救出
二日間、馬を変えながら休むことなく進み、丘の上にあるペンフォード家の屋敷に着いた時は夜になっていた。
積もった雪は大部分が溶けている。
湿った地面に降り立ち、鉄製の門を火の魔法で吹き飛ばした。
整えられた庭園を抜けて屋敷に入ると、門を破壊した時の轟音に驚いた数人の使用人が慌てながら玄関ホールに飛び出してきていた。
「ペンフォード伯爵はどこだ」
剣の柄を握りながら問いかけると、使用人は俺の顔を見て「ひっ」と悲鳴をあげる。
「フィオナがここにいることは分かっている。手荒な真似はしたくない」
「分かりません……!旦那様は先程外に出られましたので……!」
俺は剣を抜き、彼の首筋へと剣を添え「他に言うことは?」と聞くと、彼は腰を抜かして小さく悲鳴をあげた。
「屋敷の裏の小屋には近づくなと言われております……!もしかしたらそこにいらっしゃるかもしれません……!」
血の気が引く。「近づくな」という言葉が、フィオナが危険な状況にあることを示唆していた。
最後まで聞かずに、屋敷を飛び出した。
屋敷の裏へと回ると、石造りの小さな小屋がぽつりぽつりといくつか建っていた。その中に一つだけ、特に寂れた小屋の扉が開いており、そこに飛び込む。
小屋の中にはミリーが倒れていた。
呼吸もあり意識を失っているだけのようだ。
身体を揺すりながら名前を呼ぶと、彼女はうっすらと瞼を上げた。
「ルーファス……様……フィオナ様が……」
「どこへ向かったか分かるか?」
ミリーは首を小さく振る。
「王宮騎士団も向かっている。ここで待っていろ」
そう言って彼女にそばにあったシーツをかけた。
小屋から外に出る。
正面には屋敷、小屋の背後には森がある。
どちらに行ったのだと辺りを見渡すと、森の手前で月の光に反射した何かがキラリと光った。
近づくと、そこには赤い石のついたオーニソガラムのお守りが落ちていた。
「ここか……!」
お守りを拾い上げ、どんな小さな音も聞き漏らさないよう、耳をそばだてながら森の中を駆ける。
すると、森の奥から何かが崩れるような音が聞こえた。
風の魔法で木の間を縫うようにまっすぐ進むと、斜面の下にペンフォード伯爵、そして倒れたフィオナを見つけた。
月の光が、フィオナの無惨な姿を照らし出す。
彼女は斜面の下で体を丸めていた。
岩にぶつかったのだろう、服は破れ、傷ついた膝と腕には土がべったりと張り付いている。
その傍で、ペンフォード伯爵はニヤニヤと笑いながら小さなナイフを取り出し、フィオナの無力な足元へとそれを突きつけようとしていた。
風の魔法を使い一歩でペンフォード伯爵の背後へ回った。
一歩でも動けば首を刎ねられるよう、ペンフォード伯爵の首元に剣を突きつける。
「……動くな」
地を這うような低い声が、喉の奥から絞り出た。
伯爵から「ひっ」と小さな悲鳴が聞こえる。
手のひらに土がついていた。奴は土の魔法でフィオナを追っていたのだろう。
「貴様は、その醜い手を彼女に触れるな。二度とだ」
剣先を強く押しつけると、伯爵の首筋から僅かな血がにじみ出た。彼はナイフを捨て、両手を高く上げ「誤解なのです!」と叫び声を上げた。
貴様にかける時間はない。
剣をわずかに引き抜き、すぐに柄頭をこめかみへ叩きつけると、伯爵は「グッ」と喉の奥で音を鳴らしたきり、冷たい土の上へと力なく崩れ落ちた。
俺の視線はすでに、土の上に倒れたフィオナに釘付けになっていた。
「フィオナ!!!」
地面に倒れたまま、痛みでうまく息もできていない様子のフィオナを抱き起こす。
名を呼ぶと、彼女の青い瞳が安堵の光を宿し、俺を捉えた。
硬直していた彼女の身体から僅かな力が抜け、安心したように俺の胸に寄りかかる。
「ルーファス……様……」
何度も身体を打ちつけた事を示すように、フィオナは身体中に傷があった。ドレスは至る所が破れ、土がついている。
彼女の長く美しい銀青色の髪は不揃いに、まるで獣に食いちぎられたかのようにギザギザに切断されていた。
そして、安堵と共に彼女が地面に落としたのは金属片。細く小さな掌からは真っ赤な血が流れていた。
彼女の冷たい手が、俺の頬に触れる。
「……っ!!」
全身の毛穴が開き、冷たい汗が吹き出した。
目の前が真っ赤に染まり、鼻腔に血の匂いが突き刺さる。
『ルーファス様の元へは帰れません』
いやだ。
『私の力は……貴方を不幸にすることしかできない』
そんなことない。
『だから、もう貴方のそばにはいられないの』
離れたくない。
『貴方の孤独が……終わりますように』
君しかいらないんだ。
彼女の頬に触れて、光の魔法をかけた。
黄色の淡い光が彼女を包み込み、全ての傷が塞がっていく。
「ルーファス……様?」
「嫌だ。何も……聞きたくない」
彼女の唇に、口付けを落とした。
その声の全てを貪るように飲み込んで、舌を入れて彼女の言葉を遮る。
彼女は空気を求めるように小さく息を漏らすが構わない。
ペンフォード伯爵をこの場で原型も残らないほど潰してしまえば、彼女をここで死んだことにできる。
彼女をあの塔に連れ帰ろう。
そしてもう二度と外へは出さない。
彼女の世界を俺で満たしてしまえばいい。
彼女は……私のものだ。
『幸せを壊す化け物め!!!!!』
脳を貫いたその声に、一瞬で身体が凍りついた。
思わず唇を離すと、フィオナの潤んだ青い瞳に、血のような赤い瞳の悪魔が映り込んでいた。
呼吸が浅く、早くなる。
胃液がせり上がり思わず顔を震える手で覆った。
「……嫌だ……離れて……行かないでくれ………」
掠れるような願いが、口から漏れ出た。
フィオナの瞳に映る悪魔と目を合わせたくなくて、目を瞑って俯くしかできない。
その時、身体がふわりと細い腕に抱き締められた。
「離れません」
頼りない細い腕は、先ほど感じなかった確かな熱を持っている。
顔を埋めた彼女の胸から、とくん、とくん、と胸の鼓動が聞こえた。
「私は……これから先もずっと、貴方の隣にいたい」
彼女の温かな言葉が凍った身体を溶かしていく。
「愛しています」
俺の胸に抱かれたフィオナの鼓動は、俺の鼓動よりもずっと強く、確かな生命を刻んでいた。




