どうしても売りたい家
その家と土地は、三人の共有名義になっていた。それは、父が亡くなり、母が他界した後に、子供三人に名義が移ったからだ。
三人の共有名義になっている建物と土地。
最近ではまずお目にかかることはないが、当事者となったIさんはどうしたものかと悩んだのである。
それは、Iさんの父と母が亡くなってしばらくして、叔父のYさんから連絡があったのだ。
「実家を売りたいんだ。今は君に権利が移ってるはずなんだ。協力してくれ」
Iさんは父の実家を叔父が売るのに、どうして自分が協力する必要があるのだろうかとわからなかった。父親は死んでいるし、勝手にしてくれていいよと答えたそうだが、叔父はそれでは駄目だという。
「A(Iさんの父)の名義のままだ。相続登記をしておかないといけなかったけどされてないんだ。だから、Aの子供のIに今、土地と建物の権利が三分の一、あるんだよ」
Iさんは困った。
父の実家は地方都市で、新幹線で二時間はかかる。
ただ、世話になってる叔父さんの頼みを断るのもつらい。それに、話を聞けば、父の実家の税金は叔父さんが払っているという。
知らなかったこととはいえ、Iさんとしては叔父に税金の支払いと管理負担を押し付けていたことになっていたから、うしろめたく、協力することにしたそうだ。
ところが、父の弟、三人兄弟の末っ子にあたるEという人物は協力をしないと言った。
叔父Yさんが主導する売買には反対だというのである。
もともと仲が悪かったらしい。
叔父Yは困り、Iさんも困った。相続登記を担当するYの知人で司法書士のUから、相続登記は終わらせておけば動く時に動けるからと言われ、Iさんは手続きを進めてもらった。
こうして、Y,I,Eの三人の名義になった。
それから一年後、Yさんが再度、売却したいと言いだした。
前回のことがあるので、共有持分分割請求をおこなうと言うのである。
Iさんは初めて聞くので何だろうかと思い、会社の上司に聞くと、いろいろと教えてくれた。
ざっくりとした説明をすると、複数の名義に別れている不動産を、裁判所がどうするかを決めてくれるものだ。この場合、Y,I,Eの持分にわかれているので、次のみっつのいずれかになるものと予想できた。
誰か一人に他の人が持つ権利を買わせて、一人の所有権とする。
競売にかけて売却したお金を三人で分ける。
任意売買で得た金額を三等分する。
三等分に分筆できる不動産なら分筆案もでるが、この実家は位置指定道路奥の二軒並びのうちの一軒で間口が2メートル弱しかなく、土地を分筆すると再建築不可の土地が3つ生まれてしまうことから、三等分案はないだろうと思われた。
二年くらいかかって、競売にかけられることが決まった。
Iさんは、子供の頃には父の実家に夏休みなどを利用して行っていたなと思い、亡くなる前にと休みをとって訪れてみた。
記憶とは町の様子も大きく違ったが、父の実家周辺は山あいの静かなところで、山を背に住宅が並び、その最も山に近い奥まったところが、父の実家である。隣の家は随分前から空き家になっていると、朽ちた門扉と郵便受け、外壁でわかったそうだ。
思えば、ここに来るまでの家々で、生活感がある家は少なかったように感じたという。
Iさんが父の実家に入ると、叔父のYさんが、片付けをしていた。
その家の裏手は山肌を利用した公園になっているが、遊んでいる子供の声はしない。
挨拶をして、ひさしぶりですねと会話をしながら片付けを手伝い、どうして売ることにしたのかと尋ねた。
「もともと、空き家だったんだ。たまに手入れをしに来てたくらいでもっと早くに売るつもりだったけど、Aも忙しくてなかなか会えなかったから話できないくて……そしたらAのほうが先にな……それでどうしたものかと思いつつ、いつものように片付けに来た時にな、見つけちまったんだよ」
Yさんが公園を指差す。
Iさんは、何ですか? と公園を眺めた。
「あそこの木で、枝にロープしめて……子供が首を吊っててな……それを見つけてしまったんだよ」
Iさんはギョっとした。
「夜に来て、自殺したそうだ。それで、たまたま次の日に俺がここを掃除してて、二階の窓をあけて拭いていたら、見つけたんだ。この辺り、もう住んでる人が少なくてな……たまたま次の日だからまだよかったものの……」
Iさんは子供が気の毒に思えて、それを見てしまったYさんが、ここの家に手入れで通うのがつらくなり、売ることを急いだという理由もなんとなく理解できたという。
「それはきつかったね?」
「で、売ろうと思って……Eの反対で諦めたんだけど、またあってな……」
「また?」
「うん……また、同じ場所で首を吊ってたんだよ、それでもうなんとしても売ってしまおうって決めたんだ……そうしてたら、手続きの最中にも――」
「ごめん、おじさん、もういい」
Iさんは、Yさんの語りをそこで遮った。
Iさんはもうその話の先を聞いていない。
だから私が知っているのも、ここまでである。




