フェイク・エアレイド(偽りの空襲)
キィィィィィィッ!!
静寂を切り裂くように、表の通りで急ブレーキの音が響いた。
瑞穂屋の門前に、煤けた九四式自動貨車が三台、砂煙を上げて横付けされる。
「憲兵隊だ! 隠匿物資の疑いがある。開けろ!」
荒々しい怒号とともに、泥だらけの軍靴が瑞穂屋の清潔な板間を蹂躙した。先頭に立つのは、憲兵曹長・佐藤。先月の三月十日、銀座を焼き尽くした火の海から逃げ延びた彼は、以来、極度の神経過敏に陥っていた。その眼光の裏には、「老舗の瑞穂屋なら、隠し持った酒や米があるはずだ」という卑しい飢えと、いつまた空から死が降ってくるか分からないという怯えが透けて見えた。
工藤が腰の漆黒のドスを握り込み、指の関節を白くさせる。だが、サオリはその背中を指先で制し、上着の懐でiPhoneの液晶を音もなく点灯させた。
「……曹長さん。瑞穂屋に御用でしたら、まずはこの『お囃子』を聞いてからになさいませ。戦時下の不躾な訪問者には、相応しい歓迎がございますの」
彼女は、座敷の隅に置かれた旧式の蓄音機へ歩み寄る。ゼンマイを巻くふりをしながら、サウンドボックス(針のついた円盤)を素早く取り外し、剥き出しになった導音口の穴へ、iPhoneの底面スピーカーを力任せに押し当てた。
サオリが画面をタップした瞬間、iPhoneの電子音が、蓄音機の真鍮製の大きなラッパの中で反響し、物理的な増幅を経て部屋全体を震わせる咆哮へと変貌した。
ウゥゥゥ、ウゥゥゥ――ッ!!
四月の穏やかな夜を切り裂く、空襲警報のサイレン。三月の惨劇を経験したばかりの佐藤にとって、それは理屈を超えた「死の宣告」そのものだった。
「なっ……バカな、防空監視哨は何をやっている! ラジオの速報はどうした!」
佐藤が動揺し、腰の軍刀をガチガチと鳴らす。無理もない。この時代の日本において、サイレンの音は生存本能を直撃する呪詛だ。
「あら、これは最新の探知機と連動した電信ですわ。ラジオが鳴るのを待っていては、銀座は二度死にますもの。……曹長さん。聞こえませんこと? 奴らが、すぐそこまで迫っておりますわよ」
サオリは、動画サイト『GooTube』から事前にダウンロードしておいた、ノイズまみれの緊急放送音源を再生し続ける。蓄音機の巨大なラッパがメガホンの役割を果たし、iPhoneの音を「地獄からの布告」のような爆音へと変えて響き渡らせる。
(『――各隊、直ちに原隊へ復帰せよ! B二十九の大型編隊が瑞穂屋上空を通過中! 繰り返す、直ちに退避せよ!』)
「曹長! 蓄音機から軍の緊急命令です!」「ここにいたら直撃を食らいますぜ!」
部下たちがパニックに陥り、土足のまま後退りし始める。サオリはその混乱を冷徹に観察しながら、よろめく佐藤の耳元へ死神のように顔を寄せた。
「(……曹長さん。命とトラック、どちらが惜しいかしら? 早く行かないと、あのお空の野犬たちに、またあの夜のように焼き殺されてしまいますわよ?)」
佐藤は、回ってもいない蓄音機のホーンから響き続ける「未来の音」に、もはや理性的な判断力を失っていた。目の前の女が、人間ではなく何か不気味な神託を下す化物に見えたのだ。
「撤退だ! 各員、トラックを捨てて防空壕へ走れ!!」
軍靴の音が無様に遠ざかり、瑞穂屋に再び静寂が訪れる。
門前には、エンジンがかかったままのトラック三台と、貴重なガソリンのドラム缶が残されていた。まさに「棚ぼた」の物流資産、復興RTAに欠かせない機動力だ。
「……ったく。腰抜けの野犬どもが。尻尾を巻いて逃げていきやがった」
工藤が門前の闇を睨みつけ、鼻で笑った。だがその直後、アイドリングを続ける三台の鉄の塊を直視した瞬間、彼の眼光がぎらりと濁った。
「……おい、お嬢。これ、頂いちまおうぜ」
工藤の喉が、欲望で鳴った。
「憲兵の野郎、パニックで鍵も抜かずに放り出しやがった。……こいつがあれば、銀座の瓦礫だろうが資材だろうが、好きなだけ運べるぜ。瑞穂屋には縁のねえ『足』だが、俺の蔵に隠しちまえばこっちのもんだ」
サオリは、工藤のその浅ましいまでの生命力と、現場での機転を冷徹に肯定した。
「……嘘じゃないでしょう、ハナ。これが『情報という名の資源』がもたらす結果よ」
サオリはiPhoneを懐に収め、闇の中で鈍く光るトラックの列を眺めた。
高卒のサラリーマンだった自分が、二〇二五年では決して手にできなかった強引な「力」。それを今、この時代の悪党が目の前で拾い上げようとしている。
「工藤さん。あなたの言う通り、これは瑞穂屋の台帳には載らない、私たちの『足』にしましょう」
サオリの口角が、勝ち誇ったように上がる。
「戦後復興のRTA……ここからが本当の始まりよ」




