10、異変
目を覚ますと、そこは何もない空間だった。
「ここは…?」
口に出して、自分がここにいることを実感する。
確か直前まで自分は、地面に足をつけていたはずだが、ここには地面すらない。
(あの瓶の中の光を飲んで、それで…?)
それで気づいたら、ここに居た。
と、どこかから光球が二つ、漂いながら近づいて来た。
「これは…」
「今、君が飲み込んだ残り物たちだよ、エルギオ」
(っ!?)
気づくと、後ろに二つの気配が現れていた。直前まで何もなかった空間に、誰かがいる。
ぼんやりとしていてその姿はよく見えないが、確かにそこに誰かが居るのが、感覚でわかる。
しかも二人。
「そんなに警戒しなくても良い。私たちは…なんと言えば良いか」
「二柱の神さま、で良いでしょ?それ以外のことを彼は知らないんだから、今はそれで十分」
最初に、低く冷静さを思わせる声。
次に、高めで緊張感のない声。
姿の見えない二人が、順々に喋った。
「二柱の…あなた、達が?」
姿が見えないので、性別すら分からないが、声からしてどちらも男か。いやそもそも、神というものに性別なんてであるのか。
いやいや、今はそんなことじゃなくて。
「…私たちは、君が竜を飲むのを、手伝いに来た…と言えば良いかな。普段は私たちは、君たちの行動に干渉は出来ないのだけどね」
「今だけは、例外なんだよね。逆に、今しかタイミングが無いんだ。だから早速…ほら、みんな来て!」
声と共に、二つの不可視の気配の向こうから今度は三つの光球が現れた。
その光たちに、なぜか見覚えがある。
「聞いたろう、私たちが彼らを預かっていたと。右から、レイナ、アドルオ、エリクだ」
「その二つの残り物…エルメダとアルガイアと一緒に、この三つも飲んでもらいたいんだ」
「…はぁ。えっと…その前に、幾つか聞いて良いですか?」
折角の神さまと話せる機会だ。聞きたい事は、知りたい事は聞いておきたい。
…あまり神さまと話している、という感覚がない。
「まず…ここは一体」
「ここは、君の精神空間…心の中、と表現するのが正しいか」
心の中。マルティナさんが、そんな事を言っていたような気がする。
「えと、じゃあ次は…どうして、この二人はカザリスさんに回収させたんですか?」
二柱の方にいる三人のように、神さまならこの二人の残り物も、回収出来るのでは無いか。
「えっとね…聖痕が残っていたかどうかの違いかな。こっちの三人は、すぐに聖痕が君たちに宿っちゃったから」
だから、自分たちで回収出来た。一方、こっちの二人は聖痕も残っていたので、カザリスさんでも回収出来た。
だから彼に行かせたのだと、緩い方の神さまは言った。
「じゃあギルギは、なんでもう僕の中に…?」
「…それは多分、『王の本領』を使って殺したからだろう。元々君の力は、その為のものなのだから」
「僕の、力が…?」
真面目な声の方が、頷いた気がした。
曰く、『王の本領』とは、竜を殺し、その竜を飲む為の力なのだという。
確かに、ギルギを殺した時は力が発動していたと思う。殺された彼自身が、王の…と呟いていたし。
そして思えば、確かに彼以外を『王の本領』で倒していない。レイナとアドルオさんには能力を使っていないし、エリクにはカイが止めをさしている。
「そんな訳で、ギルギはすでに君の中にいる。頭の中で、彼が話しているような感覚になった事はある?取り込んですぐは、そういう事があるんだ」
頭の中で、ギルギが。
確かに、そんな事もあった、ような、気がする。
「わかりました。…まだ、飲み込めてない事もあるけど、とりあえず分かりました」
正直、一番聞きたいことがまだ残っている。
それは、いつから、自分たちを見ていたのか、とか。なぜ、『王の本領』を強くさせねばならないのか、とか。
けれどそれは、聞いても答えてくれると思えなかったので、聞かないでおく。
「…よし、それじゃあ、始めるぞ」
二つの気配が、同時に動いた。そして同時に、合計五つの光が、ふわりとこちらに向かって動き出した。
「あ、あの、僕は具体的にどうしたら…!」
「そのまま!そのままその光を…彼らを、受け入れるんだよー」
「う、受け入れるって…!?」
五つの光が自分の体に入ってくる。僕は思わず、目を閉じた。
見覚えのない記憶が、感情が、流れ込んできた。
———
それは、絶望だった。
多くの人が、喪失に泣いていた。
多くの人が、略奪に叫んでいた。
多くの人が、奪われていた。
無作為に、無意味に。
人々を奪うのは、災いそのもの。
世界を覆う、災害の竜たち。
神との約束を破り、理性を失って暴走する怪物たち。
ドラメル族と、呼ばれるものたち。
そんなドラメル族達にもにも、生活があった。感情があった。人生があった。
そして彼らは何よりも、一部を除いて善良だった。
善良であろうと、していた。
尋常ならざる、強大な力を得てもなお。
だから、その力が牙を向いた『大災害』の後、残った彼らは。
九割は理性すら戻らずお互いに殺し合い、そして残った一割は。
善良なはずだった彼らは、一体どうしたのか。
ある者は引きこもった。
ある者は泣き叫んだ。
ある者は自ら命を絶った。
ある者は狂い、理性のあるなしに関わらず同族を殺し回った。
けれど彼らは、忘れられなかった。
理性が戻った直後に見た、地獄のような光景を。
彼らは、逃げられなかった。
自分達が、その爪や牙で多くの命を無意味に奪ったという、雪ぐことの出来ない罪から。
彼らは泣いていた。
泣き喚いていた。
苦しんでいた。
吐いていた。
狂っていった。
その根底にあったその感情が、流れるように体に満ち、溢れそうになる。
それは、絶望だった。
絶望で世界を覆った彼らもまた、絶望していた。
———
絶望が、身体中を駆け巡る。
心に穴をあけられて、その奥をほじくられているような感覚。
痛みはないのに、どこまでも苦しい。思わず僕は、叫んでいた。
「なっ…!?」
「ちょっと、どうしたの!」
二柱の困惑した声が、耳に入る。けれど言葉として処理されない。
今はただ、苦しい。
くるしい。
クルシイ。
「な、なんで!?五人分の残り物…記憶なら、ぎりぎり大丈夫なはずでしょ!?」
「ああそうだ、そのはずだ!一つの魂に一度に入れられる記憶は、六つまでだから…なのに!」
元々の、エルギオ自身の記憶。
それと、エルメダ、レイナ、アドルオ、アルガイア、エリクの記憶。
ギルギの記憶を除いた、合計六つ。
「そこまでなら、彼の精神も持つはずなのに…!」
「…まさか。いや、でも…っ!?」
何を言っているのか、分からない。
苦しい、悲しい、辛い、耐えられない。
とてもじゃないが、耐えられない。
頭を、体を満たすのは、合計五つの後悔と絶望の記憶。
——竜達の、記憶。
「まずい!自己認識が、変わってしまう!」
大量の記憶が流れる。幾つかの数百年分の竜の記憶が、十数年ぽっちの人の記憶を押しつぶす。
…自分が人なのか、竜なのか分からなくなる。
———。
————————。
…………………………………。
でも、こんなにその時の記憶があるのだから。
自分は、たぶん、竜、なのだろう。
「ダメだ!戻れなくなる!」
「っ!…聖女ちゃん達、逃げて!」
だから。
自分ももう、竜の姿に、戻らなければ。
「無理だ!我らは、向こうに直接声掛ける事は出来ない!」
「でも…!じゃあ、どうしたら…」
だれかが、話している。
難しい事を、話している。
そして、どこか遠くで、別のだれかの声が、きこえた。
自分の名前を、よんでいる。
とても必死に。
ああ、苦しい、辛い、こわい。
誰か、助けて。
この、大きな大きな体の、竜の自分を、たすけて。
『……エ、ギ……!』
誰かが、女の子が、自分の名を叫んでいるのが、ぼんやり見える。
君は、きみは、この苦しみを、取り除いてくれるのか。
いいや、ごめん、きっと無理だ。
小さい人間には、何も出来ないから。
『………ギっ………!』
何も出来ないくせに、女の子は、自分の手にしがみついて来た。
だから良いって、この苦しみは、僕一人で何とかするから。
だから、そんなに泣くなよ。
ああ、苦しい、辛い、悲しい。
それでも、女の子は、僕の手から離れない。
……いい加減にしてくれ。
『邪魔だよ、キミ』
ガッ。
「———あっ」
「っ……!」
収まらない苦しさに、僕は腕を振り上げる。
女の子が吹きとぶ。
小さなその片腕が、体から離れて空に飛んだ。
血の匂いが、鼻に纏わりついた。
『……血』
血を飲めば、少しは、楽になるかも。
命を食らえば、少しは、苦しくなくなるかも。
だって僕は、竜なのだから。
「これ以上は……仕方ない!我らで彼の意識を落とすぞ!」
「……っ!ごめんね、エルギオ!」
そんな、誰かの声と同時に、突然眠気に、襲われる。
苦しくて怖くて、だから抗えずに、落ちていく。
最後に聞こえた声が、何故か、頭の中に反響し続けていた。
……ごめんね、エルギオ—————。




