4、竜を祀る者たち 1
その日の深夜。
木と石でできた廊下で、見事に立ち尽くす。
その理由は簡単。厠の場所が、分からない。
仕方ないので、誰かいないか探す。サフィラさんかエノシュさんを見つければ、場所を教えてくれるだろう。
けれど見つけられるはずもなく。自分が何処にいるのかも、分からなくなった。
迷った。
どうしよう。
とりあえず、目に付いた部屋に入ってみるか?
と、廊下の突き当たりに、両開きの扉が見えた。
…流石にそこには入れない。絶対重要な部屋だ。
仕方ないので、その一つ手前の扉を開ける。
暗い、狭い空間に人影一つ。
一瞬驚くが、人がいた事に安心する。
よし、厠の場所聞こう。なるべく驚かせないように、小さく声をかける。
暗闇の中の人影を振り返る。
(——ぁ)
その少女の、深い碧の瞳に、吸われる。
静寂のはずの周囲から音が消え去り、自分の息も止まる。
それほどに、見入ってしまう。
そして少女が、サフィラさんではない事に気づく。
それが誰かを察するのと同時に、その夜の記憶は断ち切れた。
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ドロガミル島、二日目。
ぼんやりとした眠りから、目を覚ます。昨夜何かあったようだが、よく覚えていない。恐らく夢か何かだろう。
(新しい島に来たから、緊張かなんかで変な夢見たんだろうな…)
そう思いながら起き上がる。
続けてみんなも起きてくる。寝起きの回らない頭で、とりあえず情報を整理した。
「この島は、二柱の神さまとやらを祀っている島だ。そして、竜を祀る島だというのだから、神さまとやらは竜なのだろう」
まず、ダックさんがそう推測を口にした。昨夜、横になりながら考えていたらしい。
「んで、この島の竜の司祭…神さまを神降ろしできる人が、俺たちを島に招いた、と。昔から島にいた、カザリスさんを使って」
カイが続く。その後を追うように、エルギオが続いた。
「島にはカンナ…『加護』を使って遠くを見せられるサフィラさんと、『空の壁』を作れるラケルさん。それに、島主的立ち位置の司祭長、エノシュさんがいて…」
付け加えるなら、サフィラさんは見せられはするものの、自分は映した景色を見れないし、何も聞こえない。ラケルさんは半日動けないという、欠点がある。
「あと、カンナ見習いのディナちゃんとルベン君もいるけど…とにかく竜の司祭は、私たちにその役目を伝える為に、私たちをこの島に呼んだ」
昨日のエノシュさんの言葉を思い出す。
口振りからして、司祭も私たちの役目は知らないのだろう。
私たちをこの島に呼んだのは、神降ろしで神さまからそれを聞き、直接私たちにそれを伝える為だ。
「…ペェム」
情報を整理した所で、サフィラさんが部屋に訪れた。
正午に神降ろしを行うので、それまではなるべく自由に過ごしてほしいとの事だ。その為に、この施設…司祭殿を案内してくれるという。
断る理由もないので、頷いて立ち上がる。気付けば眠気は、頭の中から消えていた。
「…ここから先は普段全く使わず、掃除もできていないんですよね…」
廊下の曲がった先を指さして、サフィラさんが恥ずかしそうに言う。
確かに、廊下の角の先は、かなり荒れている。司祭殿はかなり広いが、使っている場所はほんの一部なのだという。
(昔は、たくさんカンナが居たんだっけ…)
カザリスさんがそんなことを言っていた気がする。空き区画が多いのは、その時の名残りだろう。
私たちは、自分達が寝泊まりする場所、カンナ二人と、司祭長の私室。そして、水回りの施設を案内された。
最後に、長い廊下へ案内される。
「この廊下の突き当たり…あの両開きの扉が、司祭様が神降ろしをする場所、神殿へと続く扉です」
頭の後ろに、ずきりとかすかな痛みが走る。
なんだろう。ここ、見たことがあるような。
そう例えば、昨日見た夢か何かで。
「そしてその手前にある部屋が、竜の司祭の私室です。司祭様はまだ寝ておられるので、用があっても入らないで下さいね」
違和感は本当に小さく、サフィラさんの説明と共に流れていった。
「…と、司祭殿の中はこんな感じですね。何か分からないことなどは、ありましたか?」
「…あ、ああ、いえ、特に。分かりやすくて、助かりました」
「いえいえ。それで、聖女様方。正午まで自由ですが、何かやる事などは?」
「私は、特に無いんだけど…」
皆んなの方を振り向く。
情報を整理している時に聞いていたが、どうやら皆んなはそうでは無いらしい。
エルギオは、修行殿にまた行くつもりらしい。ダックさんは、エノシュさんに用があるとか。
ペミーも何かあるようで、フリーなのは私とカイだけらしい。
「そうですか…では、メルリ様とカイルス様は、ここに居てくださいませんか?私から、少し話たい事があるので」
サフィラさんがそう言う。断る理由もないので、頷く。
こうして、私たちは正午に再びここに集まることを条件に、解散した。
「…それで、話したい事ってなんですか?」
皆んなが去り、その足音が遠くなってから、サフィラさんに問う。彼女は少し迷っていたが、意を決したのか深呼吸をした。
「…えっと、その…竜の司祭は、神降ろしという重い役目を背負っています」
話の先が見えない。カイと顔を見合わせ、彼女の言葉の続きを聞く。
「…そして、その役目は聖女によって終わらせられる、と言われています」
それはつまり。つまりは竜の司祭は私に会い、神さまの言葉を伝える事で、その役目を終えるのか。
「…だから。だから、その…」
サフィラさんが、自身の胸をぎゅっと掴む。今までとは、重さの違う雰囲気に、私とカイは知らず身構える。
「…だから、お願いします。聖女さま」
唐突に、サフィラさんが私に頭を下げた。
「聖女さまが…貴方だけが、彼女をその役目から解放する事ができるのです」
その声は、これまでの彼女のそれとは、明らかに違っていた。声は震え、抑えられぬ感情が漏れ出していた。
彼女の手は強く拳を握り、震えている。強く噛んだ唇も、どうしようもなく震えている。
———
ああ、私は酷いことを言っている。聖女さまの事情を、何も考えていない。
けれど、頼むと決めたのだ。
昔から、彼女の運命を知った時から。
咳き込みそうになるのを必死に抑えて、懇願を続ける。
「どうか.彼女を——あのこを、あのこを縛る何もかもから、解放してあげてください」
自己嫌悪が、胸に広がり出す。
こんなことを言ったって、聖女さまからしたら意味がわからないだろう。
けれど、言葉は止められない。
「あのこをもう、どこにでもいる、普通の子に戻してあげてください……どうか、おねがいします」
止められず、涙が溢れ出した。
だって、仕方のないことなのだ。
竜の司祭は、彼女は。
ありふれた生を受けて、ありふれた日常の中で、ありふれた幸せを見つける事の出来る。
そんな普通の、女の子なのだから。
「……っ」
下げた頭に、手が添えられる。同時に、聖女さまの、なぜか惹かれる声が響いた。
「…事情はよく分からないけど……うん、分かった。なるべく頑張ってみます」
大人の、対応。
よく分からないけれど、頼まれたから請け負った、というだけの返答。
今だけは自分が、ただ感情を撒き散らすだけの、赤子だと思えて、恥ずかしい。
けれど、たとえ心の底からの返事出なくても、そう答えてくれた事が嬉しくて。
私の十六年は、今この瞬間にその半分が報われたのだと思った。




