舞踏会の裏で
冬の始まりを告げる冷たい風が頬を突き刺す。
故郷のドラクレシュティはすでに雪化粧を纏っているというのに、王都はまだ土の匂いがする。
それでも、この風はどこかひどく冷たく感じられた。
門をくぐり、王宮へと足を踏み入れた。
正面に続く大理石の階段は、神々が住まう天へと誘うかのごとく眩い光を放ち、白く輝いていた。
だが俺の目にはその荘厳な光景が、ただ獲物を招き入れる巨大な魔物の喉にしか見えない。
この中は互いの利益を貪ろうとする醜い思惑がひしめき合っている。
壁一面を覆う黄金の装飾は欲望にまみれた貴族たちの下卑た笑い声のように響き、無数の視線が降り注ぐ中、緊張に震えるフィオナの手を引いた。
きらびやかな装飾が施された両開きの大きな扉の前にフィオナと並んで立つ。
「緊張しているか?」
「はい。少しだけ……」
少しだけ、というようには見えない。
俺の腕を掴む彼女の手は冷たく強張っている。
彼女を安心させるよう、彼女の手を上から覆い笑みを見せた。
「心配するな。アズウェルト王国で最も恐ろしいとされる悪魔公が隣にいるんだぞ?誰も君に手出しなどできないし、させる気もない」
おどけたようにそう言うとフィオナは少し声を漏らして笑った。
「ふふっ。ルーファス様ったら。悪魔公は、私にとっては少しも怖くないのですから」
「私のエスコートは歩きやすいぞ。恐れ慄いた貴族達が道を譲るからな。せっかくの舞踏会だ、楽しもう」
彼女は背筋を伸ばし「はい」と言って凛と前を見た。
「ルーファス・ドラクレシュティ辺境伯、フィオナ・ドラクレシュティ辺境伯夫人がいらっしゃいました」
扉が開くと多くの貴族達の視線が俺とフィオナに注がれた。
華やかな舞踏会の喧騒の中、ドレスや正装に身を包んだ貴族たちが、シャンデリアの光に顔を照らされながら、ひそひそと囁き合う。
「悪魔公が女性を連れているぞ」
「どこの令嬢だ」
囁き声は、グラスを揺らす音や音楽の音に紛れていく。
俺は視線を巡らせながら目的の人物を探した。
グラディモア公爵。
他の貴族と集まって談笑しながらも、その視線は睨みつけるように俺を見ていた。
「ルーファス!」
取引のある貴族達にフィオナを紹介していると、サミュエルがアイディーンを連れてこちらへとやってきた。
アズウェルト王国第一王子の登場に、彼らはすっと身を引く。
「サミュエル王子」
俺は短く形式的な挨拶を交わす。
フィオナを彼に紹介すると、彼もまた丁寧に挨拶を述べた。
サミュエルは初めて見るフィオナを上から下までまじまじと見て頬を引くつかせる。
「ルーファスから話は聞いていたので、溺愛していることは予想していたが、想像以上で……私は少し引いている」
「黙れサミュエル」
フィオナが不安になるだろう。とサミュエルを睨みつけると、いきなり彼が「ひっ」と小さな声を漏らし、びくりと姿勢を正した。
どうやら彼はまた隣に立つアイディーン様を怒らせたようだ。
「サミュエル様、わたくしのことをお忘れですか?」
サミュエルは気まずそうに笑みを浮かべ、居住まいを正しながら彼女を紹介した。
「フィオナ、こちらは妻のアイディーンだ」
フィオナもアイディーン王子妃に挨拶を交わす。
サミュエルが既にアイディーンにフィオナのことを伝えていたのだろう、アイディーンは緊張した面持ちのフィオナに優しく微笑む。
「フィオナ様、サミュエル様が申し訳ございません。彼はルーファス様に素敵な方が現れたことを、ご自分のことのように喜んでいらしたの。私も是非フィオナ様と仲良くなりたいわ」
「ではご婦人同士で少し話をしてきたらどうだ?私は少しルーファスと話したいことがある」
「そうですね、少しお話ししましょう?フィオナ様」
サミュエルはそう言って小さく目で合図した。
俺はこのあとフィオナに絡むであろうクロエと、グラディモア公爵の位置を確認して頷きを返す。
「フィオナ、すぐ戻る」
「大丈夫ですよ」
フィオナと別れ、サミュエルと一緒にバルコニーから庭園に出た。
風の冷たい夜に舞踏会を離れ庭園にくる貴族などいない。
前回は、サミュエルがドラクレシュティに持ってきた神々に関する資料についてここで話をした。
念の為に周囲に気を配りながら、人気のない場所へ行くと、サミュエルは王子の仮面を脱ぎ捨て、太腿に手を置き盛大にため息をつく。
「あー!!もう!大変だったんだぞ!私を褒めろ!!」
「という事は、上手くいったのか?」
「当たり前だ!!」
確かに前回に比べて疲労の色が濃い。サミュエルは、大変な仕事を振ったなとばかりに俺を睨みつけた。
「教会の最大の敵である王族が、アズウェルト王国の教会の頂点である大司教と秘密裏に会談をする準備をするのだぞ!根回しも全て大変だったのだからな!」
「当然だろう。しかし、大司教が暗殺されるのは防がなくてはならないし、これからの計画には必要だ」
「わかっておる。会談は予定通り二日後、王子宮で行う。ルーファスの方はどうなった?」
俺は懐から数枚の書類を取り出した。
俺とヴィルハイムが秘密裏に調べ尽くしたオストビア軍がグラディモア領で軍備を整えている証拠と、険しい山脈のどこからオストビア軍を招き入れているかを突き止めた山脈のルートを記した地図がここには記されている。
「ヴィルハイムがしっかりと証拠を抑えた。あと、ギオロク領にも軍備を整えるよう進言してある」
サミュエルは立ち上がって「ここまでは順調だな」と頭を掻いた。
サミュエルは王宮内の貴族達の取り込みも同時に行わなくてはいけない。
ここから先行われる交渉に一つでも失敗すれば、王権に対する謀反だと王位継承権を失う可能性もある話だ。
冬の社交シーズンが終わるまでに私たちは全てを片付けなくてはいけない。
「覚悟を決めなくてはいけぬな」
サミュエルは星一つ見えない雲の掛かった空を見上げて、ポツリと呟いた。
「正直、権力に左右されながら生きることに、興味はないんだ。友人を選ぶ自由を奪われるくらいなら、王位なんてどうでもいい。私は、私が選んだ友の味方でいたい」
それは知っていた。
貴族達から悪魔公と呼ばれる自分を、ずっとサミュエルが俺との親交を示すことで庇っていてくれたことも知っている。
そして記憶の中のフィオナが死んだ後、聖女を死なせた責任を取って死すべしと言われる中、俺が処刑されぬよう庇い続けていたのも朧気だが覚えている。
つくづく、彼は王族に向いていない――そう思っていた。
「ありがとう」
ポツリとそう呟くと、サミュエルは「珍しい」と笑う。
「まあ、これはシェリルのためでもあるからな。世界を統べるアズウェルト国王じゃなく、娘を守るかっこいい父になりたいから、精々頑張るさ」
サミュエルはそう言って「ほら、愛するフィオナがピンチに陥っているぞ。恋物語のようにかっこよく助けてこい。悪魔公」と俺の背中を叩いた。
アイディーン王子妃とフィオナの前には悪趣味のドレスを着たクロエがいる。
俺は振り返らず、フィオナの元へと駆け出した。




