国王との会談
国王は玉座から、サミュエルと俺を射抜くような鋭い視線を送りながら、静かに、しかし威圧的な声で告げた。
「お前達が今回の事件で示した功績は認める。だが、それは一国の王太子として、王族に連なる者として、取るべき行動であったか、という点で大いに疑問が残る」
国王は一度深く息を吸い込む。
その静寂が、かえって重い怒りを伝えていた。
「第一に、サミュエルが『浄化の魔法』の存在を知りながら、それを国家に報告せず隠蔽していたこと。
辺境伯そなたもだ。王国の危機よりも、王子の私的な計画を優先したのか? そなたは王国の忠臣であるはずだ。なぜその異能の力を、しかるべき手順を通して国民の救済のために報告しなかった!」
結果が見えているのに報告するわけがないだろう。と私は心の中で毒づいた。
「第二に、サミュエル王子が王命なく、独断で教会と協力関係を結んでいたこと。そして辺境伯がその計画に加担していた事実だ。王族が、教会の人間と水面下で何を企んでいたのか。王族の権威を損ない、教会との不必要な軋轢を生む可能性すらある秘密裏の行動をなぜ容認した?
これは王族の、そして臣下の職権を逸脱した明白な裏切りと言って差し支えない。
貴様は私的な感情と王家の安全を天秤にかけ、誤った道を選んだ。己の忠誠の矛先を今一度考え直せ。お前の行動は一歩間違えば王国の根幹を揺るがす大罪となったのだぞ!」
サミュエルは「国王陛下」と一歩前に進み出る。
その表情には、普段の柔和さはなく王族としての強い意志と、未来を見据える冷静な眼差しが宿っていた。
彼は毅然とした声で語り始めた。
「私には、そうする明確な理由がございました。それはこの王国の……いえ、世界の未来に関わることと存じます」
「なに?」
国王は眉間に皺を寄せる。
「陛下は、フィオナ様の『浄化の力』を報告した際、王族の管理下に置くべきだと仰せになりました。しかし、もしこの奇跡の力が我が国の専属の『兵器』として公にされれば、一体どうなるでしょうか。」
「兵器だと……?」
「浄化の力を持つということは、どれほどの魔法を使ってもその代償を必要としないということです。王子宮で起こったグラディモア公爵による魔法の暴走ともいえるようなあの力を我らはいくらでも使える」
国王陛下は勿論その使い道も考えていたのだろう。
鋭い眼差しを彼に向けたまま、無言でサミュエルの言葉の先を促した。
「その力を持つアズウェルト王国は世界中から敵視され、世界中の列強の標的となるでしょう。
各国がその力を奪い合うばかりか、彼女の命そのものが常に危険に晒されることとなります。王族の管理下に置くことは、結果的にフィオナ様を、そしてこの国を、より大きな戦乱へと誘う危険性があったのです」
アズウェルト王国は世界中の国の中でも、それほど大きい国ではない。
オストビア帝国をはじめ、世界中の国々が浄化の力を欲して手を組むこともあり得る話だ。
「そして陛下。この『浄化の力』は、確かに調和の女神の祝福によってもたらされたもの。しかしフィオナ様が唯一の存在ではございません。歴史上、そして現在においても、その祝福を授かった者は複数存在する可能性が高い。
そして、その力の真髄を引き出し制御するためには、教会の協力が不可欠であると、我々は密かに調査を進める中で知りました。
教会は世界中に存在します。教会と協力体制を築くことで、アズウェルト王国は世界の敵ではなく、瘴気という世界共通の敵に立ち向かう国々の指導者となり得るのです」
サミュエルの説得を聞き終えた国王は深く座り直した玉座の上で、しばらく沈黙した。
その表情は先ほどの怒りとは異なる困惑と、そして微かな驚きに満ちている。
「……サミュエル。そなたが、これほど国の未来を深く考え、世界を見据えて動くような人間になっていたとは……驚きを隠せぬ」
国王のその目は、まるで初めて息子を見るかのようにサミュエルを見ている。
サミュエルは横にいる俺に一度視線を送り、澱みのない声で答えた。
「私には、知略に優れた信頼できる友人と守るべき国と、愛する娘がおりますので」
サミュエルの言葉には、王族としての責任感に加え、一人の父親としての決意と愛情がにじみ出ていた。
「では……よいだろう。次期国王のそなたがこの壮大な構想を、教会と協力してどのように実現していくか……見せてもらおうとしよう。ドラクレシュティ辺境伯、そなたは異存ないか」
「彼女は現在ドラクレシュティの屋敷にて静養しておりますが……彼女は、自らの力を人々の為に使うためならば協力は惜しまないと申しておりました」
国王は「そうか……あの奇跡的な浄化の御業を見れば、それも当然であろう」と呟き、目線を下げた。
「彼女の力はすでに多くの貴族の知る所となった。くれぐれも無理はさせず、彼女の身の回りには注意を払うように。謀反を起こしたグラディモア領ついては、貴族達が回復次第また諮問会議にて決定する。」
そう言って国王は俺たちを退室させた。
扉が閉まると「やっとだな」とサミュエルは俺の背中を叩いた。
そのままの足で、サミュエルと共に王都にある教会に赴き、大司教への報告と今後の打ち合わせを行う。
それが終わると、サミュエルの祝杯の誘いを断り屋敷へと急いだ。
――フィオナに会いたい
ドラクレシュティの屋敷に到着すると、彼女はすでに目を覚ましたとアンナから報告を受けた。
着替える手間も惜しんですぐに彼女の部屋へと向かう。
「ルーファス様!おかえりなさいませ」
フィオナは寝台から優しく俺に微笑んだ。
彼女の目覚めた顔を見て、初めてグラディモア公爵の陰謀を全て防ぎ、オストビア帝国の侵略を回避したという喜びを実感した。
上着を脱ぎながら、寝台のそばに置かれた椅子に腰を落とす。
「体調はどうだ?」
「もう大丈夫です。でも、ミリーとアンナにもう少し横になっておくようにと言われて」
彼女に触れたい気持ちを堪え、その欲を逃すように下を向いて息を吐いた。
彼女に向き直ると、彼女は心配そうに首を傾げる。
「ヴィルハイムからも聞いたと思うが、国王陛下に今回の事件の報告をしていた」
俺のその一言で、フィオナは少し姿勢を正し緊張した面持ちになる。
「まず、今回のドラクレシュティ家の功績により、私は旧グラディモア公爵領の北側、広大な土地の統治権を任されることになるだろう。それに伴う爵位の昇格、そしてサミュエルの治世を見据えての枢要な要職への任命も確実視されている」
「へ?!ということは……侯爵の爵位を?」
「まだ分からないが、与えられる領地の規模と与えられる要職によっては……公爵もありえるかもしれない」
フィオナは驚きに目を見張りながら、国王に俺の功績が認められた事を素直に喜んだ。
そして『私ももっと頑張らなくちゃ』とでも言うように、シーツの上で手を握りしめる。
「あと、ヴィルハイムも子爵位を正式叙任されグラディモア領の一部を封土として与えられると思う」
「ヴィルが?!ということは、ドラクレシュティ城を出ていくということですか?」
「ああ。ヴィルハイムは今後領主として土地を治めていくことになるからな」
フィオナは「寂しくなってしまいますが……ヴィルは優秀ですから。とても嬉しい事ですね」と顔を輝かせ、喜びを噛み締めるように唇を結んだ。
その無邪気な喜びが、これから告げる重い現実との落差を際立たせた。
俺は胸の奥で息を詰まらせながら「そして……」と乾いた声で言葉を続けた。
「王族と教会との協力関係は国王によって許可された」
「本当ですか?!」
フィオナは安堵したように胸に手を当ててそっと息を吐いた。
調和の女神について書かれたカリタスの手記についての情報を大司教から与えて貰う際、内密に結ばれたサミュエルと大司教の協定。
それが漸く国と教会の間に結ばれた物として認められたのだ。
「ただ……それを結ぶために……フィオナには『調和の女神の使徒』という称号が教会から与えられ、王家と教会を結ぶ象徴として、彼等の間に立ってもらわなくてはいけなくなる」
王家と深い親交を持つドラクレシュティ家。
その領主の妻であるフィオナが、王家と貴族の前で教会から称号を与えられること。
それは異なる思想を持つ者同士を結ぶための象徴に他ならない。
「……サミュエルや大司教からも言われたと思うが、君は本当にそれでいいのか?」
私の問いに、フィオナは少し目を見開きふわりと微笑んだ。
「それで、シェリル王女や他の“神に見放された者”の未来が開いて、瘴気に苦しむ人を一人でも助けられるなら……私にできる限りのことはやらせてください。ルーファス様」
その言葉は、まるでどこまでも澄み切った泉の水のように俺の心の奥底まで響いた。
純粋で、ひたむきで、一切の迷いがない。
それがフィオナという存在なのだと、改めて思い知らされる。
だが、同時に胸の奥で燻るような熱が、俺の喉を締め付けた。
彼女が輝けば輝くほど、俺の心の奥底に巣食う闇の影は濃くなっていく。
「君の体調が回復次第、大司教から正式に依頼があると思うが……冬の終わりを告げる王宮の夜会で、『調和の女神の使徒』の任命の儀を執り行うことになりそうだ」
「はい、わかりました」
俺の腕の中に閉じ込めて、誰も届かない場所に隠しておきたかった。
彼女のあの奇跡の力が、彼女との平穏を奪い去るのではないかという不安がずっと心の片隅に残っている。
そしてその不安は今、形を変えて現実になろうとしていた。
耐えきれない焦燥に、彼女の寝台に身を乗り出し彼女の額に口付けを落とした。
「ただ……君がどのような役割を他人から与えられたとしても、フィオナは私の妻だからな」
その言葉を、まるで自分に言い聞かせるように、彼女の耳元に囁いた。
彼女は顔を赤く染め「はい……」と小さく頷いた。




