夢
その家は昔、三世代が住んでいた木造三階建ての家だ。
祖父母、息子夫婦と孫が住むには狭いという基準は今のもので、当時はそれが普通だったのかもしれない。
年月が経ち、息子夫婦は郊外に戸建てを購入して引っ越した。当然、孫もそちらに移る。
老夫婦だけが暮らす家となり数年が経った。
祖父、祖母の順で他界した。怪しむことはまったくないものである。
空き家になった家。
それから数年後、孫は成人し社会人になっていた。
実家から職場へと通うのは遠いということで、空き家になっていた木造三階建ての家に住むことにした。
築年数でいえば、祖父母が結婚した頃のものだから軽く五〇年は経過していただろう。家の中はやや傾きがあるものの、暮らすには不自由なかったという。
この孫が、Wさんだ。男性である。
Wさんは子供の頃、この家に住んでいたので慣れたものだった。三階は四畳半の和室がふたつある。彼はそこへ趣味の小説や漫画を運び込んで書斎のようにした。そして二階の和室二部屋は衣裳部屋と寝室にした。一階には台所、トイレ、風呂、和室二部屋はダイニングとリビング、そして玄関だ。
三世代で住めないことはないが、ギリギリだったんだなと思ったそうだ。
彼はそこで快適な一人暮らしを始めた。
これだけでなら、私がここに書くようなお話にはならない。
異変は、引っ越してから一か月ほど経った日から始まる。
同じ夢を見るのだ。
Wさんは何かに脅えて三階に逃げる。下からは恐ろしいものが彼を追いかけて、階段を一階から二階へとあがってきていた。ここでの彼は、追ってきているものを見ていないが、おそろしいものだということはわかっているのだ。
Wさんは二階の窓から外に飛び出せば良かったと、三階にあがったところで後悔する。いまさら下には降りられない。
あれがもう二階を歩いている音が聞こえる。
みし、みし、みし、みし……
ぎい、ぎい、ぎい、ぎい……
和室の畳を踏み歩く音が、階段へと続く廊下を軋ませ歩く音が、三階の彼まで届いてくる。
Wさんは三階の奥まで逃げる。するとそこにはなぜか女の子がいて、脅えている。彼女は「早く出してあげて」と泣きながら彼にすがりついてくる。
彼は不思議とその子を家族と認識している。
Wさんは女の子を本棚の後ろへと隠し、自分は分厚い本を手に階段へと向かう。
女の子を守ろうと、ありったけの勇気をふりしぼった。
二階を見降ろした時、それが階段を上がってきているのが見えた。
だん、だん、だん……。
白い死装束を着た女。
白髪は長くぼさぼさで、うつむいていて顔が見えない。
右手には、大きな包丁を握っている。左腕は欠損していた。
彼の身体は硬直し、動くことができなくなっている。
だん、だん、だん……。
女が、そこで顔をあげた。
そして……
だだだだだだ!
階段を一気に駆け上がってきた。
女は、大きな出刃包丁を振り上げる。
Wさんは至近距離で女の顔を見た。
赤い目にお歯黒をぬった怒り狂う形相。
「うわああああああああ!」
悲鳴をあげたWさんは目覚める。
眠りから醒めたのだ。
一回目は、よかった夢だった、と思った。
二回目、三回目、四回目。
彼は寝不足に悩み、仕事でもミスをしてしまったという。
土曜日、実家に帰って両親にこの夢を話した。
「実家、なんかやばいもの置いてるの?」
「ええ? そんなものないだろ」
「あんた、疲れてんじゃないの?」
父も母もそう言うばかりでまともに取り合ってくれない。ただ、彼の両親にしてみれば、あそこに住んでいたので、なぜ突然、そんな怪奇現象まがいのことをWさんが言うのかという感想だろう。
Wさんは困り、土曜日は実家に泊まった。
家に帰るのが恐いからだ。
その日の夜、夢でまた三階建ての家の中にいた。
女の子が、Wさんの手を引き三階へとあがろうと言う。
Wさんは、またあれが出るのかと恐れながら後ろを見るが、そこにはなにも気配がない。玄関の風景だが、外に通じるドアは壁になっていた。
女の子に連れられて、Wさんは三階へあがる。
すると、女の子が本棚を指差す。
あの夢で、Wさんが女の子を隠そうとする場所に近い。
「この後ろ」
女の子の声で、Wさんは本棚を動かした。すると、足元にスライド式の扉がある。小さなもので、小物を入れる収納があるのだと気付く。子供の頃、たしかにあったなと思い出し、引っ越した時、使わないからと本棚で隠したのだ。
彼はその扉を開けた。
そこに、古い人形が置いてあった。
夢はそこで終わったらしい。
目覚めた時には夢の記憶はそこで終わっていた。
Wさんは日曜日、帰宅してすぐに三階へとあがる。
本棚を動かし、現れた収納を開けた。
人形がいた。
彼が、その人形は市松人形という名称であると知ったのは後のことだ。
埃にまみれ、着物も髪も白くなるほどに汚れてしまっていた。
そして、人形の左腕はなくなっている。
彼は両手でそれを取り出し、手で丁寧に埃をとり、両親に電話をした。
Wさんの両親も驚き、車ですぐに駆け付けてきたという。
三人で、W家のお墓があるお寺へと人形を持ちこんだ。
その日から、Wさんは悪夢を見なくなったという。
後日談がある。
祖母の七回忌の時に、お寺に親戚一同で集まり、それから近くの飲食店で食事をとった際、Wさんの父親がなつかしいものがあったからと古いアルバムを持ってきていた。
Wさんは、若い頃の祖父母をみてイケメンと美人だなと皆で騒いでいたが、子供時代の父親の写真を見て、その隣で笑っている女の子を見た時、凍りついたそうだ。
夢の中で、彼を助けてくれた女の子だった。
Wさんは、父親にその子が自分を助けてくれたと話すと、彼女の正体がわかった。
その子は父の姉で、九歳の時に亡くなったのだという。
Wさんは、その日に再度、お寺へと戻り、お墓の前で叔母さんのために拝み、お礼を言ったのである。
彼は今も、その家に住んでいる。