掴めない手がかり
「一体どうなっている!!!!」
俺は机に広げられた地図を感情のままに拳を叩きつけた。
フィオナがいなくなった。
俺とサミュエルはその日、暁光の盟約式に反対する教会の強権派達の説得に行っていた。
簡単ではないことはわかっていたが、国内からも教会からも反発は大きく幾度とない話し合いの日々が続いていたのだ。
そこに突然、ペンフォード家よりドラクレシュティ家を訪ねた使者が帰ってこないと連絡が入った。
そして……その馬車にはフィオナが乗っていた。
ペンフォード家の使用人が蝕身病にかかったと連絡が入ったそうだ。彼らを浄化するために彼女は王都にあるペンフォード家の屋敷に向かったらしい。
記憶では、フィオナを誘拐したことがあるアバルモート司教とペンフォード家が疑わしいことは分かっていた。
しかし今回アバルモート司教は俺たちが説得をしていた教権派のうちの一人だ。当日は俺たちと教会にいた。
盟約式を控えた今、疑わしいと言うだけの理由で教会の司教であるアバルモートを取り押さえることはできなかった。
ペンフォード家には王宮騎士団が調査に入ったが、ペンフォード伯爵は事件の当日屋敷にいた上、ペンフォード家の秘書官も共に行方をくらましていたため、事件の被害者であるとされた。
クロエについても、私が直々に会い直接問いただしたが事件への関与をしている様子は見受けられなかったのである。
そして疑わしいのは彼等だけじゃない。
教会の強権派、教会との協力関係を拒否する貴族達、周囲は疑わしい者ばかりだった。
多くの人間にフィオナを誘拐する動機がある。
隣国との街道は全て封鎖し、馬車の検問も行った。
それでも手がかり一つ掴むことができず、ただ時間だけがすぎていく。
「今日を含めても……盟約式まであと三日しかない……もうどこを探せば……」
サミュエルはそう言って頭を抱えたまま長椅子で項垂れた。
王子宮の騎士団は、今最後の望みをかけて『三日で戻って来れる距離』を重点的に探している。
テオやリオ、ドラクレシュティ家で動ける者は国境沿いを、ヴィルハイムは取り逃がしたオストビア帝国の者の可能性を考え、北に向かった。
フィオナが盟約式に戻らないという事態は、王国全体を揺るがす危機を意味していた。
王宮に集う教会の者達と貴族達は、すでに不信と疑念の渦中にあった。
彼らは、盟約式を前に姿を消した調和の女神の使徒を巡り、互いを激しく責め立てるだろう。
彼らは、まるで獲物を巡る獣のように互いを睨みつけ、結ぼうとしていたはずの協力関係は音を立てて崩壊していくに違いない。
フィオナの不在はその争いの火に油を注ぎ、長年の対立を決定的な破滅へと導く引き金となるだろう。
こうなるのではないかと思っていた。
分かっていたのだ。
フィオナの価値を考えれば、彼女の身は常に危険と隣り合わせだと分かっていた。
グラディモア公爵の陰謀を防いだところで、彼女の身が完全に安全になることはない。
だから、私は彼女を全ての危険から遠ざけるために閉じ込めたのだ。
その選択が間違っていたと、この手で証明しようとしたはずなのに。
掴んだはずの幸せが、再び砂となって、握った掌からこぼれ落ちてゆく。
どれほど足掻いても、足掻いても、望んだものほど得ることはできなかった。
「幸せを壊す化け物め!!ロスウェルを返せ!!!」
そう言って母が投げつけた花瓶は、足元に砕け散った。
足元には破片と、惨めに横たわる俺が贈った花。
俺はどうすれば良かったのか。
そればかりが頭に浮かぶ。
目の前に広げたアズウェルト王国の地図が憎悪と絶望の赤に染まっていった。
「ルーファス様……」
いつの間にか入室していたアルローの声に我に返る。
サミュエルが王宮へと戻ってから、ずっと地図を睨んでいたようだ。窓の景色はいつのまにか夜になっていた。
冬が終わろうというのに、季節外れの雪が外を舞っている。
「なんだ。何か情報が入ったのか」
「それが、ペンフォード家のエマという使用人が訪ねて参りまして……」
私はすぐ立ち上がり、彼女の待つ応接室へと入った。
エマという使用人は、ペンフォード家から馬車も使わず歩いてきたのか、雪で濡れており、寒さに震え頭にはまだうっすらと雪が残っている。
使者としてきたとは思えない酷い有様だった。
彼女は俺を見て、震えた身体のまま怯えるように跪く。
「わたくしは、ペンフォード家で使用人をしています。エマと申します」
「顔は上げていい。要件を教えてくれ」
顔を上げた彼女の瞳は困惑と不安に揺れ、震える声で話し始めた。
「フィオナ様が……行方不明ときいて……」
「まだ見つかっていない。ペンフォード家にはもう調査が入ったから知っているはずだろう」
「……フィオナ様が行方不明となった日……ペンフォード家に来客の予定は……ありませんでした」
「なんだと?!」
エマと目を合わせるように、俺は膝をつき彼女の目を見た。
彼女は「確かでは……確かではないんです……」と言いながらガタガタと震える。
「旦那様が……今日、二日後の夜会を欠席して……ペンフォード領に帰ると当然申されたのです。もしかして、フィオナ様の失踪に……ペンフォード伯爵が関わっているのかもしれない……と。
長年旦那様とフィオナ様を見ていたわたくしの直感でございます。なんの根拠がある訳でも、証拠がある訳でもございません。でも……お願いします。フィオナ様を助けてください……」
彼女は跪き、縋るように懇願した。
私は彼女の震える肩に着ていた上着をかけた。
「彼女を必ず助ける」
馬を変えて走らせたとしても、ペンフォード領は二日はかかる。
後ろに控えていたアルローに「サミュエルに連絡を。あとは任せた」と告げ、馬に飛び乗った。
エマを覚えているでしょうか。
彼女はフィオナを伯爵家で支え続けた使用人です。




