激動の幕末
(注釈:本作に登場する言葉遣いや単語は、翻訳者によってすべて現代風に書き換えられており、比喩表現のために当時は存在しないはずものまで出てきますが、何卒ご了承ください)
「人間ってのは、生まれた時点でおおよその運命は決まってるもんだ」
あら。
いきなり、随分なことを言い切ってしまうんですね。
そんなことを、ドヤ顔で言い切ってしまうとですね、あの、大変申し訳ないですが……言いにくいことであるんですが……
あ、ほら。
ほらほら。
皆さん言いたいことがたくさんあるみたいですよ。
貧しい家の生まれで塾にも行けなかったけれど、独学で有名大学に行けた。
母子家庭だったけれど、有名企業に入社出来た。
高卒だけども社員が百人いる企業の社長だ。
いじめられっ子だったけどプロボクサーになれた。
学校の成績はいつも最下位だったけど趣味がこうじて年収二千万ある。
偏差値三十だったビリギャルの私でも慶応に受かった。
はいはい、分かってます分かってます。
もちろんそれも実にごもっともな意見でありんす。
努力で人生は変わる、考え方で人生は変わる。
それを否定するつもりは毛根ほどもありません。
……
けれど結局のところ、成功ってのは、努力が結果に繋がるような『運』に恵まれたってことであって。
つまり図にするとこんな感じ。
努力 ⇒ 運(=世間が審査) ⇒ 成功
でもさ、それって、努力に対する見返りがあるような社会を、今の日本って国が作ってきたってことなんだよね。
昔はそんなことなかったわけよ。
例えば、鎌倉時代末期。
ここでは応仁の乱、地震、飢饉、天災と厄災四天王が次々と降臨。
国が一丸となって困っている国民を支えますといった表明もあるわけなく、生まれた瞬間に、
人・生・終・了
なんていうことも、よくある出来事なわけで。
頑張れば夢は叶うなんて発言自体が夢。
そもそも明日を生きるための食事がないわけで、そんな状況で夢なんか持ちようがないわけで。
盗っ人になるか、餓死するか。
そんな世も末な状況だったからこそ、親鸞は南無阿弥陀仏を唱えたら誰でも極楽浄土に行くことが出来る、なんて超論法を打ち明けるしかなかったわけで。。。。
ま、何が言いたいかって言うと、生まれた時代ってのはかなり大事な要素の一つなんだってこと。
今だって、偉い人たちが汗を流して世の中のバランスを調整しようとしてるけれど、それでも就職活動の年がたまたま不景気だったり、志望校の倍率が世間の流行で乱高下したりとか、人生に結構な影響を与えそうな出来事が乱数として振ってきたりもするんだから。
で、僕が生まれたのは、二百年続いた平和な徳川幕府が崩壊して、新しい政府が生まれるという文明開化の鐘が鳴り響いた時代。
何でそんな時に生まれたんだってツッコミたくもなるけれど、生まれる時代は選べないってのは本当に真理なんだよね。
さて、それではこの物語の始まり始まり。
文久三年(1864年)
人生でこれほど勉強したことがあるだろうか、いや無い。
と、思わず反語で強調したくなるほどに、今回の缶詰は凄まじいものがあった。
毎夜徹夜状態が続き、意識が飛んだ回数も数えきれない。
円周率や三角関数の値は頭の中に刻み込まれ、太平記や史記はほとんど音読出来るほどになっていた。
年に二度ある、全国寺子屋共通模試。
蝦夷(北海道)から九州まで、受験者を数えること、四万人。
今朝、その結果がようやく張り出されたのだ。
僕の成績は700点満点の692点。
その中で、僕の順位は『七位』だった。
一体、どれほどの人間が、この結果を不満に思うことがあるだろうか。
しかし、しかしだ、僕はただこの世の中のいや、神の非情さというものを嘆かずにはいられないのである。
その理由は、その上にいた一人の人物のせいであった。
一位、698点 今井あさ(京都校)
僕のその数字を見つめながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
思えば、物心が付いた頃から、あらゆる英才教育を叩き込まれてきた。
書道、剣道、そろばん、舞踊、和歌、etc……
当然初等教育では、向かうところ敵無し。
ライバルと呼べるような存在は、大の大人か同じ血を分けた兄弟以外考えられないだろうと思っていた。
しかし、中等寺子屋への進学と共に、この謎の生物は突如として僕の目の前に現れた。
初めは未来人なのだろうかとも思った。
そうでなければ、同じ期間を過ごした人間に、これほどまでに圧倒されることなんてありえないことだからだ。
もしくは、体が小さくなる新薬を投与された大人のどちらかだ。
そう思うほどに、今井あさのファーストインプレッションは圧倒的だったのだ。
それでも、敵がどれほど強大であろうが立ち向かうのが、大坂最大手である白岡家の宿命なのである。
それから僕は、無我夢中で勉学を重ね続けた。
己の矜持をかけて、人生で最初にぶつかった壁に体当たりを続けた。
しかし、こんなにも努力を重ねても、こいつには届かないのか。
壁はピクリとも動かなかった。
「お、どうしたんや新次郎。この世の終わりみたいな顔して」
今最も聞きたくない忌むべき声、僕を苦しめる最たる原因が、能天気な音調で僕に話しかけて来る。
顔を上げると、能力ステータスはほぼすべてがSSS、レア度は言うまでもなくSSR、そして当然のように恵まれた風貌まで兼ね備えた今井あさの姿が視界に飛び込んできた。
「あっ、あさっ!」
名を呼ばれた今井あさは、こちらを見て訝しい表情を浮かべた。
「いきなり大声出して、何やねん」
「お前……この模試の結果、どういうことだ」
問題数から考えれば、失点二というとは僅か一ミスということだ。
これは試験内容を事前に知っていたか、賄賂でも贈って点数をあげてもらったか、替え玉を使ったのか、そのどれかだとしか考えられない。
というか、そうだと言ってくれ。
お願いします。
そうでなければ、僕の精神はもう普通じゃいられないじゃないのだ。
「模試?……ああ、全国模試のことか、別にいつもと一緒の結果やんけ」
そう言われ僕は、ただ呻き声をあげるしかなかった。
いつものこと。
そう、それはそうなのだが、それを言われてしまうともはやぐうの根も出なくなってしまう。
だからもう少し反論する余地を与えて欲しい。
「ちっ、違う。お前っ、一体いつ勉強してたんだ。俺ははっきり言って死ぬほど勉強した。七日七晩、いつ太陽が昇ったかも覚えてないくらい理解と暗記を重ね続けた。論語を一字一句頭に叩き込んだ。それでもミス三つに分からなかったのが一つで八失点だったんだ」
「いや、特別に勉強とかしてへんし。つうか、よくそんなモチベーション続くな。共通模試なんて答えが決まっとって、解答のミス探しをするだけのもんやろう。そんなもんに何の意味があるんや」
いや、お前そんなこと言っといて一ミスしかしてないじゃないか、というのは完全に不毛な議論。
これ以上質問を続けることは、赤っ恥を重ねる以外の何物でもないのだ。
「おい新次郎。そんなことよりまた面白いビジネスを見つたんや」
あさは、そう言って口元を不気味に歪めた。
何がそんなことよりなのかということはおいといて、今までの経験上、あさがこういう表情を浮かべるのはだいたいが不吉な予兆である。
引きずりまわしにあうことが恒例なのだ。
「つうわけで、事務所に行くで」
「ぎゃあ、痛い。耳を引っ張らないで」
向かうところは四条堀川の、建物なのか廃墟なのか区別がつかないボロアパートだった。
噂では応仁の乱の戦火で周囲一帯が焼け落ちた中、何故かこの建物だけが残り、それからリフォームを一度も経ることなく今に至ったという代物である。
文化遺産の類なのは間違いないが、誰もそのことを気に留める様子はない。
入口には「人材派遣会社今井あさ」という凛々しい墨字で書かれた看板が掲げられており、それだけで僕は一人合点がいった。
ちなみに先日ここに訪れた時は「豚肉運送会社」という名目だった。
部屋に入ると、外から射し込む光が埃を照らし出し、ある種の神々しさを醸し出していた。
「さてと、こっからが本業や」
あさは書類をドンと並べて、それに目を通し始めた。
それに倣って何故か書類に目を通す僕。
ここまであさから説明は一切なく、やることは見て覚えろというスタンスのようだ。
あさが次に始めようとしているビジネスは、人材派遣のようだった。
転職希望の人達のエントリーシートと、こういうスキルの人材が欲しいという企業の資料が別々に並べられている。
「これって、企業の要望に合う候補者をリスト化して、企業に持ってって、興味のある人を聞く感じなの?」
「そうや。採用判断を持つのは企業側やからな。会社が興味が持った人間がおったら、インタビュー開始や」
お見合いみたいなもんかと思い、再び書類に目を通す。
しかし、さすが京都だけあっていろんな人が来るもんだと思った。
年齢、出身地、技能、アピールポイント、過去の履歴などを見ているだけでも多種多様で面白い。
「しかし、よくこんだけの人の情報を集められたね」
「コネがあるあるって自慢しててもしょうがないやろ。それをうまく使ってなんぼや」
今井あさは、僕の実家ほどではないもの、京都の名家である今井十一家の一つ、小石川今井家の娘だ。
京都はご存知の通り伝統を愛する保守的な地なので、県外の人では決して手に入らない情報が地主のところに集まってくる。
なので外から入ってきた者が新しい動きを見せようなどとしたものなら、権限ある老害の方々が全力で止めにかかってくるのだ。
たぶんあさは老害に取り入りつつ、その隙間を縫うようなことをやってるのだろう。
腐った体質を見るとすぐにぶっ壊したくなる衝動に襲われる人なので、頭の中はいつ上の首を取るかで一杯なはずだ。
「とりあえず区分けしてみました。確認お願いします」
「おう、見せてみ」
僕は立ったまま、あさが紙をめくる様子を見ていた。
あさの顔立ちは悔しいほどに見ても飽きないのだが、眺めているとそれに相当する嫉妬心とライバル心と畏怖心が混ざり合い、自分でもよく分からない混沌とした感情が胸を渦巻くのである。
「さすが、白岡家の次期総裁の候補だけはあるな。頭でっかちに勉強しとるだけじゃなくて、人を見る目もあるがな」
そう言われると胸がぽかぽかと熱くなる。
先ほどまでの複雑極まりない感情に、新入生が加わって喜怒哀楽が跋扈する魑魅魍魎の教室となった。
「ちなみに、これってどうやって儲ける仕組みになってるの」
「面談がうまくいけば、いくらかのマージンを貰えることになってる」
「それって一回きり? 継続的に収入が入るわけじゃないんだよね」
「そうや」
「それってあんまり割に合わなくない?」
そう言うとあさはしかめっ面で顔をあげた。
「新次郎、ええか、この世に簡単に儲ける方法なんてのは存在せえへんのや。みんながその日食ってけるように、汗水垂らしながら必死になって生活してるんや。うちらも同じや。みんなと同じように、飯食うために頑張らなあかんのやで」
あさは若い割にやたらと年寄りっぽい説法を好み、その言葉にはいつも妙な説得力があった。
僕も帝王学を学んできたが、あさのように言葉に重みを出せない。
しばらくすると、あさはそそくさと正装に着替え始めた。
「新次郎、ちょっと出かけてくるから、準備を整えろ」
「出かけるってどこに?」
「先日、壬生寺に住んでいる浪人連中が、うちの実家に挨拶しに来よったんや。言ってることがおもろかったんで、ちょっと帰り際に声かけてな。で、盛りあがって今度遊びにいくわって言うたところやったんや」
あさの面白いという表現は、クレイジーと天才の間の境界にいるか、もしくはその両方ということを意味する。
しかも、あさの表情がかなり高揚しているのが分かったので、それに比例するように僕の不安心も増していく。
「ちなみに、何ていう……人達なの……?」
さて、出て来るのは、尊王攘夷の長州人か。外国人か、はたまた宇宙人か。
「新撰組ちゅう、東京モンや」