#174 VTuberなんてさ、飾ってなんぼでしょ
「俺はただ、誰かの期待に答えたかっただけなんです」
話し合いの場をスタジオ前から休憩室に移して──いつまでもあそこで話し込んでいるとスタッフさんが出られないので──旭くんは観念した様子で、
「誰かのために行動すると誰かが喜んでくれる。それが嬉しかった。人の笑顔を見てると、まるで自分が満たされるような気持ちになれた。最初は、本当にただそれだけなんです」
昔を懐かしむように、思い出を慈しむように、そう言った。
人の笑顔のために行動する。
わたしなんかは小中高とぼっちだから自分のことで手一杯で、そんなことを考えて生きてこなかったけど、そういう考え方をする人がいるのは理解できる。身近な存在でいえば、クラスメイトの小林晴人くんがそれに近い人種だ。
別に、彼らは見返りを求めてそうしているわけじゃないけど、自分の行動で人から感謝をされると嬉しくなる。というのは人として人が当たり前に抱く感情だ。それは何もおかしいことではない。
でも、旭くんの場合は少し違った。
「人のために行動する。人に喜んでもらう。子どものうちは純粋にそれだけで良かったのに、大人になるにつれて俺はいつの間にか、面倒事を押し付けられても喜んで引き受けて、憎まれ役が必要なときは率先して憎まれる。そんな、誰かのためじゃなくて、誰かにとって都合の良い自分になっていました」
人に気を使いすぎる、というやつだろうか。
面倒事は素直に断ったり見て見ぬふりをすればいいのに、その人が傷つくかもしれない。誰かに傷ついてほしくない。そう考えて自分を犠牲にしてしまう。
これが面倒事を避けるための自己犠牲精神なら仕方がないと割り切れただろうに、彼の場合は誰かのために行動したいという思いが根底にあるせいで、気持ちの割り切りが出来ずにいた。
誰かにとって都合の良い自分という仮面。それが、その精神的な負荷が、旭くんが慢性的に抱えるストレスの原因。
だから、
「だから、俺はVTuberになろうと思ったんです」
話が一気に飛躍した。とは思わない。
そもそも、VTuberとは一種の変身願望の現れと評されることがあるくらい、現実の自分と仮想の自分を分けて扱うコンテンツだ。
本当は人間じゃなくて人外に生まれたかった、本当は男じゃなくて女になりたかった。本当はもっと胸が大きい女性になりたかった。
そこに懸ける思いは様々だが、だいたいのVTuberは自分が理想とする姿を仮想の自分にトレースしていることがほとんどだ。
だから、彼は現実の自分とは隔絶した世界で──都合の良い仮面を脱ぎ捨てて、本当の自分を探すために、「誰か」になれるVTuberを志したのだろう。
それは、わたしが現実世界でぼっちのコミュ障だから、VTuberなら違う自分になれると思ったのと、本質的には変わりはない。
でも、
「現実は理想と違いました。VTuberはなりたい自分になれるもの。そう思って足を踏み入れたこの世界は、どこまでも現実の延長だったんです。俺の性格じゃ活動者として向いてないからキャラ作りをしたほうがいい。見た目が格好良いから強気なキャラで売ったほうがいい。そういう運営からの指示によって、旭というVTuberは理想から虚像を纏うようになりました。結局、ここでも俺は運営とリスナーの顔色を伺い、誰かの期待に答える、誰かの理想に成り下がったんです」
わたしたちは企業所属のVTuberだ。
そのブランディングには運営の意向や担当マネージャーの考えが大きく反映されることになる。
きっと旭くんが思い描いていたVTuberとは、個人VTuberのような、なりたい自分がやりたいことをやれる。そんな、本当の意味で理想を体現できる存在だ。そこで一から本当の自分を探すために活動をしたかったのだろう。
でも、彼はあるてま四期生であり、コンセプト特化で採用されたユニット売りのVTuberだ。企業所属という大きな見返りがある分、その自由にはある程度の制限が課される。
普段は割と自由に活動しているわたしですら、その行動には常に企業所属という責任が伴っているし、実際炎上するたびに企業所属なのにとか、これだからあるてまは……と外部からレッテルを貼られ、マネージャーからもお叱りを受けている。
まあ、幸いわたしのブランディングに対してこれといった指示がないのは、マネージャーである九条さんの考えとか、何より箱として間もなかった二期生というデビュー時期も関係しているんだけど……。
「なんて、運営批判みたいなこと言いましたけど、本当は俺が悪いってことは自覚しています。人によって価値観の変わるVTuberに勝手なイメージを押し付けて、いざ応募しておきながらそもそも自分がない俺には纏うべき理想がなかった。だから運営が勧めるままにここまでやって来て、最後はこんなはずじゃなかった。はどう見ても俺の我儘ですよね。言い訳ばっかで甘ったれるなって話ですよ」
自虐するような笑顔で。ともすれば照れ笑いのような表情を浮かべながら、旭くんは後ろ髪を掻きながら言う。
そんな、聞き手にとって都合の良さそうな顔で言うなよ……。
活動していく中で「こんなはずじゃなかった」は誰もが直面する思いだ。
わたしだってデビューしてからこんなはずじゃなかった、と思ったことはたくさんあるし、なんなら今ここにいる状況すらこんなはずじゃなかったと心の片隅では思っている。
でも、理想とかけ離れているからこんなはずじゃなかった、を運営の責任に転嫁するには、あまりにもわたしたちは自分の活動に自己を介入しすぎている。
わたしがこんなはずじゃなかったと思うキッカケには、いつだって自分の行動の結果が付き纏っているし、きっと旭くんだって活動方針についてはマネージャーと話し合って、彼が了承したから今がある。
全ては、自分で選んだ道だ。人のせいには出来ない。
「本当の俺は配信の前になると不安で気持ち悪くなってトイレに閉じこもってるし、終わったら全身の力が抜けて返事もろくに出来ないくらい腑抜けるような、そんな弱っちい人間です。でも、そんな自分を曝け出すのが怖い。自分で纏った旭の仮面だけど、リスナーどころか裏であるてまのみんなに素の自分を晒すのも怖い。だからいつも旭を演じて、余計に自分ってものが分からなくなる。今はそんな悪循環の日々です」
思えば、彼はいつだってチグハグだった。
常に差し入れをするくらい礼儀正しいかと思えば、言葉はぶっきらぼう。
ネットでは粗暴でハイテンションかと思えば、現実ではどこか控えめ。
彼は最初から最後まで、自己矛盾の塊だった。
「トドメになったのは、あの日の炎上。その後に励ましのコメントで『案件でも飾らないキミが好きだよ』ってのがあったんです。何も知らない、本当の俺じゃない旭を指して、飾らないキミが好きって。自分らしくあることすら出来ない俺なのに……。そう思ったら、俺ってなんのためにVTuberしてんだろうなって」
それが、旭くんの引退宣言。本当の理由。
我王ですら限界を読み違えた、旭くんを一押した、最後のキッカケ。
あぁ、その言葉はなんて悪意がなくて、期待に満ちて──それでいて無責任な励ましの言葉なんだろう。
でも、わたしたちVTuberにリスナーを責める資格はない。権利もない。
彼ら彼女らは見たいものを見ているだけで、応援したい人を応援しているだけだから、そんな中の人の裏事情なんて知るわけがないのだ。知る必要すらない。
そして、人がどんな言葉で傷ついて、何を思うかなんて人それぞれで、そこまで考えてコメントをするリスナーなんて一握りだ。本来、応援することにそんな責任は発生しないし、考える必要もないから。
だから、これはVTuberが裏で勝手に傷ついているだけ。そんなことで傷ついた旭くんが、ただ脆すぎるだけのこと。
そう、そんなこと。されど本人にとってはそれほどのこと、だ。
アンチの悪意ではなく、ファンの純粋な励ましが引退のキッカケになるくらい、旭くんにとっては今の活動が負担になっている。
じゃあ、本当にわたしは引き止める必要があるんだろうか。
応援されることが負担になっている彼を前に、それでも頑張ってVTuber活動しよう! と背中を押すことができるか?
答えは──無理だ。
荷が重すぎる。これはわたしが思った以上に根が深い問題だ。説得して今日明日でどうにかなる範疇を軽く超えている。
転生というアドバンテージがあるから思考がついていけているだけで、本来ならたかが17年しか生きていない少女が関わるレベルの話じゃない。
今なら旭くんが自分の問題だから、時間の無駄だから関わるなと言った意味もよく理解できる。完全に運営がどうにかしろ案件だこれは。いや、運営と個人の問題にお節介で突っ込んだバカはわたしか。
でも、自分で解決できないからって──それがわたしが旭くんを諦める理由にはならない。
きっと、彼の本心は、VTuberを続けたがっている。
だって、偽りの仮面を脱ぎ捨てたいと思っているのに、VTuberという偽りの自分になろうと思ったのは。彼は心の底で、やっぱり誰かの期待に答えたいと思っているからだ。
配信を通じて、活動を通じて、人を笑顔にしたい。
そう思っていなければ、いくらVTuberが違う自分になれるからといって、こんな世界に飛び込むわけがない。
今はその気持ちが、ファンの過剰な期待で揺らいでいるだけだ。
なら、わたしがするべきは──彼の理想をぶち壊すこと。
「旭くんがVTuberを目指した理由も、VTuberを辞めたい理由も、よーく理解したよ」
「先輩が赤裸々に個人情報を渡してきたから仕方なく、フェアになるように先輩が知りたがっていた情報を教えただけです」
「義理堅いね」
十六夜とかいうヤツは、かつて一方的にわたしの個人情報を盗み見したのにね。
「なら義理堅いついでに教えてよ。旭くんはVTuberを続けたいのか、辞めたいのか」
「……話聞いてましたか? というか、先輩が今自分でいいましたよね。俺が辞めたい理由を理解したって。それが答えです」
「辞めたい理由は理解したよ。でもそれとキミが辞めたがっているかは別問題だと思うんだよね。辞めたい気持ちと、続けたい気持ち。この気持ちは二律背反で共存できるから」
「………」
「今更躊躇わなくていいよ。お互いに隠し事は無しなんだから。本当の気持ちで喋ってみて」
「俺、は」
それまで、なんでもないことのように語っていた旭くんは、ここに来て初めて顔を歪めた。痛みを堪えるように、何かを吐き出すのを我慢するように。
やがて、
「辞めたいです。……でも、まだ頑張りたいって思いもあります。俺はまだ何も変われてないから、本当の自分を見つけてないから」
それが、旭くんが絞り出した本音だった。
散々隠してきた、彼の本心だった。
「だったら──」
「でもっ!」
わたしの言葉を遮るように旭くんが叫ぶ。
「無理なんですよ。俺自身がもう、なんのためにVTuberしてんのか分からないんです。毎日旭ってキャラクターに精神擦り減らして、それで自分見失って。そのくせ素の自分はリスナーに失望されるのが怖くて見せられない。これでどうやって続けていけってんですか?」
我王が、自分じゃ旭くんに寄り添えないと言った意味がよく分かる。
あいつは裏でも表でも我王神太刀を貫く覚悟で活動をしている。その仮面が剥がれるのは偉い大人や会議といったTPOが求められるときだけだ。
でも旭くんにはそこまでの覚悟がない。偽りの自分でいる覚悟も、本当の自分でいる覚悟も、何も無い。
それは人にとって都合の良い自分でありすぎて、本当の自分を見失ったという彼の境遇を考えれば、仕方のないこともかもしれない。
でも、これだけは言いたい。
「あんまVTuberに夢見ないほうがいいよ」
「……え?」
ぽかん、と。急に何を言っているんだと、そんな間の抜けた顔で旭くんがわたしを見る。
構わずわたしは続ける。彼に現実を見せるために。
「キミは、VTuberに夢を見過ぎ。VTuberはなりたい自分になれるとか、本当の自分を探せるとか色々言ってるけど、んなことないから!」
「いや、そん、先輩がそれを!?」
「そもそもね、理想の自分って言うけど、それはあくまで見た目がそうなだけ! 実際のとこ素の自分でやってる人のが圧倒的に多いから!」
ファンタジーな見た目してるのに雑談の内容はどこそこの飯屋が旨いとか、学生の頃はどうのとかめっちゃ現実の延長だよ。なんなら生身を晒すことだって割とあるし。
変身願望を満たせるのは見た目だけの話で、仮想の自分に理想をトレースしたところで、どこまでいっても自分は自分だ。
「一つ話をしよう。わたしの同期に夏波結ってライバーがいるけど、あれも旭くんみたいに最初はキャラクターを作ってデビューしたVTuberなんだよね。でも、あれ初期キャラウケてないから! 若干吹っ切れた今のほうがリスナーウケいいよ!」
まあ、あれは黒猫燦との関係性とか、配信用の性格と素の性格のギャップとか、そういうのもあるけど。
いくら本人が頑張ってキャラクターを作っても、リスナーがそれを気に入るかどうかはまた別問題だ。
「まあ、だからね。VTuberは夢を見せるものであって、自分が夢を見るものじゃない。キミは自分にも、リスナーにも、夢を見過ぎだ」
結局、彼はリスナーに理想を見せるあまり、自分がリスナーに理想を見ているだけなんだ。
リスナーは推しの完璧な姿が理想で、素を曝け出すと失望する。そんな想像上の理想を。
「それは……分かってますよ」
「いいや、分かってないね。キミが思ってるほどリスナーは理想を追い求めてないし、現実的だよ。いくらキミがリスナーにとって都合の良い旭って仮面を演じていても飽きれば離れるし、気に入らなければ好き勝手言ってくる」
そこで、わたしは一度溜めを作った。
彼に現実を突きつけるために。
「所詮、リスナーが好きなのは旭というキャラクターじゃなくて。キミの声と、見た目と、話す内容だ」
「そんな、身も蓋もない……」
そうだよ、身も蓋もないよ。
VTuberなんて、所詮そんなもんだ。
でも、だからこそ彼ら彼女らは一生懸命に推しのVTuberを応援するんだ。
それこそ、転生して見た目を変えて、性格をちょっと変えても付いてきてくれるファンが界隈に絶えないのは、推しをただのキャラクターとして好きになったんじゃなくて、その中の──魂の輝きに惹かれているからに違いない。
だから本当の自分とか、誰かの理想とか、VTuberを語るのに御大層な言葉はいらない。
「わたしたちはVTuberになったから変われるんじゃない。いつだって、自分を変えるのは自分自身だよ」
わたしたちにとってはキッカケであり、手段であり、リスナーにとってはただの推し。それがVTuberだ。
「まあだから何が言いたいかって言うとね、もうちょっとリスナーのこと信じてもいいんじゃない? 信じて、勇気を出して、一歩踏み出せば変われるよ」
それが出来たら苦労しない、と言われればそこまでだ。
でも、この話の本質とはそんなことなんだ。
そんなこと。されど本人にとってはそれほどのこと。逆に言えば、それほどのことだけど、そんなこと。
蓋を開けてみれば──身も蓋もなければ、それだけでしかない。
「それで、リスナーが旭に愛想を尽かしたらどうするんですか……」
「仕方ないね。ご縁がなかったということで」
何もリスナーの全員がそんなに物分りが良い訳がない。
色々言ったけど、推しの言葉でも素直に受け入れてくれる人なんて表層の一部だろう。ほとんどのリスナーは見たいものを見るだけだ。
でも、それは仕方のないことだ。
十人いれば十の色があるように、全員が納得する道なんてのは存在しない。仮にあったとしても、それは旭くんが自分を押し殺すことで成立していた道であり、それが限界を迎えた以上もう出来ないことだ。
だから、出来ないことは割り切るだけだ。
わたしたちの活動とは、そうやって出来ている。
「先輩は大人ですね……」
「ふふん。わたしだってね、これでもVTuber歴で言えばキミより長いんだよ。理想と現実の違いくらいとっくに理解してるし、何度も割り切らなきゃいけない場面があったからね」
まあ、わたしの場合は割り切るのが嫌で、最後まで足掻くことのほうが多かったけど。今回の件も含めてね。
「先輩は、どうして俺なんかのことここまで気にかけてくれるんですか? 俺なんか配信中は口が悪いし、素だとこんなだし、コラボのキッカケも我王先輩経由だし。俺にいいとこなんかないのに」
たしかに、話は回りくどいし言い訳がましいしウジウジしてるし、わたしに負けず劣らずの面倒くさい性格をしている。
出会いも人づてと来れば縁も浅いだろう。
でも、
「前に黒猫燦ならこうするから、って言ったのは覚えてる?」
「黒猫燦は困ってる人をドヤ顔で助けるVTuberだから、ってやつですか?」
「そうそう。第一に黒猫燦なら目の前の友達を見捨てるわけがないから。だからわたしは旭くんを助ける」
友達の定義がなんなのかは未だによく分からないけど、まあ数回遊んだ仲なんだし友達でいいでしょ。わたしはみんなにそう教わった。
「第二に、わたしのVTuberとしての目標」
「コミュ障こじらせた……?」
「じゃなくて」
さっき語った、目指した理由で言えば間違ってないけども。
「100万人の友だち作ってちやほやされたい、ってのが今のわたしの目標なんだ」
「100万……」
「そう、100万」
途方もない数だ。
現在VTuberでチャンネル登録者数が100万人を超えているのは一人しかいない。
今のわたしが二十七万人だから、その数に達するにはまだ数年は掛かるだろう。
「だからさ、100万のうちの貴重な1の旭くんを、わたしが見過ごせるわけないじゃん」
「たかが1ですよ」
「ううん、されど1だ。それに後輩が引退するのにハイさようならって簡単に見送ったら、VTuberになる前の、友だちがいなくてぼっちだった黒音今宵になんて贅沢なやつなんだって怒られちゃう」
だから、
「わたしは、黒音今宵に、黒猫燦に誇れるように。わたしが私らしくあるために、最後まで旭くんを諦めたくない」
何より、彼は変わりたがっている。
自分を変えたくてVTuberという業界に、自分から足を踏み入れている。
それは、かつてのわたしと同じだ。わたしが自分を変えたくてこの世界に入ったのと、同じだ。
だったら、ここで彼を見捨てるのは自分を見捨てることと同じだ。
変われたわたしが、変われなかった彼を見捨てる。
そんなこと、あって良い訳がない。
これ以上、わたしに語れる言葉はない。今まで活動してきた自分の経験を元に全てを言葉に込めた。
それを受け止めた旭くんは暫し、何かを考え込むように目を閉じた。
そして、
「ありがとうございます、先輩」
「気にしなくていいよ。これはわたしの我儘だから」
普通は去りゆく者は見送るものだ。
こんな風に引き止めているのが他の大人組に見つかったら、相手の気持ちや立場を考えろって怒るかもしれない。
でも、我儘っていうのはそういう理性で抑えられないんだから仕方がない。
やれやれ、それにしてもこの調子ならこれでようやく旭くんの問題も解決か。
一時はどうなることかと思ったけど、彼の中の理想をぶち壊せば意外と話が通じて一安心だ。
あとは我王と合流して四期生のマネージャーのところへ行って、引退の撤回を伝えれば終わりかな。
わたしは全身の緊張を解いてソファに深く身を沈めた。
そのまま旭くんの言葉の続きを聞こうとして、
「でもやっぱり、俺やめようと思います」
「え」
この流れで辞める選択肢あんの。
ほら、わたしがなんかいい感じのこと散々言ったんだから、いい感じに絆されて改心する流れじゃ……。
「先輩の言葉、たしかに届きました。俺は勇気が足りないだけじゃなくて、リスナーを信じきれない臆病者でもありました。本当はみんなを信じて一歩踏み出すべきなんだと思います」
旭くんは真っ直ぐにわたしのことを見る。
その瞳に今までの曇りはない。
「でも、それだけじゃ足りない。企業Vtuberとして、あるてま四期生の旭として活動する以上、それは簡単な一歩じゃないって思うんです」
旭くんは言う。
「だから、ここまでにしましょう。俺は俺のために。そしてリスナーのために。これ以上あるてまに迷惑をかけないために。やっぱり引退しようと思います」
「いや、それは」
なんとか旭くんを引き留めようと、あれこれと考えを巡らせるが混乱気味の思考ではなかなか考えが纏まらない。
えーと、うーと、と言葉にならないうめき声が口からひたすら漏れるばかりで、気の利いた言葉が一向に出てこない。これだから緊張を解くんじゃなかった。
やがて見かねた旭くんが、
「じゃあ、先輩。ありがとうございました。先輩のおかげで自分らしくあるってのがどういうことか、少し理解できました。この業界で自分らしくあることは難しかったですけど、きっとこれからの俺の人生は今までより良くなると思います。本当にありがとうございます」
と、締めの言葉に入った。
ちょっと待ってちょっと待って、あとひと押しなんだよ。あとひと押しで旭くんをVtuberに引き止められるんだよ。
しかしわたしの乏しい引き出しはここまでが限界で、それ以上言葉を紡ぐことはできなかった。
ソファから立ち上がる旭くんに力なく手を伸ばすことしかできず、ドアノブに手をかける彼を見送り──
「ふはは、待たせたなッ!」
「うわ、なにこの最悪のタイミング……」
「ぉ、お邪魔しまーす……!」
我王が、頼もしい助っ人を引き連れて戻ってきた。




