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悪魔公の贖罪


 部屋の扉を叩くと中から返事があり、俺は扉を開けた。


 部屋の中ではヴィルハイムが、ランプの温かい光の下、机に書類を広げ睨むようにそれを見ている。


 広げられた羊皮紙の山と僅かに漂うインクの匂いが、彼の激務を物語っていた。

 

「まだやっているのか。ヴィルハイム・ドラコニア子爵」


 新しくつけた家名で呼ぶとヴィルハイムはむっと眉間に皺を寄せた。


「まさか子爵位に加えて領地まで得るとは思わなかったので準備が大変なんですよ。ルーファス・ドラクレシュティ公爵」


「屋敷は大きくしておけ。そのうちまた爵位が上がるだろうからな」


 そういうとヴィルハイムは感情のまま嫌な顔をした。

 そんな彼に、俺は笑って酒瓶を取り出し掲げて見せる。


 滅多に飲むことはなかったが、ドラクレシュティ家のもつ秘蔵の酒である。

 

「せっかくだから祝杯をあげようと思ってな」


 そういうと、ヴィルハイムは「仕方ないですね」と立ち上がって長椅子に腰を下ろした。


 酒瓶からグラスへ、トクトクと重く静かな音を立てて酒が注がれる。

 深い香りが紙とインクの混じった部屋の空気を優しく和らげた。


 酒を酌み交わしながら、今後について話を進めていく。

 やるべきことは多いが、心は満ち足りていた。


「そうだ。少し落ち着いたら、フィオナと婚礼をやろうと思う。とは言っても、フィオナは城の者たちに祝われたいと言っていたからな。どのように行うべきか……」

 

「フィオナ様らしいですね」

 

「ああ」


 ヴィルハイムは「そうかぁ」と言いながら、少し伸びをして感慨深そうに俺を見た。


「よかったですね、兄上」

 

「何がだ」

 

「フィオナ様から想いを告げられたのではないのですか?」


 驚いてヴィルハイムを見ると、彼は「あたりですね?」と言いながらニヤリと笑った。


「急に婚礼なんて言うからには、変化があったんだろうなと思いました」

 

「相変わらずよく見ているな」

 

「弟ですからね。じゃあ…」


 そう言うとヴィルハイムは少し前屈みになり、真剣な顔つきになる。


「兄上も少しは自分を赦してあげられそうですか?」


 その言葉はずきりと俺の胸を痛ませた。


 俺は「どうだろうな」と呟き、胸からロケットを取り出した。冷たい金属の感触を確かめるように指先で触れる。

 

 記憶の中のフィオナから贈られた赤い石が嵌め込まれたマイアストラのお守り。


 フィオナから贈られた青い石の入ったオーニソガラムのお守り。

 

 蓋を開けると、そこには変わらず二つのお守りが入っている。


 それを指で少し触れると、カツンと二つのお守りがぶつかり音を鳴らした。


「彼女を閉じ込め、不幸にした俺は……彼女に触れる資格がないと思う」


 この二つのお守りは、これからもずっと俺のそばにあるだろう。

 

 彼女と幸せな未来を生きるために、俺は自分の中に潜み、囁き続ける悪魔を封じ続けなくてはいけない。


「また……醜い感情を彼女に押し付けてしまう事があるのではないかと思うと、それが怖くてたまらない」


 この醜い感情は彼女の美しい心までも穢してしまう闇を孕んでいた。

 お守りを閉じ込めるようにロケットを閉じて強く握りしめると、ヴィルハイムはため息を漏らす。


「兄上はお忘れかもしれませんが……兄上はもう一人じゃないんですよ」


 顔を上げるとヴィルハイムは橙色の温かい瞳で真っ直ぐ俺を見ていた。


「もう一人で背負う必要はないんです。その道を共に歩ませてください。もし、今後兄上がまた同じ過ちを犯しそうになるならば、私が全力で殴ってでも兄上を引きずり戻してあげますよ」


 そう言ってヴィルハイムはいつものように、しかし瞳の奥に確かな光を宿して屈託のない笑顔をむけた。


 俺は「まだまだヴィルハイムには負ける気がしないな」と苦笑いを漏らす。


 すると彼は「これは、ミリーから小耳に挟んだ話なんですが……」ともったいぶるように指を顎に添えた。


「フィオナ様は兄上に殆ど触れられないことを不安に思っているそうですよ」

 

「は……?」

 

「このままにしておいてもいいんですか?」


 俺は俯き、頭を抱えた。


「愛しています」


 そう告げた彼女の顔が瞼の裏に浮かび上がる。


 ……彼女のそばにいるだけで満足だったはずなのに。


 触れてもいいんだろうか。


 許されるのだろうか。


「先ほど窓から見たときは、まだ部屋から灯りが漏れていましたよ。まずは、フィオナ様と話してこられたらどうですか?兄上には沢山、話す事があると思いますよ」


 俺は席を立った。

 「ありがとう」と言葉を残し、振り返らずに扉を開ける。


 触れてもいいのか、と問うているのは誰でもない。

 俺自身だった。


 俺は彼女の部屋の扉を開けた。


 窓から漏れる月明かりに照らされた部屋に、フィオナは一人静かに椅子に座っていた。


 彼女の銀色の髪は月の光を受けて清らかに輝いている。彼女の瞳はまるで碧玉の泉のように澄んでいたが、その奥に不安の色を隠しているのが見て取れた。


「フィオナ……」


 俺は扉の前から一歩も踏み出せない。

 彼女の清らかさの前に、俺の内にいる悪魔が再び蠢き出すのを感じた。


「こんな時間に……すまない……君と」


 言葉に詰まる俺を見てフィオナは立ち上がった。

 彼女は傷を負い、その髪を切られたにもかかわらず、以前よりも遥かに強く美しかった。


 フィオナはゆっくりと俺に近づき、俺の氷のように冷たい手を、その柔らかく温かい両手で包み込む。


「ルーファス様は……私に触れるのが怖いですか?」


「……ああ」


「ずっとそうなのかもしれないと……思っていました。あの夜……ペンフォードの森でやっぱりそうなんだって分かったんです」


 彼女の指が、呪紋が刻まれていた右腕を優しく撫でた。

 そして透き通るような瞳を俺に向ける。


「どうして怖いのですか?」


「……穢れた俺が触れると……君まで穢してしまいそうで………」


 彼女は俺の言葉に、泣きそうな顔になった。

 そして小さく首を振り、俺の胸に飛び込んだ。

 彼女の細くか弱い腕がゆっくりと背中に回される。


「そんな……ことない」


 彼女は震える声でそう言った。


「……でももし、貴方がそう思ってしまうなら、その想いごと一緒に背負わせてください」


 彼女はまるで懇願するようにそう言った後、胸に埋めた顔をゆっくりと上げる。青色の瞳が私を見た。


「私は……あなたがいいんです。ルーファス様と嬉しい事や悲しい事、怖い事も……全部分かち合いたいの」


「だから……」と彼女は一瞬唇を結んで、また開いた。

 

「ルーファス様の孤独を……私に分けてください」


 温かい光に包まれたような気がした。

 

 彼女が浄化の魔法を使った時にも感じたような温かさが、ゆっくりと灰色の心を溶かしていく。


 その温かさは血流に乗って、ゆっくりと全身へと行き渡った。


 彼女の細い背中に腕を回した。

 俺の胸の鼓動を確かめるように、彼女は胸に頬を預ける。


「君と生きていきたい」


「はい」


「君がいなくなるんじゃないかって……怖いんだ」


「いなくなりません」


 彼女は俺に回した腕に、力を込めた。


「私は貴方じゃなきゃ、嫌なんです」


 俺の胸に抱かれたフィオナの鼓動は、俺の鼓動よりもずっと強く、確かな生命を刻んでいた。


 俺はそっと彼女の名を呼んだ


「フィオナ……愛してる」


 過去、現在、未来の全てを懸けた俺の言葉が彼女の耳に届くと、彼女は涙を浮かべたまま、花が咲いたように微笑んだ。


 その唇に、俺はゆっくりと唇を重ねた。




 


次のお話で最後です。

お付き合いいただきありがとうございました。


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