5-6 大神下 士郎の夢・前
ピピピピ――という電子音。
(なんの音だ――?)
一気に意識が覚醒し――
「う、うわぁあああ!?」
ベッドの上で起き上がった俺は、自分の頭をさわりまくる。
クイーンに切り裂かれた――はずの頭。
「あれ……?」
手がある。5本の指がある。
胴体がある。足が2本ある。
「まさか――ッ!」
掛け布団をはね飛ばし、すぐに洗面所へ向かう。
安アパートの床は、気を付けて移動しないとすぐに階下の住民からクレームが入る。
だが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「――やっぱり、人間の顔だ」
もう27歳にもなるのに、疲れたような目のクマが特徴的な――しかし、どうってことない男の顔。
「……もしかして、今までのって……夢?」
あんな現実味のある体験が、ぜんぶ夢?
シュバルの背中に乗って、魔界から脱出したあの風の音も。
エルの膝枕の柔らかさと、良い匂いも。
スケサンと飲んだ、酒場の安酒の味も。
「は、はは……」
そうだよな。
生牡蠣の食べ過ぎで死んじゃうとか、そんなのあるワケないよな――
「――仕事。行くか」
そのまま顔を洗い、ヒゲを剃る。
道中にある台所。冷蔵庫からパンと野菜ジュースを取り出す。
パンの日付は――賞味期限は明日まで。大丈夫。
リビングと寝室を兼ねている部屋へと戻り、もしゃもしゃとパンを食べる。
「はぁ――異世界転生、してみたかったなぁ」
◆ ◆ ◆
どんよりとした気分が、そのまま反映されたかのような曇り空。
会社の窓から見える外の景色は、いつも変わり映えがしない。
背の低いビルと民家ばかり。
まぁ、異世界みたいに森と山しか無い、あそこよりはマシかもしれない。
「おい大神下……大神下!」
同僚の声が聞こえる。
しばらくその意味を、自分の中で咀嚼するように考える。
大神下、オガミシタ――
「あっ、俺のことか」
「……部長が呼んでる」
まだぼんやりとする頭。
重たい足を引きずりたくなる気持ちを抑えつつ、最奥にあるデスクへ向かう。
そこには、いつ見てもピッと読み込みたくなる頭の部長が、不機嫌そうに待っていた。
「なんでしょうか、佐藤部長」
「なんでしょうか、じゃないだろ。ギュスター商会さんに送った書類のPDF、順番がバラバラだってさっき連絡が入ったぞ」
「え――?」
「……すぐに直して送りなさい。まったく、いつもこんな初歩的なミスばかり――」
俺が驚いたのは、送った書類のことではない。
その商会の名前に関してだ。
「え、部長――今なんて……」
プルル――目の前にある黄ばんで汚れている電話。
部長は、その受話器をとる。
「はい。彦崎営業所でございます。――あっ。いつもお世話になっております。はい、私でございます」
電話の応対を始めたので、しょうがないので自分の席に戻り――パソコンで今さっき言われた修正を行う。
「はい、大神下さん。これチェック入れたら次に回して貰える?」
「はーい」
パートさんより手渡されたのは、今週末に行われる新人歓迎会。
その出席の可否だ。
「……新人さんって、誰でしたっけ」
「はぁ。先週入って来たばかりの安藤さんですよ。安藤眠子さん」
こんな特徴的な名前の子、絶対忘れない自信がある。
なのに、まるで初めて聞いたような――
「ほら、あの子ですよ」
万年隅っこデスクの自分から見て、部長の席にほど近い場所に席がある彼女。
少しクセのある髪に、他の同僚に向けて朗らかに微笑む彼女は――やけに眩しく見えた。
なんていうか。場違いだな。
「ふーん……」
しかし、日々の仕事に追われ。
そんな彼女に対する想いもすっかり忘れてしまっていた。
◆ ◆ ◆
気付けば、もう週末の夜になっていた。
会社からほど近い住宅街にある小さな居酒屋チェーン店。
そこで、新人の歓迎会という名ばかりの飲み会が催された。
「おい大神下! いつものヤツやれよ~」
「はい助三先輩! 大神下士郎、一気いかせて頂きます!」
こんな先輩いたっけ――そんな疑問も、生ビールの苦いのど越しと共に消え去る。
「へぇ~、凄いねぇ。東京の大学出て、こっち帰って来たんだ」
この事業所には、若手と言えば俺と安藤さん。パートの事務員さんくらいだ。
あとはみんな、30から50代のオッサンばかり。
安藤さんは社長の隣に座らされて、手酌でビールを注いでいる――
ベタベタと腰や肩に手を回されても、ニコニコと笑顔は絶やさない安藤さん。
「歓迎会って名ばかりの、公開セクハラ会じゃないか」
社長は理由をつけては飲み会やバーべーキュー。半年に1回はボーリングやゴルフ大会なんかを開く。
運動は苦手だと言っても、荷物持ちやらなんやらで連れて行かれる。
せめて、なんか給料かボーナスに反映して貰いたいものだ。
残業代だって、全部は出ないのにさ。
「……帰るか」
いつもの開幕一気飲みも終わり、みんな好きに同僚とおしゃべりしながら飲んでいるし、社長や部長は安藤さんしか見てないし。
むしろ最後まで残ろうものなら、二次会でキャバクラに連行されそうだ。
それだけはゴメンだ。
俺はトイレに行くフリをしつつ――店から出た。
会費は、事前に徴収済みなので問題ナシ。
「――憂鬱だ」
ちなみに今日は給料日でもある。
それほど多くない給料でも、財布の中はそれなりに分厚くなった。
「スーパーでも寄って、なんか買って帰るかな」
そうだな――いつかやってみたいと思ってた、生牡蠣の踊り食いなんてどうだろうか。
加熱用だと当たる可能性も大いにあるし、できれば生食用があればいいんだけど。
「シローくん!」
「うん?」
その愛らしい声に振り向けば――
「安藤さん!?」




