11、傷跡
永遠に続くと思った悪夢は唐突に終わり、私は目を覚ました。
かけられた布を押して、起き上がる。
ここは、司祭殿の一室だろうか。
(わたしは、どうなって…)
ハッと、意識を失う前のことを思い出す。
エルギオが、竜の司祭マルティナさんの神降ろしに従って、竜を飲んだ。その直後、突然彼は苦しみ出し、竜の姿に変わったのだ。
エルギオに向かって必死に呼びかけたが、彼は苦痛に瞳を歪めたままわたしを見て。
『邪魔だよ、キミ』
そう言って、腕を振って私を吹き飛ばした。
そして、そのせいで私は。
片腕、を……。
(……っ!)
サッと視線を下す。
吹き飛んだはずの片腕は、何事もなかったかのように私の肩から伸びていた。
ではあれは、あの痛みは嘘だったのか。到底そうは思えないが。
「メっ、メルリ!起きたのか!?」
振り向くと、カイが水と布を持っていた。
「カイ、私は…」
「ちょ、ちょっと待ってろ!みんなを呼んでくる!」
そう言うと、彼は寝起きでぼんやりしている私に気付かないで、走って行った。
少しして。
みんなを連れて彼は戻って来た。みんなとは、ダックさんとペミー。カンナ二人とカザリスさん、そしてマルティナさんだ。
そこに、いるべき人が一人いない。
「エルギオ、は…」
言いかけて、あの悪夢がフラッシュバックして思わず口をつぐむ。
そして、その続きの代わりに、震える口で聞いた。
「…私、どうなって…腕、は…」
「落ち着け、メルリ。一つ一つ説明する。腕は私が治した」
困惑する私に、ダックさんが答えた。彼が治した、と言うのはつまり。
彼の顔を見る。彼は何も言わずに頷いて、私の予想を肯定した。
彼の『譲命の奇跡』のお陰だろう。彼の生命力を代わりに、私は腕を取り戻したのだ。
「そっ、か…ありがとう、ダックさん」
そしてそれは、あの痛みが嘘でも勘違いでも何でもない事を表している。
「……その、エルギオ、は…」
サッと、空気に緊張が滲む。
ダックさんがカイに視線を送る。あらかじめ言おうと決めていたのだろうか、カイは一息ついて答えた。
「あ……あの後エルギオは、何故かすぐ眠っちまって…それから、昨日からまだ起きてない」
「昨日から?」
「あ、ああ、そうだったな。……メルリは、気を失った後、一日中眠っていたんだ」
私が気を失ったのが、今から大体一日前なのだという。そんな気はないのだが、起きたばかりの体が空腹を感じて、実感する。
腕の痛みはもうない。けれど、胸の奥であの痛みがまだ燻り続けている。
何も言えず黙ってしまった私に、カイたちも気まずそうにしていた。
「……あの」
そこでふと、マルティナさんが震える口を開いた。
自然と、視線が集まる。
ラケルさんが起きているから、今はもう昼を過ぎているはずだ。けれど彼女の体調は悪くなさそうだから、今日は神降ろしをしてないのか。
そこまで思った時、突然彼女は頭を下げた。
「あの…っすみません!」
「……え?」
予想外の謝罪に、きょとんとする。彼女は肩を震わせながら、必死に続ける。
「私が…私の神降ろしのせいで、あなた達を傷付けてしまいました。私の、私のせいで…本当に、すみません……」
後半は、肩と一緒に声も震え出した。
ぽたぽたと、座った彼女の膝に雫が落ちる。
「消えぬ…決して消せない傷です。それを、私のせいで作ってしまった……許される事ではありません。け、けれど…」
抑えてたものがはち切れるように、彼女の瞳から次々と雫が流れる。それを私は、呆然と見つめている。
彼女のせいだなんて、そんなこと。
「けれど、信じてください。あなた方を傷つけるつもりは……本当に、本当に無かったんです……っ!」
続いた彼女の言葉で、何も言えなくなる。
胸を抉られる様な彼女の慟哭は、嗚咽に飲まれて言葉にならなくなっていく。
カザリスさんが、彼女に手を回してしっかりと抱きしめた。
「傷つけるつもりは……ほんとう、に……」
小さく頷く。それぐらいしか出来ない。
ここであなたのせいじゃないと言っても、彼女はきっと安らがない。
カザリスさんの腕の中で、彼女が声を殺して泣きじゃくる。
それを私は、泣きたい様な気持ちで眺めていた。
そして不意に。
「……エルギオの、所に」
行きたい。
そんな気持ちが、湧き上がって来た。
何故だかは分からない。
けれど無性に、彼の顔を見て、今の気持ちを伝えたいと思った。
———
自分でも分からない衝動に、周りのみんなは驚いたが、止めはしなかった。
曰く、あれから彼は本当に眠り続けているのだという。近くに人がいても目覚める素振りすら見せないのだと。
「…ほんとだ」
エルギオは、最後に見たのと変わらず祭壇跡にいた。
子供の様に小さく丸まって、死んだ様に眠っている。その目を固く閉じられていて、近づいても動かない。
視線が下に向く。
彼の鋭く太い爪が目に入る。
「…っ!」
途端、片腕を飛ばしたあの痛みが、消えぬ心の傷が身体中を襲った。
あの悪夢が勝手に作った想像が、その存在を主張するかの様に頭の中で繰り返される。
あんなに痛いのは、もう嫌だ。
怖い。
あの爪を見るのが怖い。
彼の牙を見るのが怖い。
彼に、近付くのが怖い。
「…くっ、ううう…!」
自分の体を必死に抱える。
逃げようとする、生きようとする体に、理性で必死に抗う。
あんなに痛いのは、あんなに苦しいのは、もう嫌だ。
『邪魔だよ、キミ』
あんなふうに拒絶されるのは、もう嫌だ。
震える体に鞭打って、一歩一歩彼へ歩み寄りだす。
一歩近付く度に、本能が警鐘を鳴らす。
アレは、この体を一度傷付けたのだ。
だから今すぐここから逃げろ、と。
「エル、ギオ……」
また傷付けられるかもしれないぞ。
もしかしたら、今度は命を奪われるかも。
だから今すぐ逃げろ、彼から。
目の前の、怪物から。
本能の叫びは大きくなる。
背筋に悪寒が走り、足が重くなっていく。
「いや、だ…」
それに、必死で抗う。
痛いのも苦しいのも、もう嫌で。
拒絶されるのも、もう嫌だけど。
けれど、それ以上に。
彼という存在から逃げることの方が。
「いや、だ……っ!」
怒りの様な悲しみの様な感情と共に、片手が彼の体に触れる。
手触りは、この島に来るまでに彼に乗った時と、何ら変わらぬまま。伝わる暖かさは、その中に命がある事を示している。
「……っ」
言いたいことが、彼に話したいことがあって来たのに、その全部が吹き飛んだようだ。
言葉が出ない。
怖いという感情はまだある。けれども新たに、別の感情が湧き上がってくる。
「……ぁ…」
涙が、頬を伝って地面を落ちた。
その場に座り込んで、流れ続ける涙に身を委ねる。抗う気力などない。
そこでようやく、新しい感情の正体を掴む。
彼は、エルギオは災竜なのだ。人間である自分とは、感情や心は似ていても体だけは確実に違う物なのだ。
なのに、私が今まで傷付かずにいれたのは。
ひとえに、彼が、みんなが守ってくれていたからだった。
「…っ」
災竜と関わる旅。
いつ死ぬとも分からない、危険な旅。
なのに、いつからか守られている事に甘えて、危険だという事を忘れていた。腕が無くなる事ぐらい、最初は覚悟していた筈なのに。
そして、私はエルギオに、その苦痛と傷を押し付けていたのだ。
いつも戦うのは、傷を負うのは彼だった。災竜という理由だけで、彼は傷付いていた。
なのに私は、彼がいるから大丈夫だと、無責任に思っていた。自分の安全だけを考えていた。
「…っ、うう……」
そのくせ、聖女の役目にぬけぬけと肩の重みを感じていたのだ。彼の痛みも、背負おうとしなかったのだ。
「エルギオ……」
痛い役目を、苦しい役目を、背負わせて来てしまった。
彼に傷付けられて初めて、その事に気付いた。溢れ出した感情は、そういう悔しさとやるせなさ。
「もう、あなただけに背負わせたりしないから…」
止まらない涙。震える肩で彼に寄りかかる。
命の暖かさが伝わってくる。
眠ったままでも、エルギオがわたしを慰めてくれている気がした。エルギオは、人並みに弱くて、でも優しいから。
「…私は、聖女、だから……」
呟いた言葉が呪いのようだと、ぼんやり思った。
ひどい疲れに襲われて立ち上がる。
もう部屋に戻ろう。みんなも心配している頃だ。
彼の巨体が、ほんの少しだけ動いたが、私はそれに気付かなかった。




