#176 あるてまはライバーの活動を応援しています
「神代、姫穣……」
「こんにちは、黒音さん。おっと、人が多いですし念の為に黒猫さんと呼んでおきましょうか」
休憩室の出入り口をデカい図体で塞いでいる我王の背後から、顔を覗かせるようにして現れたのは神代姫穣だった。
なんでコイツがここに、という考えが頭の中を過るが、思い返すといつも休憩室にいると神出鬼没にやってくるのがコイツなので、今回の登場もまあ神代姫穣だしな、と思えば理由にはなっていないが妙な納得感を覚えた。
それよりも今は神代姫穣の発した言葉のほうが重要だ。
「今、企業VTuberを辞めて個人VTuberをしたらいい、って言った?」
「はい、そうですよ?」
それがどうかしましたか? と言わんばかりの顔で神代姫穣が肯定する。
いや、そう簡単に肯定されても……。
「あ、どうして事情を知っているかですか? それでしたら先ほどサボ──こほん。休憩をしようとしたら室内で黒猫さんと旭くんが熱心にお話をされていたので、少々お行儀が悪いですけど盗み聞きさせていただきました」
「と、盗聴……!」
「いえいえ、入って大丈夫か確認する程度のものですよ。それで、大事なお話だったみたいなので時間を置いて、戻ってきたのが今。ということです」
なるほど、毎回神出鬼没だから怪しさ満点だったけど、どうやらストーカーではないらしい。
そうなると、大事なお話が終わって大団円の背景を前に、わたしが難しい顔で頭を悩ませていたから思わず口を出した、といったところか。
いや、そもそも大事なのは神代姫穣がなぜ事情を知っているかではなく、
「企業VTuberを辞めて個人VTuberをしたらいい、ってどういうこと?」
「どう、とは言われても。その言葉のままですけど」
「あ、つまり転生ってこと? 確かに旭くんという存在はここで途絶えるけど、新しい関係性を一から紡ぐのは彼らにとってもいいかもね」
わたしはアスカちゃんとの関係性に於いて後ろ向きなそれを許容することは出来なかったけど、旭くんが個人勢として一から出直したいという前向きな気持ちで転生するなら否定するつもりはない。まあ、そもそもわたしとアスカちゃんは友人とか推しとファンとか、いろんな複雑な事情が絡み合った末のアレだから比べるのが違うけど。
だが神代姫穣は何を言っているんだろうという表情で首を横に振り、
「いえ、そのまま活動すればいいじゃないですか。『旭』として、個人で」
「は!?」
「な!?」
成り行きを静観していた我王も思わず声を上げる。
そこで三人の世界に浸っていた四期生たちもようやく神代姫穣の存在に気付いたのか、慌てて会話に加わる。
「あの、もしかして俺の処遇について話し合ってますか……?」
「話し合うというか、既に結論は出ているというか。黒猫さんは疑問があるようですけど」
「いや、当たり前じゃん! 旭として個人で活動するって、どうやって!?」
「どうって、今後の個人の活動方針を決めるのは旭くん次第ですけど」
「そうじゃなくて! 旭くんって企業所属でしょ!?」
企業所属。つまりは『旭』というVTuberの権利は全て『あるてま』が、引いてはその運営母体である『AoftheG』が全権を所有している。
活動の上でわたしたちが自由なのは、あくまでも企業からキャラクターを借りて、企業に迷惑が掛からない常識の範囲で自由に活動をしているからだ。
なのに、企業所属を辞めて個人で活動するって、そんなのあり得ない。というか普通にいろんな契約に違反する。そこまでの勝手を運営が許すわけがない。
しかし神代姫穣はそんなことお構いなしに、
「企業VTuberが独立して個人VTuberになってはいけない。そんなルール、この業界にはありませんよね?」
「いや、まあ、確かにないけどさ」
ないけど、それが実現可能かどうかは別問題だ。
お金の問題とか権利の問題とか、いろんな大人の事情が絡んでくる。そもそも企業にとって独立は一切メリットがない。だからどこもやりたがらない。
これが小さな事務所レベルだったら多少の無理はどうにかなるんだろうけど、『あるてま』というVTuberグループは業界でも一、二を争う大型の事務所だ。
わたしたち一人ひとりに運営が日々掛けている費用なんてのは、わたし程度では想像することすら出来ない。
だから「グループ活動が嫌になったから独立したいです」と言ったところで、運営が「ハイわかりました」と素直に頷いて、ライバーの全権利を譲渡してくれるはずがないのだ。
個人で活動したかったら全部自分で勝手にやれ、という話である。
「見たところ旭くんはVTuberを続けたいのでしょう? でも、このまま企業に属しても運営のブランディングを受けながら続けられる自信がない。なら、個人で続ければいいじゃないですか。個人がやることに企業が口を出す道理はありませんから、そこで自分がやりたいように再出発です。ほら、簡単ですよね?」
「言葉にすればね。出来るかは別としてね」
仮に旭くんがそのまま個人VTuberに転向すれば、四期生という肩書と運営からのブランディングは失われるが、残った二人と個人的に交流を続けることは自由だ。
運営による三人のユニット売りがなくなったところで、それは企業の都合であって彼らには関係ない。
が、それはあくまでも理想論だ。
何度も言うように、いくらなんでもわたしたちにとって都合が良すぎる展開だ。あるわけがない。
やれやれ、天然ボケなのかなんなのか。神代姫穣と話していても埒が明かない。
わたしはそろそろこの不毛な問答を打ち切ろうとして、
「やりましたか?」
「っ」
神代姫穣のその一言に、思わず体の動きが止まった。
「頭の中で仮定を繰り返すのではなく、実際に行動に移した結果ですか。それは」
「いや、その、常識的に考えたら無理って分かるから……」
「否定をするだけなら、最悪を想像するだけなら誰でも出来ます。でも、成すのはいつだって仮定を乗り越えて実行した人だけですよ」
「………」
「無理だ、無茶だ。そう思っていても、案外やってみれば上手くいくかもしれませんよ? ほら、よそはよそ、うちはうち。なんて言ったってうちは『あるてま』ですから」
確かに、神代姫穣の言うことには一理ある。
駄目で元々、それでもやらずの否定よりはよっぽどいいのかもしれない。
何よりここまで色々やっておいて、最後の最後にそれを試さずに終わるというのはあり得ない話だ。
どうやら旭くんの引退を撤回するという目的を達成したせいで、考え方が保守的になっていたようだ。
それにしても、
「よくそんな提案が出たね。普通は考えついても口に出さないよ」
しかも最初から最後まで話を把握している当事者ではなく、ちょっと小耳に挟んだ程度の関わり合いで。
わたしだったら関係ない事に首を突っ込みたくないから、思いついても黙ってるよ。
「あら、そうでしょうか?」
神代姫穣は少しだけ驚いたように手を口に当てた。
そしてなんてことないように、
「ライバーがしたい活動を応援する、それが運営というものでしょう? ならライバーはお金とか権利とか、そういう心配は一旦置いておいて。まずは自分の活動を優先して相談する。当たり前のことじゃないですか」
「うぐっ」
マネージャーへの相談とか運営への相談とか、そういうことをサボって散々痛い目を見てきた身としてはなかなか滲みるお言葉だ。
そうだよなぁ。どんな馬鹿げた提案でも、まずは運営に相談するのが大事だよな。
神代姫穣からすれば、当たり前のことを当たり前のように提案しただけに過ぎないんだ。
「あの、俺。本当にVTuberを続けていいんですか……?」
ここまで当事者にも関わらず、会話のテンポについて行けずに蚊帳の外だった旭くんがようやく口を開いた。
神代姫穣の会話って結論ありきだから、なかなか口を挟むタイミングないよね。
「私に聞かれてもここにいる私は、あるてま二期生のリース=L=リスリットなので、質問をする相手が違いますよ?」
それはそうだ。
「ただ、」
神代姫穣はそう言うと一呼吸置いて、
「おサボりしようとしたえらーい人が、先客がいるせいで行き場を失い、仕方なくあくせくと働く部下のところへ行って、ちょっかいを掛けてお仕事を増やした。なんてことはあるかもしれませんね」
と言った。




