中
12/24。街の中の至る所に赤い服に身を包んだ人々が溢れるクリスマスイブ。無邪気にサンタさんがやって来てプレゼントをくれるのが待ち遠しかった、この日。いつの間にかリアルが大変充実していらっしゃる方々がお互いに愛を確かめ合う日に変わってしまった今日、絶賛お一人の私には、待ち遠しいばかりか、いっそ無くなってしまえばいいとさえ思ってしまう、今日この頃。人は変わるものだとしみじみ思う。
話は、戻るが、先程述べた通り私に、プレゼントをくれたり、愛を囁いてくれる人は、いない。勿論、一緒に年を越こしたり、初詣に行く人もいない。そんな私にとって年末年始にすることは、ただひたすら、部屋に籠ることしかない。実家に帰ったところで「もう結婚したの?」だの「おばちゃん、お年玉ー」だの、人の心を抉るようなことしか言われないことぐらい分かってる。親に言われるのは、まだ分かるが、年に一、二回しか会わない遠い親戚にまで抉られるのは、なんだか癪に障る。残念ながら、結婚どころか彼氏もいませんよ。それに、私はまだ23だ。確かに、成人はしたけれども、早生まれだから間も無く24になるけれども、それにしても、一応、20代の乙女を捕まえて「おばちゃん」とはどういうことだ。兄よ、子供の躾がなっていないぞ。ちゃんと教育しなさい。
まぁ、そんなこんなで年末年始に実家に帰りたくないので、私はもう既に家に顔を見せてきた。年にお盆と正月の2回は顔を出すのが、うちの暗黙のうちの了解だ。ただ、最近はそれから2週間くらい前に帰っている。間違っても、遠い親戚と被らないように。兄の家と被らないように。懐の狭い叔母さんでごめんね。お年玉は、別の大人達から貰っておくれ。
今年の年末も例に漏れず12月の半ばくらいの週末に顔を見せてすぐに帰った。帰ったのだが、実家の隣の家に掛かる表札は『砂川』。そう、私がまだ舌足らずの声で喋っていた、あの頃からの長いお付き合いの砂川洋君のご実家です。そうなると、近所で砂川のお母さんとばったり出会うこともよくあることで、私の家と砂川の家の間の塀の前で長々と井戸端会議を始めてしまうこともよくあることだった。勿論、今回もした。定番の「最近どう?」から始まった会話は思った以上に、長引き、ご飯ができたと知らせにきたお母さんも途中参加をし、結局お風呂上がりのお父さんに止められるまで、3人で話をしていた。
次の日の朝、私は一人暮らしをしている部屋へ帰ろうとしていた時、隣の家から砂川のお母さんが紙袋を片手に、走ってきた。
「せっかくだから持って帰って」
そう言って差し出された紙袋の中は、カレーやオムライス、煮物などの家庭料理と、黒豆、伊達巻、数の子などのおせち料理が入ったタッパーが入っていた。私のお母さんも同じ事を考えていたので既に私の手にはタッパーの入った袋を持っていたのだが「若いんだから大丈夫。白ご飯とガーっと食べちゃいなさい」なんて、どこぞの体育会系男子にでも言いそうなことを言われ「そんなことないわよ。真澄ももうすっかり大きくなっちゃって」と、母に真意を聞きたくなるような事を言われ、いろいろ言いたいことは、あったのだが、電車の時間もあり、両手に紙袋を持って、家を出た。
部屋に着いて、机の上に袋から出したタッパーを並べて、改めて思った。
多い。
このままでは、確実に何個かはゴミ箱行きだ。
もったいないおばけを真面目に信じていたような年少期を過ごしてきた私の中には『食べ物を捨てる』なんてことは絶対に許されない。
食べきれないなら?どうする?
こうする。
私は携帯を取り出した。
そして今、私は駅前のファミレスにいる。大量のタッパーと共に。
一人で食べれないなら、誰かにあげればいい。どうせなら、この味を知っている人に。この味を誰よりも待っている人に。ということで私は、ここで待ち合わせをした。
私は注文したコーヒーを両手で包んで、開いた扉から入ってくる、あいつを見つめる。
あぁ、かっこいいなぁ…
この日に待ち合わせをする男女の関係が私たちにはないことを知らなかったわけじゃない。
こんな事をして、余計に虚しくなることを知らなかったわけじゃない。
それでも、傍から見ればカップルに見えたりするのかな。とか、お似合いに見えたりするのかな。とか、そんなことを夢見て、態々この日を選んだ。
実際に私が渡すのはプレゼントじゃなくて、お母さん達の手作り料理が詰まったタッパーで。私たちは、恋人関係ではなくて、ただの幼馴染。
そんなこと分かってる、あいつが私のことをそんな目で見ていないことも、あいつがには、恋人がいることも、この恋が実らないことも全部知っている。全部分かってる。それでも
私は、砂川洋が好きだ。
まだ私達が学生だった頃から、ずっと。
ずっと。
「ごめん、ごめん。待った?」
「別にー、今来たとこ」
「本当に今来た奴は、注文済んでないだろ。見え透いた嘘ついてんじゃねぇよ。しかも、冷めてるし」
コートを脱ぎながら、少し怒ったような顔をしているあいつに、激しく動く心臓がうるさい。
「じゃあ、なんて言うの?『うん、30分くらい待ったー』とでも言えばいいの?」
「ったく、可愛くねーの」
「昔からでしょー」
可愛くないことくらい分かってるよ。何回あんたの好きな女の子になろうって決断して、諦めてきたか。今更言われなくても痛いくらい知ってるよ。でも、仕方ないでしょ。こういう性格なんだから。
「で、なんか頼む?」
「ん、サンキュ。腹減ったー」
メニューを渡す時にお互いの手が触れ合っても、あいつはなんの反応も示さない。いつも通りのこと。物心ついた頃から、変わらない、いつも通りのこと。
「で、用って何?」
「あぁ、なんかねー。この前、ってか昨日?家に帰ったんだけど……」
メニューが決まったらしい砂川が、店員さんを呼びながら、私に聞いた。
いつからだろう。こうした、普通の動作でさえ、いちいち心臓がうるさくなるようになったのは。その後に襲う空虚感が苦しくてたまらなくなったのは。その苦しさを、笑顔という名の仮面を貼り付けて、隠し始めたのは。
「じゃーん‼︎って、程でもないけど、うちのお母さんと、砂川のお母さんと二人から貰っちゃって。もうすごい量でさ。このままじゃ、ゴミ箱行き?だから、お裾分けしようって思って」
「お裾分けって…えっ、これ全部?」
「うん」
「ちょっと、待てって。これだけでも結構な量なんたけど…」
「だから言ったじゃん。お二方から貰ったんだって。だから紙袋×2?」
「お……おぅ」
「あっ、でもごめん。私砂川の家のご飯も食べたくて、いろいろ取っ替え引っ替えしたから、それうちの奴も混ざってる」
「別にいいよ。というより、むしろ嬉しい。お前と違ってお前のお母さんの料理美味しいから。それより、これ2個って…。重くなかったか?すげー、力だな」
「色々、失礼じゃない?まぁ、事実だけど…」
「自分で認めて、どうするんだよ…まぁ、でも、ありがとう。有難く頂きます」
子供の頃から変わらない笑顔を向けられて、頬に熱が集まりそうになる。
「はいはーい」
隠れるようしにして、口にしたコーヒーが、さっきよりも甘い気がした。
そのまま、二人で話をした。
仕事の話。休みの日の話。昔の話。
子供みたいに笑って、大騒ぎした。こうして、ずうっと笑っていられると信じて、疑わなかったあの頃みたいに。
でも、やっぱり、あれが叶わなかったように、この時間もすぐに終わった。
不意にあいつのスマホが鳴る。
画面に表示される『浜野美波』の文字。
「わりぃ、出てもいいか?」
「どうぞー」
ここで「ダメ」って言ったら、砂川は出ないの?私以外の女の子と電話なんかしないでって言ったら、砂川は聞いてくれるの?
「了解。すぐ行く」
「……彼女さん?」
「あぁ。じゃあ、そろそろ帰るわ」
「ん。そっか。わざわざありがとうね」
「いやいや、こっちこそありがとう……ってお前、まだ帰らないのか?」
コートを着て、帰る準備をしながら聞いてくる砂川に芽生えた好奇心が私を余計苦しくさせることくらい知っていたのに、私は聞いてしまう。
「うん。……今からデート?」
答えなんか知ってる。
「あぁ、クリスマスだしな。夜に待ち合わせにしておいたけど、この前の約束ドタキャンしたから、今回はちゃんと行かないとな。これも家に置いてこないといけないし。そろそろ出ないと、遅れそう」
「それ最低。男としてより、人としてドタキャンはどうかと思う」
「分かってるって」
そう言って笑う砂川の笑顔に、私の心は空しくなる。分かってても、やっぱり、しんどいなぁ。
「じゃあ、行くわ」
「うん。バイバイ。来てくれてありがと」
「こちらこそ。じゃあな」
今までに何回、彼女に会いに行くあいつの背中を見送ったのかな。何回、その背中を引き止めようとしたのかな。何回、泣いたのかな。
消えた砂川の背中を見て、口にしたコーヒーは、やっぱり苦かった。
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テレビを見てもクリスマス。街路樹を見てもクリスマス。道ゆく人を見てもクリスマス。みーんな揃ってクリスマス。みーんな私の心を抉ります。やめて下さい。切実に。
まぁ、そんなわけで私はテレビもつけず、適当に作ったご飯(いつもは、お惣菜だけど、今日はお惣菜コーナーまでクリスマスに染まっていたから、何も買わずに帰ってきてしまったので、お湯をかけるだけで3分でできる文明の利器をフル活用した)を食べ、有給は明日までだったし、特にすることもなく22:00には寝た。別に早く寝たところでサンタが来るわけでもないのに。というより、来たら来たで不法侵入だし、ただの犯罪者には、110番して終わりだけどね。
明日の昼過ぎまで、寝たかったから特に目覚ましもかけず、ベットサイドでスマホを充電して寝た。
はずだった。さすがに大の大人が22:00から寝るのには無茶があったようで、結局一時間くらいベットの上でゴロゴロしていた。ようやくうつらうつらし始めて、寝れるかなーなんて思っていた時、突然ベットサイドからしたけたたましい音に意識が一気に覚醒した。
あぁ、もう、こんな時間に誰だ?早く寝ろって。サンタさんが困るでしょ。
体を起こすことさえ面倒で、とりあえず手だけ伸ばした。何度か外しているうちに、指先に硬い物を感じて、何とか掴む。うるさいスマホの画面に表示されていた『砂川洋』の文字。どうした。何か腐ってたのか。お腹痛いとか?私は、何もできないぞー。まさか、どうやって食べたらいいか分からないとか言わないでよ。確かに カレーもオムライスも冷凍してあったけど。チンすることくらい誰だってわかるでしょ。
「ん………はい、どうしたの………」
「こちら、◯◯病院です。先ほど、
砂川洋さんが交通事故に遭われました………」
え?
何?
交通事故?
「ご家族の方と連絡はとれますか?」
誰が?
どうなってるの?
「………っ。と…とれます。大丈夫です。はい。えっと……あぁ、連絡ですね。はい。了解です。えっと、電話、電話………イタッ」
足の小指を何かにぶつけた。
「えっ?電話どこだっけ?あぁ、違う。電話無いんだ。えっ?じゃあ、いっつもどうしてたっけ。え?あぁ、そうだ。スマホだ。スマホ。………スマホどこ?」
意識の向こうで、誰かが何か言っていたような気がした。
「あぁ、これだ。今、持ってる。で、え?なんだっけ?え?あぁ、連絡。連絡。誰にだっけ?そうだ、砂川の家。砂川………事故に遭った………◯◯病院…………病院………病院…行かなきゃ……‼︎」
私は、何も考えずに、部屋から飛び出た。
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そこから私がどうやって病院に行ったのか、正直分からない。
気付いた時には、ある部屋の前で呆然と立っていた。
「…はぁ、はぁ。…………っ、はぁ。」
あれ?何で、こんなに息が上がっているんだろう。
あれ?私、何しに来たんだっけ?
「……み…ちゃ……ます……」
あれ?私どうしてたこんなところ………
「…ん。…ま…みちゃん。ますみちゃん…真澄ちゃん‼︎」
「ふぇ?……あっ、えっ?砂川のお母さん?」
「うん。そう、砂川のお母さん。真澄ちゃん、一回深呼吸しよっか。大丈夫だからね」
あったかい笑顔で、私を腕の中に閉じ込めた砂川は、子供をあやすみたいに私の背中を優しく叩いてくれた。
「ほら、吸って。吐いてー」
「………あの…砂川……」
「ほーら!吸って、吐いて。すぅー、はぁー」
「すっ…すうぅー……はー………」
「すー、はー」
「すーっ……はー」
「すー、はー」
「すー、はー」
「うん。落ち着いた?」
「えっ……?あっ、あぁ。はい。……すみません…」
「いいのよ。洋のために、大慌てで来てくれたのよね。ありがとう。とりあえず座ろっか」
にこにこ笑いかけてくれる砂川のお母さんに、私は、だんだん落ち着いていった。
恋人でもない、ただの幼馴染の私が、こんなに慌てて来るって絶対不審だ。冷静になってくれば来るほど、自分が恥ずかしくなってきて、いたたまれない。
「あの……」
「真澄ちゃん。洋のこと心配してきてくれたのは、とっても嬉しいんたけど、靴は履いてきて欲しかったなぁ」
「えっ⁉︎」
慌てて下を見ると、私は裸足だった。そういえば、靴を履いた記憶が無い。というか、そもそも、外に出るような格好をしていない。全身部屋着で、上に何か羽織っているわけでもないし、だいたいスマホも財布も何も持っていない。私の部屋からこの病院まで3駅くらいあったような気がするけど……どうやって、ここまで来たんだろ?あれ?タクシーは、乗れないよね。それただの無賃乗車。そんなことしてない。電車使ったっけ?いやいや、定期も持ってないし、それも無賃乗車。あれ?ただ走った記憶しかないんだけど……
「ほら、足上げて。あーあー、もう。足の裏、傷だらけじゃない。お父さん、受付行って救急箱借りてきて」
「ん?そんなの貸して貰えるのか?」
「さぁ?分からないけど、病院なんだから何処かにはあるでしょ」
「そうだな。じゃあ行ってくる。真澄ちゃん、じっとしてるんだよ?」
「えっ?あっ、はい……え?」
頭を何度か、叩くというよりは撫でられて、向けられる笑顔に思わず返事してしまったけど、よく状況が飲み込めない。
馬鹿みたいに、ポカーンって口を開けて離れていく背中を見つめた。
「真澄ちゃん」
不意に呼ばれた声が、いつになく真剣な声だった。
私は、思はず背筋を伸ばして前を向いて、砂川と同じ、長いまつ毛に縁取られた漆黒の瞳を見つめた。
「真澄ちゃん。洋を心配してくれるのは嬉しい。けどね、それであなたも怪我をしたら元も子もないの。だからね、まずは、落ち着きなさい。パニックのまま行動しない。分かった?」
咎めるというよりは、諭すような声色に、じんわり視界がぼやけた。
「……うぅ…砂川がぁ………」
「大丈夫よ。あの子はそんなに柔じゃあないって知ってるでしょ」
「でも……でも…もし、もし………‼︎」
「大丈夫。私は、あの子のお母さんだから分かるもの。あの子は大丈夫よ」
いつの間にか私はまた、砂川のお母さんに必死で縋ってて、痛いくらいの力で抱きしめててもらってた。ポンポンと叩く手に背中を押されるように、私は声を上げて泣いた。
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きっと「心配しすぎだって」とか言って自分の足で手術室から出てくると信じてたのに、実際手術室から出てきた砂川は、そんな願いを叶えてはくれなかった。全身に包帯を巻いて、ぐったり寝ている。物心が着いた頃からはずっと一緒にいたのに、そんな砂川は、今まで見たことが無かった。本当にこのまま死んじゃうんじゃないかって本当に何度も思った。
けど、今回も私の思い通りにはならなくて、三日後、砂川は無事、目を覚ました。
その時に偶々、部屋にいたのは私だけだった。本当は、すぐに砂川の家に連絡をして、荷物を取りに行った砂川のお母さん達に伝えるべきだったんだろうけど、私は嬉しさの余りそんなことは、全部忘れて、砂川に駆け寄った。
「砂川‼︎砂川。大丈夫?ここ病院だよ。砂川、三日前に交通事故に遭って病院に運ばれて、今までずっと寝てたん…だ…………よ?」
あれ……?
なんか、おかしい。
駆け寄った時は、私のことを見てくれたけど、すぐに目を逸らして、部屋の中を見渡し始めた。その雰囲気が慣れ親しんだものとは全く違う。姿形は、確実に砂川洋そのものだけど、何か違う。
「砂川?」
呼びかけても全く反応を示さない。だからと言って無視をしているような様子でもない。
まるで、
自分が『砂川洋』であると忘れてしまったみたいだ。
自分の思い付いたことに、背筋が凍りついた。
違う、と。そんなことあるわけがない、と。否定したいのに思い付いた可能性があまりにも現実と合っていて、考えれば考えるほど、それが間違っていないと言われているようで、手足が震えた。
「砂川………」
お願い。返事をして。反応して。
今なら怒らないから。私をからかってるんでしょ。今なら許してあげるから。どうせ、すぐ「騙されてるー」とか言って笑うんでしょ。もぅ、冗談好きにも程があるよ。全く、ほら、早く言って。言ってよ。
砂川は、袖を引っ張る私を不思議そうに見た。
何も分かっていない、困惑した目と目が合った。
──この人、誰?
私は、こんな人知らない。私の知ってる砂川洋は、人のことを馬鹿にして、からかって、弄んで、いつも自信あり気に笑ってる、そんな人だ。私の待っている人は、私の好きになった人は、こんな顔しない。
不安。焦燥。危惧。期待。様々な感情が絡み合って私の心を支配していく。
その目の前で、砂川は口を開いた。
「………あなたは、誰ですか?」
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その後、砂川が検査を受けた結果は、砂川の記憶が抜けている。所謂、記憶障害であることを示した。目を覚ました時は、全部忘れてしまったみたいだったけど、それから徐々に思い出して、自分のこと、家族のことくらいは分かるようになった。けど、全部には程遠くて2〜3年単位で抜けている箇所があった。特にここ数年のことは全く思い出せないようで、自分が社会人であることは勿論、大学生時代のことも全く覚えていないみたいだった。だから、少しでも思い出せるよう、私の待っている砂川が帰って来るよう、私は時間の許す限り、病院に通って毎日昔話をした。伊達に20年近くも一緒にいない。時々、お見舞いに来た友達も一緒になって話すこともあった。砂川がそれで何かを思い出したことはなかったけど、それでも、私は病院に通わずにはいられなかった。
その日もいつも通り、病院へ向かった。今日は何の話をしようかな、なんて考えながら歩く道では、顔見知りも出来て「今日も楽しそうだね」なんて言ってくれる、お婆ちゃんまで現れ始めた。仕事の昼休みを利用していたから毎日スーツのままで病室に飛び込んでいた。手土産もなく「やっほー」なんて言って入ってる私をあいつは拒まなくって、いつも笑ってくれた。それが心地よくって私は思わず甘えてた。
「翔って…ほら、前、お見舞いに来てた奴、あいつがさ、全校集会サボってたの先生に見つかって、追いかけっこが始まってさ、生徒も全校集会そっちのけで、観戦しててさ、あれは面白かったなー」
「そうなんだ」
それから、何を話そうか。なんせ、24年も一緒に居たからね。思い出なら、いくらでもある。さて、黒歴史でも話してやろうか……。
「砂川?何してるの?」
不意に頭に重みが掛かって、意識を現実に戻すと、私の頭の上に手が乗っていた。
「ん?頭、撫でてる」
「うん…そうだね………え?」
いや、そういうことを聞いたんじゃないんだけど…。
「あの、なん……」
「真澄」
ますみ……?
砂川、私のことを下の名前で呼んでたっけ…。確かに幼稚園の頃は、お互い下の名前で呼んでたけど、中学くらいから周りの目が気になって名字で呼んでいた。それに……声の調子が、いつもと違う。今の声は、何か優しいって言うか、甘い……?
「ねぇ、俺らの話して。他の人の話じゃなくって」
俺らって……私と砂川の話?そんな、二人だけの思い出とか無いよ?ただの幼馴染だったから…。それ以上の関係なんて無かったから。
「二人で何処か遊びに行ったことはある?もしかして、二人で一緒住んでたりする?」
「え…」
ちょっと待って。
そんなこと無いよ。二人で遊びに行くなんてしてないよ。まして、一緒に住むなんて。それにそれじゃあ、まるで
「恋人でしょ?俺ら」
音が止んだ。
何もかもが止まってしまって、私の中で何かが冷えて行く。
世界は、思い出したように動き出したけど、私は指一本動かすことができなかった。頭が機能を失って、外の情報が何一つ理解できない。ただ、心臓の音だけが妙に大きく聞こえた。
「真澄?どうしたの?」
………恋人?誰が?誰の?
私が、あなたの、恋人?
「まーすーみー」
「………あぁ…うん」
ポンポンと頭を叩かれた。
すごく嬉しかった。
「何?」
「…ごめん、もしかして俺の勘違い?ここ数年のこと全然思い出せなくて…違ってたなら、ごめん」
あぁ、そうだ。今、砂川はいろんなことを忘れてるんだ。
夏祭りに行ったことも、スキーに行ったことも、学校でバカやったことも、私のことも──恋人のことも。
じゃあ、もし私がここで頷けば
「……違わないよ。私達──」
私の願い通りに
「恋人だったよ」
過去を変えられる?
。・°°・・°°・。。・°°・・°°・。
いけないことだって分かってる。
これが信頼してくれている砂川を裏切っていることも。その歪がいつか綻びに変わってしまうことも。こんな偽りに塗り固められた生活なんて何の意味も無いことも。全部分かってる。
全部、分かってる。
それでも、私は、
「真澄、おはよう」
この空虚な世界で生きていたい。




