死の街のナビゲーター
煤煙の幕を切り裂くように、私たちは歩き始めた。
だが、数歩進むごとに工藤の足が止まる。見慣れたはずの本郷の街並みは、一晩で巨大な炭の山へと姿を変え、崩れた家屋が路地を完全に塞いでいた。
「……チッ、ここも通れねえか。火の気が残ってやがる、大きく迂回するぞ」
工藤が焦れたように舌打ちし、引き返そうとする。その行く手を、私は手で制した。
「工藤さん、左よ。……そこ、突き当たりの蔵が崩れてるけど、脇に一人通れる隙間があるわ。そこを抜ければ、大通りを避けて裏へ出られる」
工藤は眉をひそめ、私を睨みつけた。
「……お前、なぜそんなことが分かる。ここは俺の庭だぞ」
「あんたの庭は、もう地図が変わっちゃったのよ。……いいから、私に従って」
私は耳元のAirPodsから流れるケンジの声に全神経を集中させた。ハナは私の袖を力任せに引っ掴み、震える声で噛みついた。
「……ねえサオリさん、ホントに大丈夫なんだろうね? こんなとこ、いつ野垂れ死んだっておかしくないよ。あんた、さっきから誰に話してんだい……ずっとブツブツ言って、不気味だよ……!」
ハナには見えないケンジの声が、私の脳内に直接響き続ける。
『――サオリさん、左側の蔵は基礎がしっかりしてるから、崩落しても隙間が残ってるはずだよ。そのまま進んで。……あ、待って、その先の大通りは憲兵が封鎖してる。右の路地に入って!』
「……止まって! 右の路地へ入って。早く!」
瓦礫の山の向こうから、銃を背負った軍服の男たちが現れる。
彼らは救助などしていない。パニックで血走った目を剥き、死体の山を蹴り上げながら、この惨劇の責任をなすりつける「生贄」を探して怒鳴り散らしている。
「どけ! 邪魔だ! スパイの残党を捕まえろ! 怪しい奴は片っ端から検束だ!」
「……冗談じゃないよ!」
ハナが私の後ろへ飛び込むように隠れた。
「あいつら、捕まえたら最後、ろくに調べもしないで『非国民』だって決めつけて殺しちまうんだ!」
「……ああ、それだけじゃない。俺たちの蔵が見つかりゃ、『軍の接収だ』って言って全部持って行かれる」
工藤の懐の手が、拳銃を握り締める。私はその肩を強く叩いた。
「工藤さん、言ったでしょ。最短ルートを教えるって。……そこ、崩れた勝手口の床下を見て! 畳の下に、隣の路地まで繋がってる退避壕があるはずよ!」
「……何だと? 床下の防空壕だと?」
工藤は驚愕に目を見開いた。密集地の住民が、役所にも届けず勝手に掘り進めていた地下の迷路。地元の主である工藤ですら預かり知らぬ、土臭い秘密の抜け穴だ。
「……本当にあるのかよ、こんなもん……」
半信半疑のまま、工藤さんが焼け焦げた床板を剥ぐ。そこには、湿った土の匂いを放つ横穴が、確かに口を開けていた。
私たちは這うようにして泥だらけの穴へ滑り込んだ。
頭上で憲兵たちの怒号と軍靴の音が通り過ぎていく。耳元では、ケンジの呑気な声が響いていた。
『あ、サオリさん。その抜け穴、一九五〇年代の再開発の時の記録に「当時の不法な防空壕」として載ってましたよ。今も残ってるなんて、ちょっと感動ですね』
(感動してる場合じゃないっての……)
暗闇の中、私の「独り言」を聞かされているハナさんの怯えるような吐息が間近に聞こえる。
数分後、私たちは憲兵を完全に撒いて、静まり返った別の通りへと出ることができた。
工藤は立ち止まり、泥まみれの肩で息をしながら、私をまじまじと見つめた。
「……お前、本当に何者だ?……地元の人間だって、どこに誰が穴を掘ったかなんて把握しちゃいねえ。まるでお前、この地面の下が透けて見えてるみたいじゃねえか」
「……道案内だって、言ったでしょ。……それより工藤さん。あんたの屋敷、もうすぐそこよ」
私は、震える指で十時の通知をスワイプして消去した。秋葉原の花粉の話をしていた二〇二五年の日常は、もう遠い霧の向こうだ。
「あんたの蔵にある『在庫』。私が全部価値に変えてあげる。……だから、私とハナを、この地獄で守り抜きなさいよ」
工藤は、煤と泥で汚れた顔を歪め、不敵に笑った。
「……ハッ、いいだろう。来い。俺の城を見せてやる」




