竜の状態でも、話せる方法があったのか。
知らなかったが無理もない。僕はつい十年前まで、封印されていたのだから。
「えっとな、喉ん所に力を込めて、言いたい事を思うんだ」
目の前の竜が、自分の首元を爪で指し示した。
…余計、分からない。
「お前は…一体何が目的なんだ?」
大人しく言われた通りにしてみると、人とは構造から違うはずの喉から自分の声が流れる。
竜の力は、こんな事も出来るのか。
僕は本当に、この力について何も知らない。
「お前は僕を殺せるはずだ。なのにそれをせず、逆にこの力の一端を教えてくれる。お前は、何がしたいんだ?」
こちらは敵意をむき出しにして、精一杯にやっているのに、彼はいかんせん手を抜いている。
「当たり前だろ?だってこれは、狩りなんだから。俺、狩人だし」
「……は?狩り?狩人?」
疑問符を出したが、実際はそうかもしれない。こんな実力の差では、自分が獲物であいつが狩人だと言われても、おかしくない。
だとしても、分からない。
彼は僕との明らかな差を、獲物と狩人の差を、自ら埋めようとしているようだから。
「解せない。それがさっきの疑問の答えになるのか?」
「そうだ。狩りにおいて、獲物と狩人は同等だからな」
突然、彼の声色が変わった。
音程が低くなり、彼にとっては真面目な話である事を示す。
こっちにとっては、不気味でしかないが。
「二つの間に差があると、狩りが楽しくなくなる」
特に狩人が強すぎると面白くない、と彼は注釈をつける。
「じゃあなんだ…お前が楽しむ為に、僕との差を埋めようとしているのか」
それは彼の、狩人としての矜持なのか。
彼は自分が楽しむ為、わざわざ僕に有利な事を教えたり、自分の力を出し切っていないのだ。
悔しかったが、踏みとどまる。
今の僕の目的は、メルリ達を守ることだ。敵が手を抜いてくれるなら、それにあやかったほうが良い。
本気を出されて殺されてしまうより、よっぽどマシだ。
「ほら来いよ、一撃だけ入れさせてやるぞ」
彼が両腕を広げて、首元の柔らかい肉を僕に晒す。
舐められているのがヒシヒシと感じるが、今はそれで良い。
彼との圧倒的な差を埋めるには。油断している彼の意表をつくには。
僕は思い切り彼に飛びかかり、その両肩を掴んだ。
そしてそのまま、僕は翼を広げて飛び上がった。
「!?」
彼の体重が両腕にかかって、引きちぎれんばかりに重くなる。
それでも、歯を食いしばって、必死に翼を動かして、上昇を続ける。
「へえー考えたな。でも」
彼の爪がグルンと周り、僕の両腕を抉った。
「がぁっ…!」
刺すような痛みが流れて、悲鳴を上げる。耐えきれず、両腕を離してしまう。
それでも、ハーマレー島の上空あたりまでは運べたようだ。
「お前の目的なんて、お見通しだよ。俺を島に近付かせたくないんだろ?」
「っ…」
空中で彼と向かい合う。
彼の推測は図星だ。
ハーマレー島から、彼を引き離して仕舞えば、こちらも本気で闘える。
人里が近くにあると、上手く立ち回れない。それはさっきの地上での闘いで、嫌と言うほど理解した。
「まあいいや。お前もここなら本気で出来んだろ?なら、それに乗ってやるよ」
この状況において、彼はまだ僕との同等を望む。それが、胸の底を恐ろしさで冷やす。
「…本当に、意味が分からない。狂ってる…」
「そりゃそうだ。俺らは、バケモノなんだからな」
つぶやいた僕の言葉にあっけらかんと返して、彼は当然突っ込んできた。
(落ち着け…よく見るんだ…!)
襲いくる爪を避けながら、彼の動きを凝視する。
どの動きの前、どこ動きの後に彼に隙が生まれるのか。
どれほどの長さの隙か。
その隙の間に、どれほどの攻撃を叩き込めるのか。
「おっ、避けんのが上手くなってきたな。その調子だ」
(見極めろ…見極めろ…)
彼の声を無視する。彼は本気でこの闘いを楽しんでいるようだった。
「それじゃ、これは避けれるかなっ!」
彼が大きく爪を振るう。
それを縦に避けて、気付いた。
彼は爪が大きいから、それを使った攻撃も、動きが大きくなる。当然、大きな動きの後には、同じくらい大きな隙も伴う。
絶好の機会だ。
「一度避けれたからと、油断すんなよ!」
再び、彼が爪を大きく振るう。今度は横に避けた。
そして、予想通り生まれた隙を見逃さない。
「ふっ…!」
小さな声に力を込めて、僕は思い切り鱗のない脇腹に、自分の爪を突っ込んだ。
「ぐぅ…!」
痛みに悶える声が、彼の喉から漏れる。
突っ込んだ爪は、すぐに引き剥がされ、再び空中で睨み合う。
それでも、彼の脇腹から、ポタポタと血の雫が溢れていた。
「こんなに早く隙を見抜くとはね…お前、闘いの才能あるんじゃねぇの…」
苦しそうな声で、彼が言う。
一撃入れられた。
この調子でいけば、いつかは必ず、
「でも、感謝するぜ。予想通り、傷つけてくれて」
「え……」
彼の声で、気付いた。
彼から溢れた血の雫が、大小様々な球を作って、宙に浮いていたのだ。
ありえない光景に、思考が止まる。
「俺の竜名はな、ブラッド・ハンターっつうんだ。血の狩人、だな。…竜名は知ってるよな?」
竜名。
それは、竜の力を受け継ぐ時に、受け継いだ人の性格や、受け継いだ力の特性から付けられる、文字通り竜の名だ。
血の狩人という名は、確かに彼には合っているように思えた。
頷くと、彼は心底ホッとしたように続けた。
本当になんなんだ、コイツは。
「血のって名前の通り、俺の力は血なんだよ。自分の血を、操れる」
目を見開く。
竜には、そんな力も備わっているのか。つくづく、何も知らない自分が悔しい。
それでは、血の球はその力を使ったのか。
血の球が、炎を纏い火球となる。
彼が、浮かんでいたそれらを僕へと放った。
目の前の現象への衝撃から、一瞬で対処の方法を考える思考へ、切り替える。
しかし、その必要はなく、火球は全て僕の横をすり抜けていった。
一体何を…
「…っ!しまった!」
ギルギの狙いに気付いても、もう遅い。
彼が火球を飛ばした先は、目下。
大小様々な火球が、ハーマレー島へと降り注いだ。




