#171 青息吐息
「はぁ………」
五回目のため息だった。
何をするでもなく、何を言うでもなく。わたしは胸の内のモヤモヤを吐き出すかのように、たっぷりと時間を掛けて五回のため息を吐いていた。
「……そろそろ本題に入ってもらっていいか」
すると、それまで沈黙を守っていた我王が、いよいよしびれを切らした様子で口を開いた。
旭くんとの話し合いのあと。
結局最後まで彼に掛けるべき言葉が思い浮かばなかったわたしは、そろそろ遅い時間だからと帰宅を促す彼の言葉に従い自分の家へと帰った。
そしてお風呂に入りながらあの時どうすればよかったのかと一人反省会を開き、延々と悩んだ末に答えが思いつかず、とりあえずこの件のある意味原因でもある我王をDiscordに呼び出すことにした。
急に呼び出しを受けた我王だったが、特に文句を言うこともなく、或いは何かを察したのか。わたしが通話を掛けるとすぐさまそれに応じた。
通話を開始したわたしたちは冒頭にもあるように、何をするでもなく、何を言うでもなく。わたしがただ一方的に、ひたすらため息を吐いていたのだが……、どうやら我王の堪忍袋の緒はため息五回までが限界らしかった。次からため息をするときは四回までにしようと思う。
兎も角、我王相手にため息を吐き続けたおかげである程度は気持ちと頭の整理が出来た。
「我王ってさ、引退の相談とかされたことある?」
「相談、か。そうだな、貴様も知っての通り我は相談部屋のようなものを企画の一つとしてやっている。配信ではリスナーが相手だが、裏ではそれを見た同業者から相談されることも稀にあるぞ」
「え、我王にも相談されるような相手いたんだ……」
「貴様、喧嘩を売るために呼び出したのか……?」
あの我王が──コラボゼロ人と散々ネタにされていた我王が、驚きである。
口ぶりからして、おそらくはあるてまではない箱外の人から相談をされているのだろう。
いつの間にやら、わたしの知らないところで交友関係を横に広げていたらしい。まあ、設定とは裏腹にこれで人の良い我王だからな、といえば納得ではある。
「じゃあさ、相談ですらない。引退するって決意表明? じゃなくて……えーっと、そう、報告とかは?」
「あるぞ。一度Discordの交流サーバーで大人数で通話した程度の関係だが、律儀に引退を知らせてきた相手が何人かいたはずだ」
「ふーん。それってほとんど他人なのに、確かに律儀だね。あれかな、我王が礼儀正しかったとか意外と好感度高かったとか?」
「さあな。だが我が思うに、奴らは自己満足の相手に我を選んだだけだ。引退することは決めた。でもそのことを誰かに知っていてほしい。誰でもいいけど、発表前だから口が硬そうで、それでいて関係性が薄い相手。要は都合の良い捌け口──それが我だった、というわけだ」
我王は最後に、付け足すように「人間は共有したがる生き物だからな」と言った。
なんというか、面倒見が良い割にはドライな考え方をするやつだ。或いは、そういった割り切った考え方が、逆に相談者にとって安心できる要素なのかもしれない。
なんにせよ、人間は共有したがる生き物──確かに、今のわたしもこの感情と今日という出来事を我王に共有したくて通話をしている。
そういう意味では、やはりわたしにとっても我王は都合の良い相手なんだろう。
だからその言葉に甘えることにした。
「旭くんがさ」
「………」
我王は何も言わなかった。あくまでもわたしの口から伝えられることを待っている。
「旭くんが、引退するって言った」
「そうか」
「うん。そうなんだよ」
我王の返事はあっさりしたものだった。
やはり、
「我王はわたしに四期生の面倒を見ろって言ったとき、こうなることを予想してたでしょ」
「………」
我王は何も答えない。答えないのが、答えだった。
少し考えれば分かることだが、我王という人間は面倒見が良くてそれでいて察しの良いやつである。
その範囲は箱内に留まらず、リスナーを超えて箱外の活動者にまで波及するほど。
そんな人間が自分が可愛がって気に掛けている後輩の、旭くんの問題に気付かないはずがない。
そして、見て見ぬふりをしながら放置して、あまつさえ他人にその責任を擦り付けるような薄情な人間じゃないことも、わたしは理解している。
だから、我王には我王なりの狙いがあるはずなんだけど……。
「すまなかった。ヤツの問題について説明をしなかったのも、貴様一人に背負わせようとしたのも、全ては我の責任だ」
「別に、責任とかそういう話じゃないけどさ。どうしてわたしに黙ってたの?」
せめて、我王がもう少し旭くんについて事情を説明してくれていれば、また違った結果が生まれたかもしれないのに。
「それはだな……」
わたしの問いに我王は少し答えづらそうに、言い淀む。
そして、
「黒猫燦というVTuberは、事情を把握すると空回りをする癖があるからだ」
「うっ」
「貴様にはそういった色眼鏡なしの、自然体で四期生と仲良くなってほしかった。これは旭の事情などは抜きにした、我の本心だ」
「ま、まあ、そう言われるとわたしとしては何も言い返せない……」
思えば、黒猫燦というVTuberはデビューしてから空回りの連続だった。
いや、今も絶賛空回り継続中ではあるんだけど、それにしてもあの頃は特に酷かったと思う。
そういった過去の出来事を知っている同期の我王としては、事前にあれこれと説明をして変な先入観を与えたくなかったのだろう。
もしも色々と聞かされていれば、それこそわたしなら張り切って余計に事態を悪化させていた可能性は充分にある。
そういった意味では、我王の気遣いには感謝しておいたほうが良いのかもしれない。いちおう、配信の準備や相談と色々フォローはしてくれていたわけだし。
「でもさ、なんでわたしに四期生の面倒を見させたの? 旭くんのメンタルケアなら自分でやるほうが手っ取り早いでしょ」
「四期生と交流を勧めたのは先程も言ったが、純粋に貴様のためだ。後輩と交流をすれば先輩としての自覚がつき、それが自分の自信にも繋がると考えた」
たしかに、個性豊かな四期生と交流することで今まで避けていたジャンルの配信に挑戦したり、ベア子のときは疎かになった人の面倒を見ることの大切さを再確認できた。
これに関しては自分自身の成長を実感している。
「メンタルケアに関しては、まさかここまで性急に事が進むとは思っていなかったのだ。我の見立てでは生真面目なヤツのことだから、新年度までは何が何でも保たせると思っていた。故に、貴様との交流をキッカケに少しずつ改善されれば良いと思っていた。だが、まさか急な案件の変更でああなるとはな……。流石の我もそこまでは読んでいなかった」
「わたしに面倒を見させた理由は分かったよ。でも、どうして自分でやらなかったの?」
あくまでも我王が今語ったのは、わたしにとって都合が良い理由だ。
黒猫燦と四期生が交流することで、お互いに影響を与え合って自己を高めていく。
たしかに聞こえは良いし理に適った話ではあるけど、それで我王が直接介入しない理由にはならない。
わたしの問いかけに我王は暫し沈黙を返し、やがて、
「我が直接面倒を見なかったのは……、我王神太刀ではヤツの問題に寄り添うことが不可能だからだ」
観念したように、そう言った。
「お前も知っているだろうが、あいつのことはデビューからこれまで色々と世話を焼いてきた。配信のコツや炎上したときのケアなど、それこそ個人的な悩みも含めて相談に乗る程度にはな。だが、メンタル面に関しては最終的に、俺は『我王神太刀』を出来る人間で、あいつは『旭』が出来ない人間。そこに行き着いてしまう」
我王の言葉には心当たりがあった。
数時間前、九条さんと話していた内容が頭を過ぎる。
『旭』というVTuberはリスナーが望む姿を旭くんが演じて創られた、虚像のキャラクターだ。
彼はその類まれなる演技力で本来の自分と大きく乖離するキャラクターを完璧に演じながら、適時リスナーの要望に答えながら理想の『旭』をアップデートし続けていた。
しかし、本人の能力とは裏腹にメンタルは人並みか或いはそれ以下なせいで、本来の自分から乖離していく『旭』に苦痛を感じていた。
対して、『我王神太刀』というVTuberは最初に与えられた設定を拡大解釈して創られた虚像のキャラクターだ。
普段から裏でも表でも一人称が我で二人称が貴様、言動は厨二まみれと不遜な態度を取る我王だが、コイツは自分の心を完璧に律してリスナーが求める──それでいて自分が理想とする『我王神太刀』を演じることが出来る、ある種の天才である。
そんな対極に位置する二人だからこそ、我王はこの問題に直接介入することを躊躇っている。
「俺の言葉は旭にとって出来る側の言葉でしかない。それを懸念して、俺は舞台裏に回った」
わたしの考えを肯定するように我王が言う。
「出来る人間がいくら耳触りの良い助言や慰めの言葉を口にしたところで、出来ない人間にとってそれは余計なお世話だ。そして、それは時に余計な反発心を生む」
「わたしも、なんでこれが出来ないの? とか面と向かって言われたらキレるから分かるなぁ……」
その気持ちは最悪、もうやーめた。になりかねない。そうなると本末転倒だ。
「そして我の見立てでは旭に最も近いVTuber、それは黒猫燦。お前だ」
「わたし?」
いつだったか、我王はわたしと旭くんは相性が良いはずだと言っていたのを思い出す。
「黒猫燦というVTuberは旭と同じく、本来の自分から大きく乖離する虚像を纏うVTuberだろう。そんなお前の言葉なら、時間をかければ旭にも届くかと思っていたんだが……」
「わたしという劇薬が今回は悪い方向に作用しちゃったわけだ」
「う、む」
まあ、昨日の炎上に関してはわたしが悪いというより、運が悪かった、もしくは案件先の人選が悪かったとも言えるんだけど。
兎も角、我王の言いたいことはよく分かった。
わたしは素の黒音今宵では配信が出来ないから、黒猫燦というキャラクターを演じている。その自覚はあるし、自分の中に明確なスイッチのようなものも存在する。
そして、少し前の案件配信でわたしはリスナーが望む『あるてま』と『黒猫燦』というレッテルを貼られてしまい、それが原因で案件中も関わらず爆発して、大炎上した。
言ってしまえば今の旭くんの状況は少し前にわたしが体験した状況に似ており、その境遇も近しいところにある。
そういう意味では今のあるてまに於いて旭くんに最も近しい位置で彼に共感して寄り添えるのは、わたししかいない。我王神太刀のように天才タイプではない。夏波結のように秀才タイプでもない。平凡な、わたしだけだ。
「でも、旭くんは本音すら話してくれなかったよ。俺なんかに時間を使うなって、それで終わり。あそこまで明確に拒絶されたのは人生ではじめてかも」
「元々、自分をひた隠しにして活動してきた人間だ。警戒心が人一倍強いのだろう。だが、そうだな……。本人がそれを口にしたのなら、我らは黙って見送るべきかもしれん。所詮、やめてほしくないという言葉は、残される者の我儘だ。旅立とうとする者は黙って見送るのが、この世界の作法だろう」
そう語る我王は、まるで納得いかないものを、それでも無理やり飲み込む大人のような、そんなやるせなさを感じさせた。
残される者の我儘って……、そうは言うけど、残される人たちにだって言いたい言葉や伝えたい想いがある。それを押し殺して黙って見送るなんて、それが絶対的に正しいなんてわたしは思わない。
思わないけど……、それが成立するのは深い関係のときだけだ。黒猫燦と、立花アスカのときのような。不条理に抗うときだけだ。
だから、わたしに旭くんを止める権利はない。いや、元から止めることに権利なんてない。義理がないのだ。
でも、我王は?
「我王は、それでいいの?」
コイツは四期生をデビューからずっと面倒見てきたと言っていた。
一週間やそこらの関係性しかないわたしとは違って、四期生のすべてを見届けてきたのだ。
そんな我王が真っ先に説得を諦めるなんて、それで本当に良いんだろうか。
「我が良し悪しを判断するのではない。全ては己次第だ。旭が拒絶をしているのなら、今更我が接触をしたところで無駄だろう」
「無駄かどうか分かんないじゃん。熱い男の友情パワーで心の扉をこじ開けるとかさ」
「無理やりこじ開けたらそれこそ取り返しがつかんだろうが。心は一度壊れたら元には戻らんのだぞ」
「めんどくさっ」
「繊細と言え繊細と」
まあ、でもたしかに。明確な拒絶を伝えているのにズカズカと土足で心の領域に踏み込まれたら、わたしなら二度と会話もしないと思う。
繊細な人間と、気遣いが出来すぎる人間。こうしてお互いが対立すると話がまだるっこしくて仕方がない。
「何より、旭は恐れているのだ」
我王がポツリと零す。
「恐れるって何をさ」
「貴様が力になると言って、それでも自分の領域に踏み込ませなかった。つまり、ヤツは自分自身が一歩前に踏み込むことを、恐れている」
「わたしが本音の部分に踏み込もうとしてるのに旭くんが踏み込むって……、ふつう逆じゃない?」
「考えてもみろ。本音を打ち明けるということは自分の弱さを曝け出すことと同義だろう。それは見方を変えればヤツからこちらへ一歩踏み込むことと変わらん。相当な勇気のいる行動だ」
ならば、と我王が続ける。
「我はヤツが恐れていたとしても非難はできん。本来、生物としてそれが普通の反応だからな。そして、踏み込むことを恐れているのなら、たとえ貴様でも、我でも、結果は同じこと。悪戯に傷を抉るくらいなら、せめてこれ以上触れないのが優しさだろう」
我王はどこか寂しそうな雰囲気を漂わせ、そう言った。
我王の言っていることはなんとなくだが、理解できる。
旭くんがわたしの言葉を拒絶したのは、単に見知らぬ他人のわたしだからというだけではなく。ただ彼が他人に本音を見せることを恐れているからだ。既にわたしだからとか、我王だからとか、そんな話ではなくなっている。
これだといくらこちらが歩み寄ろうとしても、向こうが歩み寄ってくれないのだから、むしろ遠ざかっていくのだから、話は平行線を辿るだけだ。
本音の話し合いとは、お互いの歩み寄りによって成り立つのだから。
「じゃあ──」
言いかけて、止まる。止める。
違う、そうじゃない。わたしが言いたいのは、じゃあに続く諦めの言葉なんかじゃない。
我王の諭すような理屈に理解して共感して納得して、せめて明るく見送ろうなんて、そんな言葉じゃない。
「だとしても」
悩んでいる後輩にかける言葉はまだ見つからない。
でも、
「我王はそんなに辛そうじゃん」
苦しむ同期にかける言葉はある。
「自分の言葉で自分納得させるようなことばっか言って、肝心の我王の気持ちが、本音がないよ。わたしが聞きたいのは我王が自分を納得させて諦める理由じゃなくて、我王がどうしたいかなんだよ」
「俺、は……」
わたしよりもいろんなVTuberと交流をしてきたから、わたしよりも旭くんと親密だったから、色々と考えてしまうのは分かる。
でも、それで自分の気持ちを押し殺して、流されるままの結果に甘んじるなら、それは旭くんと同じだ。
わたしが知っている我王神太刀というVTuberは、他人を人一倍気遣うけど、それでもいつだって最後まで自分を貫き通す奴だった。
後輩が増えたからって、経験を積んだからって、それで丸くなるなんて、らしくない。
「笑えよ、我王。いつもみたいに、不遜な態度で、大人の対応とか、業界の作法とか、全部笑い飛ばせよ」
わたしの言葉に、我王は暫し沈黙を返し。
そして、
「ふ、ふは……っ。ふはは──ふははははは!」
いつもの高笑いをした。
「クククッ、あぁそうだ、そうだな黒猫! この我としたことが、紅蓮の炎と漆黒の雷を操る異界の王である我が、どうやらセンチメンタルな気分に浸っていたらしい!」
通話越しに、キンキンと音割れの激しい言葉が矢継ぎ早に紡がれる。
「フッ、貴様ら同胞のために調停者を担っていたせいで、どうやら本当に大事なものを見失っていたようだ。我が家臣の危機に、王である我が他人を慮るだと? バカバカしいっ! 我は我のために、我がしたいようにしたいことをする!」
やばい、さっきまで理解できていた言葉が今はもう半分くらい理解不能になってるんだけど。焚き付けたの失敗だったかな。
「我の、王の許可なく引退などさせん。この我が認めん」
「引き止めるのは残される者の我儘って言ってなかったっけ?」
「我は我王神太刀、紅蓮の炎と漆黒の雷を操る異界の王だ。故に、我が儘は道理と識れ」
ほんと、都合のいいやつだ。
でも、このマイワールドをこちらの都合など関係なくぶつけるのが、我王神太刀の真骨頂でもある。
未だに旭くんを説得する光明は見えない。
そもそも本人が辞めると言っているのだから、今更説得する必要があるのかも分からない。
でも、わたしも我王もそう簡単に諦められる人間じゃない。そんな潔さがあるんだったら、とっくの昔にVTuberは引退している。
だから、もう一度だけ。
不器用で、才能がなくて、無力で、何も持たない黒音今宵だけど。
それでも、何も持たないからこそ、出来ることはあると思うから。
傷つけるのを恐れずに、傷つくのを恐れずに。旭くんと、話し合おう。




