#68 ふたりで、一緒に
誕生日は好きだ。
自分が生まれた日なんだから、この日を嫌いになる人は多分そんなにいないと思う。
クリスマスイブも好きだ。
なんだか意味もなくクリスマスっていうだけでテンションが上がる、多分皆そうだと思う。
でも、それと同じくらい誕生日もクリスマスイブも苦手だ、嫌いではない。
夢にサンタさんが出てきたから「美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい!」って願ってみた。そしたら転生していたんだ、唐突だと思うだろ? そう、唐突なんだよ。
だからこの時期になるとわたしはどうしても不安になってしまう、これが全部夢なんじゃないかって。あのとき見た夢はまだ続いていて、これがクリスマスイブを境に唐突に覚めてしまうんじゃないかって。
とうの昔に男であったという自意識は消えていて、今は女としての生を満喫している。
女子高生特有の乙女心ってのも、最近は色んな人と関わってきて色々理解出来たつもりだ。
幸せだからこそ、この生活を失いたくない。
そんな迷いと不安が、わたしの心で燻る闇の正体。
誕生日に配信をしないのも、誰とも遊ばないのもそういった弱さを曝け出したくないから、一人になりたいから。
要は逃避だ。
わたしは逃げ続けることしか出来ないから。
人の好意から逃げて自分の弱さからも逃げて、逃げて逃げて逃げ続けた先が、これだ。
抱えきれないぐらいの幸せのせいで、今は逆に孤独に押し潰されてしまいそうになっている。
失いたくないものがわたしの心を締め付ける。
「さびしいよ……」
誰かに会いたい。
でも、もう今更──、
「今宵……?」
「……ぇ」
そこにいたのは、暁湊だった。
夢?
「インターホン鳴らしても出ないから勝手に入ったけど、何かあったの?」
その目はキツく、しかし奥には心配の色と優しさが交じっていた。
多分、わたしの目が泣き腫らしていることを言っているのだろう。
テーブルの上に散乱したケーキやお菓子、そして突っ伏して泣いている光景はさぞや頭の中に混乱をもたらしていることだと思う。
でもそれを言うならわたしこそ、どうして? といった感情である。
確か、昨日の時点では家に来るとか言ってなかったし、わたしも来なくていいと言ったはず……。
「LINEは既読がつかないし電話も出ない。SNSだって更新がないし本当に心配したんだから!」
「あ……」
そういえばスマホの電源は切れたままだった。
ツイッターも昨日、呟かずに寝てからそのままだ。
「黒猫燦が誕生日になっても一切何も言わないからってネットじゃざわついてるし、いくらLINE送っても既読にならないし!」
「うぅ、ごめんなさい……」
「はぁ……何事もなくてよかった。事故とか変なナンパに捕まってるかもって心配したんだから」
「な、ナンパとか引っかからんし」
「かわいいって言われたらホイホイ付いていきそうなのはどこの誰よ……」
いや可愛いとか言われたらそりゃ誰だって悪い気はしないじゃん!
それから、湊は部屋をぐるっと見渡して何かを考える素振りを見せた。
「ご飯は?」
「こ、これ」
「これ、ってケーキのこと?」
「い、いえす」
「ケーキはご飯じゃないんですけど」
「他に食べるものなかったし……」
「食べるものないって、はぁ……もういいわ」
呆れた、といった感じに湊はため息を吐いて椅子に座った。
見下される形から、向き合う形に。
「で?」
「で? とは」
「誕生日は予定がー用事がーって言ってた黒猫燦さんはお家でご飯も食べずに何をしてるのかしら?」
「く、クリパ」
「一人で?」
「はい……」
「泣きながら?」
「はい…………」
「ふーん」
「………うぅ」
き、気まずい。
なんだろう、仕事って言いながらゴルフに行っていたのがバレた旦那さんの気持ちだろうか。
嘘や言い訳がバレて詰問される感覚だ。いや実際そうなんだけど。
「どうして……」
「へ?」
「どうして、そんなになるまで……」
「みなと?」
「今宵が何に悩んでるかなんて私には分からないけど、でも。誕生日に一人で泣くぐらいなら言いなさいよ……!」
その顔は、まるで自分が許せなくて怒りに震えていて、そして今にも泣きそうに歪んでいた。
なんで、なんで湊がそんな顔するの?
「本当は今宵が誕生日に予定がないことぐらい分かってた。きっと千影さんが家にいないことも分かってた。なのに私は今宵が何も言ってこないからって、自分に都合よく言い訳して見て見ぬ振りしてたのよ。こんなことになるなら初めから無理矢理にでも来てれば」
「そんな、そんなことないよ……。だって、これはわたしの問題だから……」
「泣いてる女の子目の前にして、これはあんたの問題だから何も知りません気にしませんなんて私に言わせる気?」
「それは……」
いっそ、ここで吐き出して楽になってしまうのも、それはそれで良いのかもしれない。
もちろん、サンタさんがどうとか転生とか、そんな話は出来ないけど。
今までそれを話せる相手がいなかったし、話せる相手がいなかったからこそ耐えて来られたものだから。ここで精算するのもあり、かも。
「わたしって、美少女なんだよ」
「うん。……は?」
「誰もが認める超絶美少女なんだよ」
「待って」
「それが、こわい」
「待って本当に待って、説明下手すぎでしょ」
真面目にわたしの悩みをぶつけただけなのに、湊は何が不満なのか意義を申し立ててきた。
分かりやすく単刀直入に言ったのに……。
「美少女で幸せで、こわい」
「真面目な顔してそれで説明できてると思ってるアンタの思考回路が私は怖いわ」
「真剣なんだから茶化さないで!」
「こっちの台詞よ!?」
お互い叫んではぁ、はぁ、と肩で息をする。
そういえば湊とこうやってじっくり話し合うのっていつぶりだっけ……。
「まず順序立てて説明して?」
「わたしが美少女」
「それはもういいから」
「だって初めはこれだもん……」
正確にはサンタさんを抜いた上で、だけど。
「今宵はこの数日間、誕生日の何が不安だったの?」
「……唐突に幸せが終わったらと思うと、こわかった」
「うん。じゃあどうして誕生日に予定があるなんて言ったの?」
「……一人になりたかった。幸せに耐えられなくて弱くなる自分を、誰にも見せたくないから」
だから、逃げた。
「そっか」
湊はようやく納得がいったという風に一人頷いて、それから身を乗り出す形で手を伸ばし、わたしの頭を撫でてきた。壊れ物を扱うような優しい、手付きだ。
「今宵は一人で戦ったんだね」
「……? 戦ってないよ。逃げて逃げて、泣いただけ」
「好きな人たちに弱ってる自分を見せないために、一人で抱え込んで傷ついてたんでしょ? だったらそれは逃げてなんかない。戦った証よ」
「………ッ」
そう、なのかなぁ?
でも、たとえこれが逃げじゃなくて戦っていたんだとしてもわたしは結局最後に潰れてしまった。負けてしまった。
湊が来なかったらわたしはどうなっていたか……。
「私が助ける。今宵が倒れそうになったら私が支える。泣いてたら私が慰める。立ち向かうなら隣に並んであげる。一人で無理なら、二人で、ね?」
「みなと……」
暁湊は黒音今宵の事情を完全に理解しているわけではない。多分、本当のことを知ることは今後もないだろう。
それは湊自身、理解していると思う。
わたしがわたしの心の内の全てを吐露しているわけじゃないのは、きっと湊自身気づいている。
でも、それでも、湊はわたしと一緒にいてくれると、そう言った。
すっ、っと胸の奥が軽くなった気がする。
ここ数日間抱えていた不安とか焦燥感とか、そういったものが全部ではないけどなくなったような感覚。
あぁ──わたしは理解者が欲しかったんだ。
たとえ全てを理解していなくても、それでも理解しようと側にいてくれる人が。
不安を共有してくれる、そんな誰かが。
「ツイッターも更新してないし運営にも連絡取ってないからこわいよ」
「一緒に謝ってあげる。何なら今から配信したっていい」
「寝て覚めたら、全部が夢で消えたらって思うとこわいよ」
「じゃあ手を握って一緒に寝てあげる。今宵がどこにも行かないように」
「ねぇ、なんで湊はわたしにこんなに優しくしてくれるの?」
「それは──っ、約束したから。乗りかかった船だもの、精々沈まないように最後まで一緒に見届けてあげる、って」
初めてリアルで会う前の、そんな昔のことをまだ覚えていてくれてたんだ……。
でも、あぁ、だからこそ、そんな彼女だから。
わたしは暁湊が好きなんだ。