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かんぱに経営責任者☆白岡あさ ~あさが来た、その前に~  作者: 山本醍田
第一章・尊王攘夷編(1864年/あさ15歳)
4/22

井上真央の旦那

 いつもの場所に集合、は京都三条木屋町にある池田屋に集合という決まりごとだった。

 ここの九条葱をふんだんに使ったねぎ焼き、伏見の酒蔵から直送の日本酒は絶品で、高台寺と見た後にここに来ないと京都に来た感じがしないのである。



 ただし、色々あって我等の長州(山口県)攘夷派は半年前に起きた「八月十八日の政変」にて見事に京都から出入り禁止を食らっていた。


 京都に入ることもままならない状態である。



 とは言え、指をくわえて長州でぬくふわしているわけにはいかない。


 高杉晋作が中国留学に行ったとき、アヘン戦争で負けた美人チャイ子達が変態西洋人相手にコスプレをさせられていた光景を目にしたのだという。

 こうしている間にもイギリスやアメリカは日本の隙を見つけ出し、どう植民地にするか、奴隷化するか、ロウソクに赤色下着を両手に大和なでしこにどんな羞恥プレイをするかといった妄想に耽っているのだ。


 自分は吉田文(井上真央)という奥さんに貰うことが出来た。

 それが、外国の変態共に実権を奪われたら何をされるか分からない。

 我ら大和撫子をそんな変態外人に渡すわけにはいかないのだ。


 そんな崇高な思いを基に、出禁後も機会があるごとに京都や大坂に忍び込むということを繰り返していた。


 最近は新撰組なる連中が京都全域をうろついているため、昼間に見つかってしまうと追い回されることになっていまう。

 そのため今は太陽が沈んでから池田屋にこそこそと集まり密会を行うことにしていた。


「これで全員ですか」


 参加者は十二人。

 全盛期の半分程度の人数とはいえ、よくこれだけの人数が集まったと思う。


「まあ京都は攘夷にはとっては随分居心地の悪い街になったからね。それでもこうやって会を開くこと自体にも意義があると思うよ」


 頭に白髪を散りばめ、落ち着いた口調で淡々と話す、どことなく仙人風の雰囲気を佇まいを携えた人物は、攘夷七皇筆頭の宮部鼎蔵である。

 今は亡き吉田松陰先生と共に、外国を渡り合うための日本像を語り合って来た、最古の攘夷派の一人であり、我々の癒し系でもある。


「というわけで、第三十四回攘夷派ミーティングを行おうと思うんだね」


「はい、よろしくお願いします」


 皆が頭を下げる。


「まず開国後、日本の景気がずっと落ち込んでいる件なんだけども」


「そもそも海外では金と銀の交換比率が1対15が世界標準になっているにも関わらず、阿呆幕府は1対5というトンデモレートで開国を決めました。これを為替ハーレムと見たハゲタカが次から次へとやってきて、日本のインフレは深刻になってきています」


 すかさず突っ込みを入れるのは、松下村塾で肩を並べた高杉晋作だった。


「貿易とはただ開けばいい物じゃあないからね。相手が欲しがる物を高く売って、こっちが欲しい物を安く買う。貿易の原理原則だよね。ただ、江戸幕府は最初の前提ルールを間違った物にしちゃったんだよね」


「早くも西洋諸国に国内を蹂躙されており、このままだと日本はあっという間に彼らの植民地になってしまいます」


「とはいえ、闇雲に外国人を斬るのも答えじゃないよね」


「西洋諸国と言いますが、その中身は一枚岩ではありません。イギリス、フランス、アメリカは互いが互いに牽制している状態です。彼らを利用して、外国と渡り合う力をつけることが大事だと思います」


「毒を以て毒を制するという考え方で、やっぱり日本はまだ武器やら船を作れる技術はないわけだから活路はそこしかないと思うよね。一方で、誰と組んで誰と対立するか、そこには幕府も一枚噛んでるわけで、その判断ややり取りは難しいところだよね」


「いずれにせよ、今のままだとどの国も取り合ってくれません。まずは西洋諸国に日本の力を示すにも、実力行使から始めるべきだ」


 高杉晋作が発言をすれば、無意識に発言を重ねてしまう。

 こうやって白熱した議論を繰り返していると、かつての長州の松下村塾の頃を思い出してしまう。


 あの時は吉田松蔭先生を囲んでいたが、今は宮部鼎蔵先生になっていた。


「けどもここの議論を見ても分かるように、我々攘夷も最近は次の一手に困ってるよね。天誅組、生野の変。最近はどちらかという革命家というより、暴走大好きの過激派、テロリスト扱いになってきてるよね。さて、どうしたものかと考える間もなく今度は天狗党が大爆発。後ろを見れば、第二、第三といつ爆発するかわからないような予備軍が行列をなしてるわけで、思わず目を覆いたくなるこの状況を何とかしないといけないよね」


 そう言われると、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、桂小五郎、来島又兵衛といった尊王七皇の草莽たる顔ぶれが、ただサイレントモードになるばかりだった。

 ここにいる顔ぶれがどれだけ立派なものだろうが、ここでどれだけ正論を並べようが、現実は天狗党の暴走一つを食い止めることも出来ないのだ。


「今日はちょっとしたお話があるんだよね」


 俺も、高杉晋作も頭をあげていた。


「話、ですか?」


「そう、わざわざこんな勉強会をやるだけなら長州でも土佐(高知)でもいいわけだからね。危険を伴う呼びかけでも集まれる強い意志を持った人達に相談したかったんだよね」


 今日の召集は、宮部鼎蔵先生からの提案だった。


 そうでなければ、京都でこれほどの出席率は実現しなかっただろう。


「その話とは?」


 高杉晋作が、恐る恐る尋ねた。


「次の一手に関してだよね」


 喉の音が鳴った。


「次の一手……と言いますと?」


「岩倉具視という人物を知っているかな?」


 名前だけは聞いたことがあった。

 天皇の権力を取り戻そうとする、側近の中でも過激派で知られる人物のはずだ。


「水面下でずっと交渉を続けていたんだよね」


 その言葉に、その部屋にいた誰もが感嘆の声を漏らした


「天皇のひざもとの人物と、ですか?」


「そうだねえ。幕府の目をかい潜りながら接近するのは大変だったよ。ロミオとジュリエットだよね」


「何の……ためにですか?」


「帝を長州に連れていけないかなと考えているんだよね」


 そのトンデモ発言を聞いた部屋の誰もが、目を大きく見開いた。


「孝明帝を、長州にですか?」


「そうだよ。他の攘夷が暴走する前に大義を立てないと、僕らは本当にただのテロリストになっちゃうからね」


 そう言って宮部鼎蔵先生は呑気な表情で、お茶を静かにすすっている。


 そんなのんびり先生が出した案は、朝廷と組むという発想を飛び越え、帝を長州に呼び寄せるというものだった。


「帝が徳川幕府を倒すべきと宣言すれば、各地で倒幕の動きが活性化します」


「君達の大好きな楠木正成だよね。権力を好きなままにしていた鎌倉幕府を倒すために立ち上がった後醍醐天皇。勝てるわけなしと誰も声をあげなかった中で、楠木正成は僅かな兵で幕府の大群を蹴散らし続けた。やがて日本各地で倒幕の動きが起こり、遂に鎌倉幕府は滅ぶわけだね」


「長州で、千早城と同じことをするというのですか」


「そうだよ。楠木は当時の戦いに捕われない、ゲリラ戦で幕府の大軍を圧倒したんだ。僕たちはヨーロッパの武器を使って同じことをすればいいんじゃないかな」


 宮部鼎蔵先生はひげをもしゃもしゃと触っている。


「ですが、どの国と組むべきかというのは、先ほども議論にあったように慎重にならなくてはいけません」


「僕個人としてはイギリスがいいかなと思ってるんだよね」


 その提案に誰よりも早く反応したのは、清(中国)の惨状を見た高杉晋作だった。


「イギリスはアヘンを使って清を骨抜きにした国ですが」


「それは、どのイギリス人とやるかによるんじゃないかな。僕ら日本人でも話の分かるにもわからないのもいるように、日本人とうまくやれるイギリス人もいると思うんだよね」


「アテがあるのですね」


「そうだね。今日は忙しくて来られなかったんだけど、とある土佐の子にイギリス武器商人との仲介をお願いしているところだよ」


 何者ですか、という質問はしなかった。

 まだ始まったばかりで手探りの段階なのだろう。


 そして、それを伝えるために今回の会合を開いたのだ。


「いやあ、ここの九条ねぎの田楽はいつ食べても絶品だねえ」


 宮部鼎蔵先生は先ほどまでの話がちょっとした雑談だったかのように、淡々と食を楽しんでる。

 そして、その人物から提案された内容は、外国を使って幕府を倒すという攘夷派の筆頭とは思えないような柔軟な考えだった。


 まるで吉田松蔭先生を相手にしているようで、その先どこまでが見えているのか想像もつかなかった。


 先ほどのの提案に対して、各々が考えごとをしているようだった。


 静かになった部屋に、三条通りの賑やかな声が入ってきた。




 昼下がり、僕とあさは壬生寺を訪れていた。


「ほい、これが新選組に入隊希望を出してる者のリストや」


 分厚くなった冊子を、あさは近藤局長のデスクの上に置いた。


「思っていたよりも、ずっと多いんですね」


「最近は京都も物騒になってきて、力自慢が増えてみとるみたいやで」


 近藤局長はリストをぺらぺらとめくり、ときより眉をひそめたり小さくほうと声をあげたりしていた。


「気に入った者がいれば連絡をさしあげればよいのですね」


「そやで。よろしゅうな」


 近藤局長は、静かに書類を眺めている。


「最近の京都の事情はどうや?」


「既に京都から攘夷派は一掃されてますので、安寧な日々が進んでいるように見えます。起こる事件といえばせいぜい飲み会での揉め事や、万引きぐらいです」


「なら気楽なパトロールやな」


「今はそうですが、過激派の攘夷がこのまま静かでいてくれるとは思いません」


「ほう、どういうことや?」


「幕府指名手配の最上位と思われれる浪士らが、京都に入ってきているようです」


 それを聞いたあさの眉が、ぴくりとあがった。


「気になる話やな」


「そうですね。ですが、天誅といったテロリズムの横暴、天狗党の暴走などで既に彼らは大義は大きく失っています。次に何かやらかせば長州の信頼は地に落ち、攘夷の自然解体は避けられません。もはや変な動きは取れないはずです」


「追い詰められたネズミが、猫を噛むこともあるで」


「そうですね。そして、だからこそ我々が立っているわけです」


「打ち払う自信があるんやな」


「そのために、わざわざ関東からやって来ましたから」


 あさは満足そうな表情で立ち上がった。


「ほな、そろそろ失礼するとするわ。色々な話を聞けてよかったわ」


「あささんは長州組の動きを把握しており、それを我々に確認するためにやって来たのだと思っているのですが」


 それを聞いたあさは、にやりと笑みを浮かべた。


「また、ちょくちょく顔を出させて貰うわ」


「助かります。我々にはこの京都の地に頼れる者はほぼ皆無の状態ですので」


「おう。これからも京都の護衛をよろしゅう頼むわ」


 そう言って、外の稽古場で修練を一通り見た後、正門から外に出て行った。



 桜はすっかり散り、半袖生活を予測させる心地よい風が拭いていた。

 しかし、残念なことに心地よい時期は瞬く間に過ぎ去って行き、九州人ですら真っ青になるような灼熱地獄がすぐにやって来るのである。


 壬生寺から四条烏丸に向かって二人で歩いている。


 傍から見ると仲睦まじいカップルが京都デートを楽しんでいるように見えるのだろう。

 どんな会話をしているのだろうと近けば、聞きたくもない京都の雇用状況を根掘り葉ほり聞くことが出来る。


 我ら人材派遣会社今井あさは、職業斡旋の仕事で小金を稼いでいた。


 人たらしのあさの本職とも言える仕事で、さらに親の名前も平気で乱用するため、闇の世界、大手企業、幕府までと幅広い相手とやり取りすることとなった。そして、僕自身もあさの手伝っていくうちに京都の内情にどんどん詳しくなっていく。


「どうや。京都と大阪で商売のやり方はちゃうもんか?」


「そうだね。大坂の方が活気があって状況は日々変化するけど、京都はその間逆かな」


「保守的っつうてるわけやな」


「悪くいえばそうだね」


 その後、何件かを店を周り、七つ下がり(午後四時)になろうかという頃、ふと背伸びをして肩を回そうとすると小藤さんが後ろを歩いているのが視界に入った。


「あれ、小藤さんが来てる」


「そやで」


「いつからいたの?」


「ちょうどさっきからや」


 とはいえ、小藤さんは僕らの会話に参加するわけではなく、一メートルほど後方を歩いているだけだ。


「え、何、小藤さんが合流するってことは、物騒なところにでも向かうの」


「怖いこと言うなや」


 いや、こっちだって怖いことを言いたくないわけで。


 小藤さんは伊賀忍者の開祖である百地三太夫の末裔のくの一で、護衛や暗殺術においては一族の歴史を辿っても肩を並べる者は数えるほどと言わしめるほどの人物である。

 天正伊賀の乱以降もネットワークを脈々と張り巡らしたお陰で、日本全国で起こった事件は小藤さんのところにやってくるのだ。


 誰にも言ってないことだが、去年、攘夷派の天誅組が京都に跋扈したとき、あさは小藤さんを引き連れて連中を撃退しようとというとんでもないことを試みたのだ。

 そして、これこそ絶対に言えないことだが、小藤さんは何と天誅組が住まう旅館に忍び込み、二人を毒殺しているのだ。


 だから、これから行くところでも何があるか分からないのである。

 手に浮かんだ汗を何度も拭いて、呼吸を整える。


 辿り着いたところは、記憶にない河原町の団子屋だった。

 新しくオープンした店なのか、店内は綺麗で、広いが随分と混み合っていた。あさが席取りに向かったので、整理札を待って列に並ぶ。


 従業員が団子をこねている光景をぼけっと眺めている。

 あれ、そういえば空気の立ち位置である小藤さん除けば一応二人っきりで甘味処に来てるわけで、デートみたいな物なのかな、みたいなことを考えてるいい匂いと共にお盆が出て来た。

 それを運びながら、あさが座っている席に腰かけた。


「ここ、何?」


「言問団子いうて、外山佐吉ちゅう関東人が始めた人気の団子屋や。つい先日、京都で関西第一号のフランチャイズ店がオープンしたところでな」


「ふうん、何。今度はここを相手にビジネスでもしようと考えているの?」


「いや、そんなマネーマネーした話は後にしてや。うち女子やし。女子っていったら甘い物に目がないわけやし」


 もはや突っ込みどころしかない発言だった。

 女子力という言葉がこれほど似つかわしくない人物がこの関西にいるのだろうか、いやいない。


「じゃあ小藤さんも甘い物目当て?」


「そりゃそうやろ」


 そんな訳がない。

 この二人が揃うのは黒猫が並ぶ程に不吉な知らせがあるということである。


 小藤さんは長州藩の不可解な動きを把握していて、新撰組もそれを把握していた。


 この団子屋に、何かがあるのだ。


 岡田以蔵の再来と呼ばれた伝説の人斬り抜刀斎が現れたか、京都を焼き払おうとする攘夷派が集まったのか、それとももっと別の動きがあるのか。


 そんなことを思いながら周囲の様子を伺うが、何一つ不可解な様子はない。

 忍び込んだ長州の藩士どころか、そもそも客の大半は女子か女子に連れられたヤサ男しかいない。


 ふと、遠巻きに座っている小藤さんを覗くと、既に三個目の団子に手を出していた。

 視線を横のあさに戻すと四皿目が既に空になっている。


 まさか、そんなことがありえるのか。


 トドメに近いのははつ姉を店内で見かけたことだった。

 お盆に溢れんばかりの団子を皿に盛り、こちらの姿を見るや否や満面の笑みで手を振ってくる。


「え、本当に単なるスイーツ巡りなの」


「そう言うとるやんけ」


 はつ姉は合流するや否や、目をきらきらに光らせながら言問団子の味を噛み締めていた。

 僕はただ拍子抜けしたまま、やたらとうまいおやつを口にしていた


 店を出ると、河原町の活気のある声が飛び込んで来る。

 気がつけば小藤さんの姿は消えていた。


「わたしはこのまま家に戻るけども、あさはどれくらに帰ってくるの」


「晩御飯までには戻るつもりって言っといといて」


「分かったわ。新次郎くんもあんまり無理しないでね」


 二人で事務所に戻った。


 あさは再び事務作業を再開するが、僕は先ほどの反動か魂が抜けた人間のように横たわっていた。


 一段落がついたのか、あさが独り言を呟きはじめた。


「そいや、時間があれば勝先生のところに通っとるんやけど」


「うん」


「勝先生も海軍塾を開いとって、今優秀な塾生を探してるんよな」


「まあ、ご西洋技術は科学にしても医学にしても学ぶことが多いわけで。優秀な学生は誰もが喉から手が出るほど欲しいよね」


「で、そっちの人探しも協力されてもうたんよ」


「あ、そうなんだ。でも、あさって神戸にツテなんか皆無だよね。ちゃんとふたつ返事で断ったんだ」


「いや、受けたけど」


 さすが僕らのあさ。僕らが出来ないことを平気でやってのけるシビれるぅぅぅ!


「って、どうすんのさ」


「まあ、そこらの寺子屋の成績優秀者に、適当に声掛けってたらええやろ」


 それはいい提案ですね。

 全国一位の美女に声掛けられて、何だろうとホイホイと付いて行ったら思ったら、他塾の勧誘ってわけで。


 どっかの駅前で壺とか絵画を売るような物みたいなものだろうか。


「あ、そいや新次郎って大坂の適塾懐徳堂(大阪大学)から声がかかったって自慢してへんかったっけ」


「自慢じゃないけど、まあありがたいことにそういうオファーは受けたよ」


「その話はどうなったん」


「さすがに無視するのは失礼だろうってことで、一回だけ挨拶にいったよ」


「へえ、どうやったん?」


「平均年齢は僕らよりは二、三ぐらい上で、話が面白くて頭のいいお兄ちゃんが多いって印象かな」


「そこの学生を引き抜けへんかな」


「声かけて貰ったばかりの僕にそれを言うのは、さすがに酷でございます故」


 そこまで言いかけて、伝えないといけない大事なことをすっかり忘れていた。


「あのさ、あさって来週末って空いてる?」


「何やねん突然。忙しいけど都合がつかんことはないで」


「あのさ、適塾懐徳堂の前学長がちょうど今大坂に戻ってきてて、その日に講演授業があるんだった」


「講演授業?」


「そうそう。で、公開講義だから誰でも参加出来るし、そこだと学生さんいっぱい来てるからいくらでもヘッドハント出来るんじゃないのって思った」


 それを聞いたあさは目を細める。


「っていうか適塾の前学長さんって、勝先生と一緒にアメリカ行った人やなかったっけ……」


「そうだよ。今は蘭学塾(慶應義塾)の学長をやってて、今回大坂に戻ってきたのはこっちの人気講師を江戸に連れていくのが目的みたいでね」


「ええと、確か名前は…」


 あさがその名前を出そうとするも、ど忘れしたのか珍しく喉元でつまっていた。


「言おうか」


「いや、もうここまで出てんねん。思い出すからちょっとだけ待っとれ……ええと、福で始まる名前やねん……ヒントもいらんからな……ええとな、確か、確か、おっけ、思い出した」


 あさが人差し指をずばっと僕に向けたので、僕は感情のこもってない声でおめでとうと言った。


「福沢諭吉さんや!」



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