六話目
ハグなんて、ちょっと仲が良ければするかもしれない。
人によっては、ハグくらいなんとも思わないかもしれない。
でも私にとっては、キス、いや、それ以上、それ以上のことに思えてしまう。
「よし、クラスも変わったことだし自己紹介しよう。俺も名前を覚えたいしな。じゃあ相田さんから、名前と何か一言お願い」
先生のそんな言葉で、相田さんが立って話し始めた。
いよいよ中学二年生が始まった。
この中学校は主に二つの小学校から進学してくるから、まだ話したことがない人もいる。
私は友達が多い方だと思う。
去年のクラスでいうと、半分以上は友達と呼んでもいいと思う。
今年のクラスでも新しい友達を作りたいな。
「金谷智樹です。えーっと、好きな食べ物はコロッケです。よろしくお願いします」
私は絹田だから出席番号が結構前の方だ。
もう私の自己紹介が回ってきた。
「絹田真衣です」
名前と一言付け加えた自己紹介を終え、後ろの人たちのを聞く。
私も含めみんな当たり障りのない、普通の自己紹介だ。
お調子者なんかは、おどけたりして笑いを取っているけど。
このまま一学期が始まると思っていた。
去年と同じように、友達作って遊んでいくんだと思っていた。
でも、あの自己紹介で私は変わった。
「高山綾香。一つだけ言っておく。私に近づくな」
将来思い出したら赤面必至だろうセリフを吐き捨て、すっと座った。
たぶんここで私の人生は変わった。
初日は授業はなく、午前中で解散になる。
先生がさようなら、と挨拶をして、今日はおしまい。
さっそく私は気になっているあの子に話しかけようと立ち上がると、あの子はそそくさとカバンを持って教室を出て行ってしまった。
「真衣、同じクラスになれてよかったね!」
「真衣、帰ろう!」
「あ、ごめん、今日は用事があるから」
追いかけたかったけど、ちょっと引き止められてるうちに見失っちゃった。
家に帰って、「高山綾香」のことを考える。
あんな自己紹介をするなんて面白いなあ。
どうしたら友達に出来るのかな。
とりあえず明日話しかけてみようかな。
お昼ご飯を一緒に食べたりできれば仲良くなれるんじゃないかなあ。
今日は午前中に集会や今後の予定の説明があって、午後から授業だ。
流石に集会中には話しかけられないから、お昼を狙おう。
「ねえ、一緒にお昼……」
あっという間に逃げられてしまった。
追いかけようかと思ったけど、私もお昼を食べないといけないし、席に戻ってクラスの友達と食べた。
他にも何人か私と同じ考えを持ってたみたいで、こちらの方に向かいかけてたけどみんなも諦めて戻っていった。
これくらいで諦めはしない。
次は3時間目と4時間目の間の休み時間を狙うことにした。
チャイムが鳴った瞬間に近寄ろうとしたけど、向こうもあっという間に教室から出て行ってしまった。
「真衣、どしたの?」
「ちょっとね……」
「あ、高山さん? 私も話してみたいんだけどねー」
「うーん、そうだね」
次の日も、休み時間を使って追いかけた。
でもちょっとでも目を離すとすぐに消え、いろんなところを探しても見つからなかった。
でも帰りの時、チャンスが訪れた。
たまたま入り口に人がたまっていて、教室から出られなくなっていた。
私は思いきって飛びつくことにした。
「高山さん!!」
「!?」
強く振りほどかれた。
もー、やめてよー、って感じではなく、やめろ!! という強い拒絶だった。
「あ、あの……」
「…………」
そのまま帰ってしまった。
自分で言うのもなんだけど、私は人から好かれる方だと思っていた。
いきなり飛びついた私も悪いけど、ここまで拒絶されるのはショック。
また同じことをしたら、同じように振りほどかれるだろう。
だから、しばらく観察することにした。
二週間くらい、じっと見続けた。
私と同じように近づこうとした人は何人かいたけど、みんな無視されるか近づくなと言われるだけだった。
そのうち、必要な時以外誰も話しかけなくなっていた。
高山さんは髪の毛がふわふわしていて、目つきが少し鋭い。
背たけは……飛びついた時の感じだと、私とあまり変わらない。
声は私より低いかな。
でも聞いていて心地よい。
「真衣」
「…………」
「真衣ー!」
「え、あ、ごめん。なに?」
「あはは、また高山さん見てるね」
「そんなに見てるかなあ」
「最近ずっと見てるよ。でも高山さんってよくわかんないよね」
「そうだね」
距離を置いて二、三週間くらい経ったある日、再びチャンスが来た。
「はいじゃあ、今日からサッカーをします!まずはペアになってパスの練習ね!」
高山さんの顔が一瞬歪んだのを見逃さなかった。
あれだけ普段距離をとっているんだから、ペアを組むような人はいないに違いない。
周りがペアを組み始める中、私は高山さんに駆け寄った。
一歩後ずさられるのも気にせず、私は誘った。
「私とペアを組もうよ!」
「え……」
ここで私を断れば、たぶん余った人と組むか先生とすることになるだろう。
断られることはないと思う。
私はそこにつけこんだ。
「……わかった」
「ありがとう! じゃあボール取ってくるね!」
集団から少し離れたところでパス練習を始めた。
しばらく無言が続く。
「ねえ! 綾香って呼んでもいいかな!」
「え…………どうぞ」
ちょっと怪訝な顔をされたけど、私は綾香と呼ぶことにした。
これをきっかけに、私は綾香と仲良くなるための行動を始めた。
ペアやグループになるような活動はできるだけ綾香と組んだ。
隙あらば抱きついた。
その度振りほどかれたけど。
そのうち、綾香は一緒にお昼ご飯を食べてくれるようになった。
机はくっつけないし、会話はほとんどないけど、それでもよかった。
最初は興味本位で近づいていたけど、次第に綾香が私の中で大きくなっていくのを感じた。
しかし同時に、私の他の友達は少し減っていた。
このクラスでの綾香の評価は変なやつで、それと仲良くしようとする私も変なやつと見なされかけていた。
でも、私はこの「たった一人高山綾香に近づこうとする変なやつ」という評価が全く気にならなかった。
それどころか、たった一人だなんて素敵だと思った。
だから、この状況は加速していった。
そしてある日。
「おはよう!」
「ちょっと」
私が綾香に抱きついて、それを綾香が振りほどく。
毎日何度もしている。
綾香は近づくなって言ってるけど、離れるつもりはなかった。
良い匂いもするし。
最近は綾香の振りほどく力も弱くなってきた気がする。
授業を受け、休み時間に飛びついたり話しかけたりして、お昼ご飯を一緒に食べ、午後の授業を受けて帰る。
いつもの1日だと思っていた。
今週の私と綾香は、掃除のために下駄箱にいた。
掃除をしていると、下駄箱の向こうから話し声が聞こえてきた。
「ねえ、高山って変じゃね?」
「わかるわかる! 近づくなってなんなのって感じ!」
「誰がお前なんかに近づくかってね! あとさ、真衣も最近おかしいよね。私付き合い考えててさあ」
「だよねー、私も真衣とちょっと距離置こうかなあ」
大体こんな感じの会話をしながら、声の主たちはどこかへ去っていった。
綾香の表情は見えなかった。
私が何か声をかける前に、綾香は走り出してしまった。
とっさに反応できず、すぐに見失ってしまった。
掃除道具を適当に放り込んで、私も走り出した。
この一ヶ月くらいで綾香のことはだいぶわかったつもり。
心当たりはある。
探し始めてすぐに、校舎の隅で見つけた。
「あーやか!」
いつものように後ろから抱きついた。
さっきのことは気にしてないというつもりで。
「やめて!!」
頭に衝撃が走った。
しかし比喩ではない。
物理的に衝撃が来た。
わざとか、それとも振りほどいたらたまたま当たったのかはわからない。
でも私は今、綾香に殴られた。
「あ……」
綾香が一瞬申し訳なさそうな顔をしたけど、すぐに戻った。
それほど強くなかったからすぐに姿勢を戻す。
しかしまだ混乱している私に、綾香が続けた。
「なんで私に構うの!? 近づくなって言ってるのに!!」
「なんでって……」
なんでだろう。
最初は、ただ普通に友達になろうと思っただけ。
いや、友達にしてみせるというゲーム感覚だったかもしれない。
「聞いたよね!! みんなあんなやつに近づきたくないって!!」
近づくなとか言わなければいいんじゃないかと思ったけど、黙っておいた。
「あんたも言われてるじゃん!! 私に構うから!!」
まさか綾香がこんなに大きな声で激昂するとは思ってなかった。
そして、綾香が涙を流すとは思ってなかった。
まあ確かに、付き合いを考えたら? みたいなことは言われたことがある。
四月の初めだったら考えたかもしれない。
「綾香」
一歩近づく。
「こないで」
一歩遠ざかる。
「綾香!」
さらに一歩近づく。
「こないで!」
さらに一歩遠ざかる。
「私は綾香のそばにいたい」
「そこから私に近づくな」
ここは廊下の端なので、数歩で綾香の後ろは無くなってしまった。
「綾香」
「や、やめ」
私は綾香を優しく抱きしめた。
正面から抱きしめるのは初めてかもしれない。
背中とは違う暖かさ、柔らかさがある。
今度は殴られなかった。
「私は他の人とは違うから。綾香と仲良くなりたい」
「…………離して」
「いつもみたいに振りほどいてもいいんだよ」
「…………」
しばらくこうして抱きしめていた。
綾香の呼吸が、だんだん落ち着いていくのがわかった。
「落ち着いた?」
「…………うん」
ふと、私は今まで気になっていたことを聞いてみることにした。
「ねえ、綾香はどうして近づいて欲しくないの?」
「それは…………」
言いよどんでいる。
もしかしたら、虐待を受けたとかトラウマみたいなものがあるのかもしれない。
聞かないほうが良かったかな。
「言いたくないなら別に……」
「……笑わない?」
「え? うん」
綾香は小さな声で言った。
「その、かっこいいと思って……」
「…………んふっ」
「笑わないって言ったじゃん!」
こんなの笑っちゃう。
もともと人混みが好きではなかったけど、思春期になって拗らせた結果がこれらしい。
そして、自己紹介で堂々と宣言してしまい、引っ込みがつかなくなったとのことだ。
まあ笑い事ではないかもしれないけど、私はしばらく笑っていた。
「よし、じゃあ帰ろっか!」
これにて一件落着。
まあすぐには変わらないだろうけど、綾香も人付き合いを考えるだろう。
そうしたら綾香は可愛いし、会話、あまりしてないけど、も楽しいから、すぐに友達ができるだろう。
それで良いんだ。
……心の奥の燻りは無視しなきゃ。
下駄箱に向かおうとすると、服を引っ張られた。
振り返ると、なんと綾香から抱きついてきた。
「その……ま、真衣! 真衣だけ私に近づいてきてもいいよ」
私の中で何かが爆発した。
「人に近づかれるのはいやだけど、真衣に抱きつかれるのはいやじゃなくなってきたと言うか……」
「…………」
いきなり真衣と呼ばれたことや、今綾香に抱きしめられていることより、「私だけ」真衣に近づいて良いということに私は反応した。
私からも抱き返す。
だんだん力が入っていく。
どんどん息苦しくなる。
私と綾香が混ざり合ってしまいそう。
私だけ真衣に近づけるんだ。
私だけ。
「私だけ……」
「ま、真衣、痛い」
背中をべしべし叩かれて、我に返った。
急いで笑顔を作る。
「ご、ごめんね! 綾香と仲良くなれたと思ったら嬉しくって!」
「いいよ。その、私も嬉しいし」
また抱きつきたくなるのをグッとこらえ、下駄箱へ向かった。
外はいつの間にかオレンジ色で、知らない間にかなりの時間が過ぎてたみたい。
完全下校時刻も近いから二人で急いで帰った。
次の日私たちが教室に入った時、朝のざわつきが一気に消えた。
私と綾香が腕を絡めながら登校してきたから。
あの綾香と真衣が。
みんなの視線も綾香の「は、恥ずかしい……」という声も無視して、綾香の席に向かった。
そして、椅子に座った綾香に私が抱きついた時、ざわつき始めた。
私が振りほどかれないから。
私が振りほどかれるのを、コントのように楽しんでいる人もいた。
でも、私が綾香に受け入れられているのを見て、みんな驚いていた。
今日1日、常に抱きついていたからクラスメイトは慣れたみたい。
でも、私たちがレズビアンなのではという類の噂が流れ始めた。
中学生にとって、同性愛は気持ち悪いか、面白可笑しいものという人がほとんどだと思う。
だから結局、私の友達はどんどんいなくなった。
でもいなくなったって構わない。
その穴を埋めて溢れるくらいに綾香が占めた。
お昼ご飯は一つの机で、食べさせあったりするようになった。
初めて行った綾香の家でテンションが上がって、二人で窓ガラスをうっかり割ってしまったのは流石にあせったけど。
綾香はいろんなスキンシップを初めは恥ずかしがっていたけど、だんだん慣れてきたみたい。
そして、どんどん私たちは浮いてきた。
私たちが嫌われ、避けられているのがわかった。
私は嬉しかった。
綾香が全世界の人々から嫌われたら、綾香には私だけしかいなくなる。
今や私しか綾香と話さないという事実に私は心が満たされた。
でも私たちは学生だ。
流石に学校生活に影響があるからと二人で考え、ちょっとずつ普通に戻していくことにした。
中学では無理だったけど、高校に入って人間関係がリセットされてからは普通に学校生活を送れていると思う。
綾香が他の人と話したりしているのは気に入らないけど、触ることができるのは私だけだったからまあ良しとしよう。
これは友情や愛情では無い。
独占欲だと思う。
私だけが綾香に触れられる。
世界中の誰にも触れさせない。
綾香は私だけのモノ。