学問のすすめ
大坂四商。
その名前を聞くだけで、高圧的な役人は忠犬のように静かになり、借金持ちは影に姿を消し、街商人は談合してその対策を練るほどの存在である。
しかし、今から十年ほど前その四商を相手に怖じけずくことなく、渡り合った幕府の役人がいた。
名を福沢百助という。
鷹の子は鷹。その息子は親を越える存在となる。
全国寺子屋(中高統一)模試では常に関西一位。
西の怪童と恐れられた吉田松蔭と唯一渡り合える存在だった。
日本最大手の藩校である長州(山口県)の明倫館の首席である吉田松蔭が松下村塾を開けば、彼は僅か二十二歳にして適塾懐徳堂(大阪大学)の最年少の塾頭となった。
吉田松蔭が攘夷を示せば、彼は幕府手動による開国を説くといったように、その思想も真逆の方向へと突き進んでいく。
その人物は、幕府からのアメリカ留学組のメンバーに名を連ねたことで、今は西洋諸国の資料の翻訳、通訳者としても幕府側の重要人物となっていた。
その名を、福沢諭吉という。
公開講義は『学問のすすめ』という題目で、福沢諭吉が西洋でトレンドになっている蒸気機関技術の説明、語学の重要性と勉強方法を教えるという物になっていた。
さすがに名の通った先生の講義ということで、普段は歌舞伎で使われる大きな劇場を貸しきったものの、受講者は千人を越え、立見客が出るほどだった。
「そもそも、英語には敬語という概念がなく、例え相手が目上の人物であろうと自分の意見を伝えられる文法になっているんですね。だから翻訳すると相手が強気に迫って来ているようにも聞こえますが、Open the port。彼らはこの表現しか知らないんです。一方で日本語は遠回しの表現のバリエーションが恐ろしく富んでおり、相手に物を言うときでもその人物と状況を考えみた上で、本音と建前を幅広く使い分けることが出来ます。何故、日本語はそういうややこしい感情すら表現出来てしまうのかというと、はい、次のスライドに行ってください。そうです。我々はこの小さな島国で生きて行かないといけないという特殊な地理状況にあるからなんですね。昔から村八分という言葉がありますように、日本人は本音を押し殺してでも相手を傷付けてはいけない、何故ならそうしないと生命体として生きていくことが出来なくなるかもしれないからです(CV:池上彰)」
福沢諭吉が事前の配布資料を読み上げながら講義を続けている。
講演のタイトルにもなっている『学問のすすめ』に則り、何故学ばなくてはいけないかということに一貫していた。
史記を音読し、神童と呼ばれるが如何に意味もないことか、大事なのことは無知を知り、何故学ばなくてはいけないことなのだと。
二百年の鎖国の間で西洋諸国が積み上げていった航海術、ルネッサンス、医学、化学、法律、語学。
今すぐに学ばなくては星の数ほどあり、一刻も早く古い学問を捨てなさいということを連呼をしていた。
「さらに、今入ってくる物を取り入れるだけではいけません。西洋諸国は今は産業革命の真っ只中のため、せっかく学んだこともすぐに古い概念になります。古くなったら捨ててまた新しいことを覚えなくてはいけません。しばらくはそのサイクルを続けながら、この非常に特殊な文化である日本人が何が出来るのかということを模索しなくてはいけないんですね(CV:池上彰)」
周囲を見渡すが、寺子屋の日常と違ってあくびなどをしている者は一人もいない。
あさは前列で諭吉先生の発言の要所要所を単語として抜き出して、それを線で引っ張ってマインドマップを作成していた。
かく言う僕も、ノートにメモを走らせるのに必死だった。
実際にアメリカを見てきてる人なので、英語の勉強法などは非常にためになる。
「あ、ちなみに現在、英語初心者向けに入門書を執筆してるところですので、もし完成した暁には皆さん購入していただければ幸いです。文法だけではなく、聞きや喋りなどに置いても重要な点を押さえていますので」
それはそれは、絶対に買わないといけない。
三時間に及ぶ講義が終わると、受講者は一斉に移動を始めた。
情熱のある受講者は、諭吉はんの前に並んで質問を重ねている。
あさと僕はその少し前に移動を始めて入口近くに陣取って、そこで勝塾の入学紹介になるパンフレットを配りはじめた。
そのパンフレットにはばばんと『世界に羽ばたける環境』『西洋の最新技術が学べる』『最高の仲間に巡り会える』といったキャッチコピーが並べられていた。
しかし、誰でも勝塾に入れるわけではない。
パンフ下の応募要項には三度の面接と数学、測量技術、語学、医学、天文学の筆記。
半年の授業二両(二十五万円)という現実に引き戻されるような条件が列挙されている。
しかし、しかし、最初のキャッチコピーは決して誇張広告でないことがそれから続く詳細情報によって証明される。
列挙された弊塾の強みを見てください。
『実際にオランダ船の蒸気船を触ることが出来ます』
『蒸気船の仕組みを学ぶことが出来ます』
『オランダ人ネイティブによる語学の講義があります』
『剣術や日本史の座学などは全く存在しない、ただただ西洋の最新技術を学ぶだけの場だ』
分かる人にはこれほどにない魅力的な場所になっているはずだ。
さすがに福沢諭吉の座学に来るだけあって、パンフに興味を持つ人の数は少なくなかった。
一通り資料に目を通した後、質問をしてくる生徒もいたり、結構な年配の方であっても『わしでも入れるのか』とか聞いてきたりするのだ。
あさはこういう熱い人を見ると瞬間沸騰するので、本来の目的である勝塾の学生公募と関係ない熱い議論を始めたりする。
尊皇や開国から始まり、天皇の意義から、西洋文化の話まで、藩校かって突っ込みたくなるような議論を立ちっぱで続けるのだ。
「そもそも徳川自体が一橋派と南紀派の真っ二つに別れていて、これが徳川のリーダーシップの欠如を証明しているに他ならない。外国と向かい合わなくてはならないときに、味方に寝首をかかれないか心配しながら行動しないといけないのだ。また開国が進む上で輸入品によって失われる職業がないかということにも気を配らないといけない。こんながんじがらめで政策が前に進むわけがない」
「違う。井伊直弼の示した自由貿易は、そういう古いしがらみを全部捨てて、この国に自由競争の概念を持ってくることやったんや」
「日本人が交渉で外国と渡り合えるものか。この国は他国を封鎖し、独自の倫理観を育むことで何百年もの平和を保ってきたのだ。それを外に開いてしまえば、我々の良心はあっという間に諸外国によって食い物にされてしまうわ」
「だから何や。ずっと鎖国を続けることが出来れば、なんて仮定を持つことに何の意味もあらへん。もう舵は切られていて、誰もそれを止めることは出来へんのや」
「違う。攘夷でも開国でもない、我々の活路を見つけばならんのだ」
あさが通りすがりの論客と熱い議論を交えている。
居酒屋で酔い潰れたサラリーマンが組織のあるべき姿を語り合ってるようにも見えるし、単にオタがぱるる派かまゆゆ派で言い争っているだけのようにも見える。
ただ僕が出来ることはROMってるだけなので、そこの議論の背景でせめて見苦しいオブジェにならないようだけを心掛けた。
「おうおう、熱い議論が繰り広げられてると思って声をかけようと思ったら、なんだ、今井家と加野屋のぼっちゃんじょうちゃんじゃねえか」
振り向くと、そこに勝海舟が立っていた。
「あ、勝先生。今日来られてたんですね」
「来られてたんですねって、福沢とは一緒にアメリカ行った関係だよ」
そうだった。勝先生と福沢先生はチーム徳川の選抜隊、悪くいえば人柱隊としてアメリカの土地に足を踏んだ数少ない日本人の一人だった。
この時代のアメリカなんてシリコンバレーもウォールマートもないわけで、イギリスから独立したのもほんの百年前のこと、まだ耕地に更地だろ、何を恐れることがあるかカウボーイと思うのは、この島国で知ったかくんを美しく着こなす井の中の蛙。
アメリカはイギリスの分社みたいなものだが、今や本社に並ぶ世界最大の企業になろうとしていた。
蒸気技術の発展により、前時代の馬や人を使った単純作業は瞬く間に全自動に置き換わり、土地は日本の比にならない程にあるわけで。
また、その広大の土地に眠っているエネルギーの総量は他大陸の比べものにないほどなのだ。
携帯電話といいゲームといい、今も昔もアメリカ人は伸び代を見つけると、あっという間にその髄までしゃぶり尽くしてしまうのだ。
「勝先生は、このまま神戸に戻るんですか?」
「いや、せっかくだから挨拶でもしに行く」
「あ、そうですか」
「お前達も来るか?」
「ええんですか!?」
それを聞いてあさは万歳し、僕は落ちそうになったパンフレットを見事に拾いあげる。
「福沢もすぐに関東に戻るだろう。そうはない機会だから挨拶ぐらいしといたらいいだろう」
「ええんですね! ホンマにええんですね!」
棚からぼたもちとはこのことか、何と勝海舟に福沢諭吉を紹介して貰えるというのだ。
とはいえ、台上に目を移すと、そこは人気ラーメン屋かというぐらいの行列が出来ていた。
情熱の塊のような学生、ただのサインが欲しいだけのミーハー、お前の言うことは全部間違っとると連呼する頭のおかしい論客まで様々だ。
「あれやと、二時間待ちやな」
「なあに、待合室で待っていればいいことだろう」
勝海舟はなんてこともないという表情で、関係者向けと書かれた通路に足を進める。
僕らは静かにその後ろについていく。
待合室に入って、飛び上がりそうになったのは誰でもない僕だった。
そこに背を伸ばした凛々しい正座で構えていたのは、福沢諭吉の弟子でもなければ、この講演の関係者でもない、他でもない僕の知り合いだったのだ。
「な、なんで雁助がここにいるんだ」
「それはこちらの台詞でもあるのだが。福沢先生の父上は幕府の役人で、加野屋とも長い付き合いのある人物だ。その方に挨拶に来るというのは全く不思議な行為ではないと思うのですが。むしろ貸し付けなどを全く行わない、新次郎殿がここにいるのが不思議でしょうがないであります。そこを説明して頂こうか」
そう、そこにいたのは加野屋の大番頭である雁助だった。
「うっ、そ、それは」
「いえ、顔その並びから状況は容易に想像がつくが」
「おう、雁助。相変わらずの口ぶりやな」
「あさ殿もお元気そうでなによりで」
「そちらこそ。何や、焼き付け金の回収においても『これ』なんかとか比べものにならんくて、後継者争いでも頭一歩抜けてると聞いてるで」
あさが言う『これ』とは、言うまでもなく今井家次男である僕のことだ。
「貸した金が焼きつくのは銀行屋にとって一番恐るべき事態であり、絶対に起こしてはいけないことだ」
「そうやな。けどもそのやり口がちょっと気になってんねん」
あさがそう言うと、加野屋の大番頭である雁助は不思議そうな表情を浮かべた。
「何か」
「ホンマかどうか知らんけども、風の噂では金の回収のやり口が結構えげつないってて聞いとるで。相手が根を上げるまで通い詰め、ときには武力行使も辞さんって」
「これは。今井家の才女とも呼ばれるあさ殿が不思議な随分とことを言う。一番えげつないことは借りたお金を返さないことだろう。建物であれ、私財であれ、それを売っぱらってでも、最初の契約に従うのが法律社会の基本だろう」
そう煽られ、あさの目が鋭く光った。
「金を貸したのは、そこに先見の目があるからと思ったからやろう。それは貸す方にも責任があるんやろ。それを見込がなくなった瞬間に、すべてを引きはがすのは人の仁義としてどうやねん」
「いいように言っているが、単に金貸しとして見切りが早いか、我慢出来るかの性格の違いだけだ」
「その言葉をそのまま帰すわ。貸し付けの回収に置いて、武力行使に出るなんてどういう了見や」
「貸した物を予定通り返そうとしない。それでいて、回収する方が悪扱いとはね」
仁義の今井あさに、理詰めの雁助。この言い争いはいつもの流れだった。勝海舟はただ渋い表情を浮かべていた。
「なんだ、福沢の挨拶に来たと思ったら、関西の身内のやり取りに巻き込まれちまったか」
「いや、勝先生。これはそうあることではないんですよ」
「そうだな。新次郎殿は大坂に戻られても、店に顔を出すことはほとんどないので」
「おい、雁助。そんなことはないぞ。この前も実家に顔を出して、父上と色々な話をしたところだ」
「適塾入りを許され、嬉々とした足取りで家を後にしたと聞いたが」
「うっ」
そう言われると、ぐうの根も出ないわけで。
「雁助はシンジが実家に就職やのうて、進学の道も考えてるのには反対なんか」
「反対をしているわけではないが、現場の現実を知ることが加野屋の跡取り候補として一番大事なことだろう。数学や統計などは教科書だけではなく、仕事をしながら自然に学ぶものだ」
「福沢先生の話は聞いとったんか」
「いや。直前まで仕事が入っていたので、挨拶にだけ参った」
「そうやろうな。そやないとそんな言い草にはならんやろうからな。福沢先生が講義で言われてたんは学ぶことの意味や。これからこの国には西洋の学問や、物、概念が入って来る。外国との自由競争が始まれば、今井の名も、加野の名も単なるハリボテでしかあらへん。自由競争の時代はすぐそこまでやって来てるんや。その中で、学ぶことをせんかったらうちらは外人さんと徳川の時代の知識だけで戦うことになるんや」
「イギリスの犬になって、日本にアヘンを輸入する売国奴にならなければいいかな」
「対等の関係。それだけは絶対に譲らん。あくまで欧州とは対等の関係でビジネスを行う」
「出来ればいいがな」
「だからこそ学ぶ。鎖国の間に築きあげた差を埋めなあかんのや」
勝海舟がどことなく楽しそうな表情を浮かべ、あさと雁助の議論を眺めている。
僕はいつものように静かにROMりながら、感情を押し殺してその様子を傍観する。
すると、あさが突然僕の方を振り向いて、鋭い目で睨みつける。
「おい、シンゴ。うちは勝塾に入る。お前も入れ」
「ええっ! 今入ってる京都の寺子屋はどうするの!」
「申し訳ないけど今月一杯で辞めさして貰う」
「それだったら適塾(大阪大学)でもいいんじゃないの」
「福沢先生がおらんなら、通ってもしょうがないやろ。それよりも勝先生のおる勝塾の方がええ」
それを聞いた勝海舟が笑みを浮かべた。
「人材派遣会社は?」
「それは続ける。うちの食い扶持でお膝元の情報源でもあるからな。火、木、土、日は京都で仕事。月、水、金は神戸に通って勉強や」
あさはスーパーキャリアウーマンの鏡とも言うような眩しい光を放っていたが、僕としては週休零日か、マジという気分だった。
そのうち、人材派遣も規模を縮小して、今井あさ塾を開くとか言いしそうだ。
「相変わらず話を強引に進める」
「決断が早いと言ってもらえるか」
「京女は保守的だと言うのにな」
「単純なレッテル張りは止めて貰ってええかな」
「まあ、加野屋にはいないタイプだな。どこかで窘められるか、潰されるだろう。その性格に新次郎殿が惹かれるのも分かるが」
「ななな、なんで僕の名前がそこに出てくるの」
「学問に呆けるのもいいが、父上の好意で自由に動けていることに感謝するのだな。本分は加野屋の後継ぎ候補であることをお忘れなく」
「も、もちろんだとも」
そんなやり取りをしていると、珍しく雁助の目が突然見開いた。
振り向くと、そこには一人の人物が立っていた。
「おや、話は落ち着きましたか」
言うまでもなく、その方とは適塾(慶応義塾)創設者である福沢諭吉先生だった。