種地
S市のM区。
きっかけは、その古い家からだ。
誰も住まない古い家で、いつ倒壊してもおかしくないほど老朽化していたが、解体もされず、建て替えもされず残されている。駅に近く、徒歩一分内だ。商店街の裏手にあたる。
この土地と建物はH社が所有していた。
H社がここを購入し、建て替えも解体もしないのは更地にすると固定資産税と都市計画税が高くなるからだ。そして、この土地をこの状態で維持するのは、種地としてもっているからである。
種地とは、ひとつの土地を購入し、その近隣へと交渉していき一帯を買い取り、大手開発業者と一緒に商業施設や巨大マンションを開発して儲けるための土地にあたる。
もちろん、一昔前のやくざが立ち退きを迫るような手法は今時ははやらない。そんなことをすれば、弁護士がでてきて負けるご時世だ。
結局は金なのである。
そして、近隣の所有者には、その土地にマンションが完成したら協力者としていい部屋を譲りますよという等価交換的な交渉もなされた。
こうして、ボロボロの家は近隣の家とともに解体され、更地になるとコインパーキングになった。
まだまだ立ち退き交渉先は残っており、土地をさらに広げたいのである。それがまとまるまで、コインパーキングにして維持費用をまかなおうという考えだった。
建築計画もできてきた。
あと、三軒が立ち退けば、駅近くに一階スーパー、二階は会員制ジム、飲食店などなどのテナントが入り、三階から上は分譲マンションというものができる。
H社はやる気になって交渉を続けた。
その交渉担当の一人、Rさんは厄介な家にあたっていた。
七〇代のご主人Dさんと、四〇代の姪が同居している家で、七〇代のDさんが難病で動けなく、また先も長くない状態で、姪が世話をしている。そして、売買をするにしても難病のDさんは動きたくないという希望であり、姪には権限がないことから話し合いに進まず、お金云々ではないというところで交渉が進まないのだ。
介護住宅の仮住まいをH社で用意して、マンションができたら一室をあてがうという方法も、なかなかいい返事がもらえないでいた。
Rさんは何度も通ったが、迷惑がられるだけである。
彼の上司は、Rさんを罵倒した。ふざけるな、追い出せ、早く決めてこい、仕事できねぇのか、などなど。
この話を私に教えてくれたRさんの同僚であるCさんからみて、Rさんが病んでしまわないかと心配だったそうだ。
そんなRさんに神様が味方したのか不明だが、なんと姪が売ることに決めたと言ってきた。
聞けば、七〇代のDさん、姪からみると伯父になるが、彼が死亡したというのだ。
彼女はこれからどうすればいいかとRさんに質問してきて、Rさんは相続手続きをしないといけないことなどを説明した。
戸籍を調べ、相続人が姪一人だけとなっていたことをも確認がとれた。
建物と土地の名義が姪のものとなり、彼女はそれからH社に売却した。
マンションの一室へ入るというものではなく、完全に引っ越したいからお金が欲しいということで、決済の時に結構な額が姪の口座に送金されたのである。
相続が発生したら不動産は動くという実例だなと思って話を聞いていた。
Cさんも、初めはそう受け取っていたそうだ。
でも、そこからが恐かったのだという。
遺産分割協議を作成していた司法書士が、Rさんに相談したらしい。
「これ、事件じゃないですよね? 大丈夫ですか?」
Rさんはどうしてそう思うのかを司法書士に尋ねた。
Dさんの家族が、五年の間に次々と死亡している。姪の親もその中に含まれていた。
Dさんの両親、弟家族、妹家族は姪を残して死んでいた。Dさんの奥さん、子供も亡くなっていた。
姪だけが残っていた。
Rさんは、そういえばと悩む。
姪は、働いてもいないのにお金に困った様子はなかった。ブランドものを身につけていたこと、昼間は訪問介護の人が来ている間はパチンコやスロット、ダンス教室に通っていたことに不信感を抱く。
そして、相続登記に関して、どうしたらいいかと訊いてきたものの、説明すると一回で理解していた。ふつう、相続登記なんてものは多くの人が初めてのことで、仕事で携わったことがなければわからない用語や書類の名前がいっぱい出てくる。しかし彼女は質問せず、ちゃんと指示通りに用意をしてきた。
委任状の書き方も、慣れていたと思い出した。
Rさんは上司に相談した。
「は? 馬鹿か!? さっさと買って終わらせろ! 仕事なめてんのか!」
Rさんはうんざりとして、上司がそういうならと売買を進めたのである。
このやり取りをみていたCさんが、Rさんに何かあったのかと聞き、この一連の流れが話されたのだ。
現在、その場所には一階から三階までが商業施設で、四階から上は分譲マンションになっている大きな建物が建っている。
Cさんは言う。
その姪の家族、つまりDさんの兄弟たちが住んでいただろう家がどうなっているのか、誰も調べていないのでわかっていないが、そこが所有権の戸建てあるいはマンションであったなら、姪によって売られているか、姪の所有になっているだろう。
姪にとって、あの家は種地だったのかもしれない。