いなり寿し
古い話になります。
それを体験したのは、Oさんです。彼女は現在八十二歳の女性で、世田谷区にお住まいです。私が彼女と出会ったのは、Oさんのご自宅の隣地で、私達が建物の建て替えをおこなう工事をする際に、挨拶にうかがったからでした。
上品なご婦人で、息子さん夫婦とご同居しておられます。最後に会ったのはコロナが世間を騒がせる前なので、もう二年前になります。
最初の出会いから一年くらい経過した頃、挨拶のときに渡しておいた名刺を見てOさんが連絡をくれました。失礼ながら、私はすっかりと忘れていたのですが、少し話すと思い出しました。
Oさんの家を二世帯住宅に建て替えたいから、設計から依頼したいという連絡でした。それから私はOさん家族とも会い、仕事を進めていくなかで、会う回数が増えます。
世間話のなかで、不思議な話や恐い話を好きで集めていることを伝えた時、Oさんが「あるわよ」と言って、話し始めてくれました。
「わたしが子供の頃だから、もう本当に大昔よ。このあたりは今でこそ住宅地でしょう? だけど、当時は本当に田園風景でねぇ……うちと隣の家の間には、畑がずっとあったのよ」
今は戸建て住宅がずらっと並ぶ住宅地も、昔はそうだったのかと思いながら聞いていました。
「今も残っているけど、ここからY駅のほうに歩くと、家の前の道をね……今はね、住宅地だけど子供の頃はね、畑や田んぼの中を歩く道くらいしかなかったのよ。で、いくつだったかな? もう覚えてないわ……とにかく子供の頃にね、親に頼まれて、いなり寿しを隣の親戚の家に持っていってたの」
Oさんは盆にいなり寿しをのせ、上から布巾をかけて、一人で隣の親戚宅へと歩いていました。
「するとね、いっこうにお隣につかないの」
ずっと道を歩くOさん。
お隣の親戚の家までは、歩いて一分、二分の距離のはずで、さらに一本道なのに全く隣の親戚宅が見えてきません。
どうしたものかと思いつつも、歩くOさん。
風景が変わらないのです。
恐くなって家に帰ろうとしましたが、振り返って歩いても家も見えない。
歩きつかれて泣きたくなった時、座るのにちょうどいい岩が目に入りました。
彼女はそこに座って、どうしたらいいのかと溜息をついたのです。
すると正面に、祠があります。
「お稲荷さんの祠がね、あったのよ」
Oさんは、もしかしたらと思い、盆にのせていたいなり寿しをひとつ、その祠にお供えして、親戚の家へと歩きました。
すると、すぐに目的の家が見えてきて、彼女は思わず走ってその家に飛び込んだそうです。
親戚の伯父さんに、今おきたことを話すと、よしよしと慰めてもらいながら「あのお稲荷さんは探し物がある時にお願いしたら見つけてくれるいいお稲荷さんだから許してやってくれ。Oも物を無くして困った時は、日本酒と油揚げをもってお願いにいけばいいよ」と言われたそうです。
「帰りはどうだったんですか?」
私の質問に、Oさんは笑います。
「すぐに帰れたのよ」
「無くし物を探す時にお願いしたことありますか? そのお稲荷さんに」
「それがね、わたしは無くし物しないのよねぇ……」
その日、Oさんの家からの帰りに、私は最寄駅のY駅まで歩いて向かう途中、住宅地の中にお稲荷さんの祠を見つけました。あるかな? と探しながら歩かないとわからないような小さな祠で、家と家の隙間にかくれるようにひっそりといらっしゃいます。
ご挨拶しておこうと思い、さい銭を用意しながら近づくと、油揚げとワンカップが供えてありました。
誰かが、無くし物をしたんでしょうね。