地上げ屋かぶれ、銀座を綴じる
一九四五年、四月十六日。
本郷、工藤邸の隠し蔵。前日の夜に銀座の地下から剥ぎ取ってきたプラチナや鉛の塊が、泥にまみれて鈍い光を放っている。
サオリはiPhoneの画面を指で弾きながら、腕組みをして金属の山を見下ろしていた。
「……ケンジ、念のため確認だけど。品川のあたりって、当時どんな工場があったの?」
『えっと……記録だと、航空機の精密部品とか、弾丸を作ってる軍需指定工場が集中してますね』
「なるほどね。……ありがとう、切るわ」
サオリは画面を暗くし、シケモクを吹かしている工藤を振り返った。
「工藤さん。昨日、川崎と蒲田のあたりが派手に焼けたわよね。品川の工場地帯も無事じゃないはずだけど……あそこの工場主たち、今どうなってると思う?」
「どうもこうもねえよ。軍からの厳しいノルマがあるのに、空襲で資材はパーだ。納期に間に合わなきゃ『非国民』扱いで憲兵に引っ張られる。今頃、首を括る準備でもしてるんじゃねえか?」
工藤の言葉を聞いた瞬間、サオリの「営業職」としての血が騒いだ。
「……それよ。納期が迫っているのに、在庫がない。これって、私たち(売り手)にとって最高のブルーオーシャンじゃない」
「ブルー……なんだって?」
「営業の基本よ、工藤さん。一番高く買ってくれるのは、今まさに『それがないと死ぬ』って焦ってる客なの。……このプラチナと鉛、今すぐ品川の工場に持ち込んで。相手の足元を見て、言い値でふっかけてきなさい」
ただの小娘だと思っていたサオリの口から出た、あまりに冷徹な商売のロジック。工藤は一瞬呆気にとられたが、すぐに腹の底から愉快そうに笑い出した。
「……ヒヒッ、違えねえ。お嬢の言う通りだ、相手の弱みを握った商売ほどボロいもんはねえな。……だがお嬢、相手から毟り取るのは『現金』じゃねえぞ」
「え? 現金じゃないと、銀座の土地を買うときに困るじゃない」
サオリの疑問に、工藤は首を横に振った。
「お嬢、相変わらず数字には強ぇが、今の現場のことが分かっちゃいねえ。現金なんて、いつ紙屑になるか分からねえ時代だ。銀座のジジイ共を本気で『落とす』なら、現金と一緒に**『米』と『酒』、それから『タバコ』**を揃えな」
「酒とタバコ……?」
「ああ。品川の工場の裏倉庫には、上官の機嫌を取るための特級酒や『光』が隠してあるはずだ。絶望してる地主に、それを突きつけてみな。理屈じゃねえ、喉が鳴る音が聞こえるぜ。……現金なんてのは、その後のハンコを押させるための口実だ」
サオリは一瞬、計算外の事実に眉を寄せたが、すぐに納得したように口角を上げた。二〇二五年のデータと、一九四五年の欲望。その二つが今、完璧に噛み合った。
「……面白いわね。工藤さん、その『弾薬』、明日の朝までに揃えられる?」
「俺を誰だと思ってんだ。瑞穂屋の看板と、パニックになってる工場主を脅せばワケねえよ」
その日のうちに、工藤は品川の軍需工場を回り、資材不足でパニックになっていた工場主から、サオリの狙い通り大量の物資を毟り取ってきた。
翌朝。蔵には山のような日本銀行券に加え、一級品の日本酒、大量のタバコ、そしてズッシリと重い米俵が積み上がっていた。
「……さあ、弾薬は揃ったわね。銀座を飲み込みに行きましょう」
サオリはiPhoneの画面を極限まで暗くし、二〇二五年のGoogleマップと、ケンジが復元した当時の土地台帳を交互に睨みつけた。
「……工藤さん。この四丁目の交差点から裏路地に入ったエリア、ここを『一気に』獲るわよ」
サオリが指し示したのは、老舗の和菓子屋、呉服店、そして小さな袋物屋が並んでいた一角だった。今はすべて瓦礫の山だが、二〇二五年の地図では、そこは誰もが知る巨大な商業ビルの跡地になっている。
「お嬢、バラバラの土地を数軒買ったところで、何の意味があるんだ? 焼け跡にペンペン草を植えるのかよ」
「意味はあるわ。……一つひとつの土地は小さくていびつでも、隣り合う土地を全部繋げて『長方形』にすれば、価値は跳ね上がる。……この時代の地主たちは、自分の土地を『点』でしか見ていない。でも私は、ここを一つの『面』として買い取る」
工藤は、サオリの冷徹な「図面」に思わず唸った。
「……地上げか。お嬢、二十歳そこらで、不動産ゴロのようなことを考えやがる」
数時間後。サオリと工藤は、銀座四丁目の瓦礫の山に立っていた。
まずは角地の和菓子屋の主人。サオリは、iPhoneで確認した「境界線」に沿って声をかけた。昨日の城南大空襲の知らせに、主人は魂が抜けたようになっている。
「旦那様。昨日の川崎の火柱、ここからも見えたでしょう? ……次はここよ。五月になれば、銀座の土地なんて一俵の米にもならなくなるわ」
サオリの予言のような脅しと、川崎壊滅の恐怖。そこに工藤が絶妙なタイミングで、封を切ったばかりのタバコの香りと、一升瓶を突きつける。
「十五万円、それに米五俵。おまけにこの『光』と特級酒だ。……どうだい、この焼け野原を抱えて心中するか、この『お宝』を持って田舎に逃げるか」
酒の香りとタバコの煙。そして目の前の圧倒的な現金と米。主人の理性を繋ぎ止めていた「先祖代々の土地」という意地が、工藤の教えた『欲』の弾薬によって音を立てて崩れ去った。
「……あ、ああ。分かった。あんたは仏様だ! これがあれば、家族を救える……!」
主人は泣きながら、土地の権利書をサオリに差し出した。
最初の一角が崩れると、あとは早かった。サオリはすぐさま隣の呉服屋、その裏手の地主へとターゲットを移す。
地主たちは最初は渋っていたが、隣の主人がサオリの提示した「相場の三倍の現金と酒」に目がくらんで印鑑を押したと聞くと、雪崩を打つように崩れた。
「あ、あいつも売ったのか? ……なら、俺だけ持っていても仕方ねえ。瑞穂屋さんは仏様だ、この灰の山をそんな高値で……!」
夕刻。サオリの手元には、五軒分の土地の権利書が揃っていた。
それぞれは小さな、形の悪い土地。だが、それらを繋ぎ合わせると、二〇二五年の銀座において数百億円の価値を生む、完璧な**「黄金の長方形」**が浮かび上がった。
「……エグいな。地主に感謝されながら、銀座のど真ん中に自分だけの『王国』を築いちまった」
工藤が呆れたように笑う。サオリは手に入れたばかりの権利書をカバンに収め、冷ややかな微笑を浮かべた。
「安値? いいえ、彼らにとっては『救済の最高値』よ。……工藤さん、これでようやく『一画』。銀座を丸ごと飲み込むまで、手は止めないわよ」
サオリは、灰に汚れたヒールで、自分のものになったばかりの「領土」を力強く踏みしめた。瓦礫の山の下で、未来の巨大利権が、静かにサオリの手の平に収まろうとしていた。
――その一方で。
銀座の焼け跡には、煤混じりの風に乗って、妙な噂が立ち始めていた。
「瑞穂屋の『スーツの女』が、米俵と一升瓶を積んだ黒いトラックで、銀座の四隅を切り取って歩いている」
疎開資金に窮した地主たちは、彼女を『救済の女神』と崇めて縋り付き、利権の匂いに敏感な闇市の住人たちは、容赦なく境界線を引くその姿を『死神の地上げ』と囁いた。
だが、その異常に精緻な買い方に、ある者たちは気づき始めていた。
境界も戸籍も消失し、誰もが「今日」を生きるのに必死なこの焦土で、なぜあの女だけが、迷いなく『境界線』を引けるのか。
彼女が買っているのは、ただの土地ではない。
その歪なパズルの先に描かれた、**『数十年後の未来』**そのものではないのか、と。
焼け残ったレンガ塀の影から、軍帽を深く被った男が、走り去る漆黒のトラックを無言で見送っていた。その手には、サオリが買収した「長方形」の図面が、殴り書きで写し取られている。
銀座の**「ヌシ(主)」**たちが、動き出そうとしていた。




