信頼
「本当に来た……」
「だからそう言っただろう」
フィオナが北西の村に留まることになった三日後、俺は城からの呼び出しに急遽戻ることになった。
ドラクレシュティ城にある応接室。
そこに約束もなく訪れたのは、この国の第一王子サミュエルだ。
約束もなく領主の城に押しかけておいて、王子様らしい笑みを浮かべながら「ルーファス、遅かったな」と宣っている。
「突然尋ねてくるなんて、アズウェルト王国の第一王子はとてもいい教育を受けたようだな。さすが王族だ」
「ルーファスが手紙を寄越したのだろう?マロウの花が蝕身病の侵攻を軽減させ、苦痛を和らげるという情報に加え、先日婚姻をしたフィオナ・ペンフォード伯爵令嬢について話がしたいと。だからドラクレシュティが受けた魔物の襲撃を理由にしてはるばるドラクレシュティに来たのだぞ?」
「だからと言って、約束もなく押しかけてこいとは言っていない」
サミュエルはやれやれと首を振った。
「相談したい内容は分かっている。無理を言って持ち出したのだから感謝するのが筋ではないか?」
「……何の話だ?」
もしかして……サミュエルにも記憶があるのだろうか。
そんな風に考えていると、彼は一枚の書類を取り出した。
それはフィオナと俺の婚姻の書類だった。
「マロウの花の効能を見つけたとなれば、今あるドラクレシュティの評価をある程度覆すことができる。だから、婚姻を破棄して、もう少しまともな婚姻相手を探したいということだろう?
幸い、この書類には記載が必要になっているはずのペンフォード家のフィオナの魔法属性が空欄になっている。まあ、魔法が使えないのだから記載できないのであろうが、不備であることは間違いない。ペンフォード家がドラクレシュティ家を騙した……ということにして、この婚姻を破棄しよう」
「何故そうなるのだ!!」
俺が拳で机を叩きつけると、サミュエルは驚いた顔をした。
ヴィルハイムはぼそりと「……サミュエル様。今のは兄上に消し炭にされても仕方がない発言でしたよ?」と呟く。
「ええい!もう公務は終わりだ!ヴィルハイムも座れ!」
サミュエルはそう言って側近達を退出させ、ヴィルハイムを席につかせた。
これでようやく話ができると胸を撫で下ろす。
「で?どういうことなんだ?ヴィルハイム」
「まずサミュエル様のフィオナ様への認識は間違っています。兄上のことを想うならフィオナ様を兄上から引き離すのは……やめていただきたいですね」
「どういうことだ?」
俺はゆっくりと息を吐いた。
「もっと私を頼れ!友人だろう!」とサミュエルはあの時確かにそう言った。
それは、死を前にした私への慰めだったのかもしれない。でもフィオナを守るには彼の力がどうしても必要だった。
「サミュエル。私には今とは違う、もう一つ別の記憶があると言えば、そなたは信じるか??」
「どういう意味だ?別の記憶?」
「ああ、私は一度この世界を生きて死んだ。そして時を戻すようにして戻ってきたといえばいいだろうか」
この感覚は説明し難い。
だが、この説明が一番しっくりくる。
サミュエルは目を瞬かせ「ルーファス……本当に大丈夫か?」と呟いた。
「私も信じ難い話だとは思ったのですが、これから起こることを言い当てるんですよ。銀山のトラブルもそうですし、今回のサミュエル王子の来訪まで」
「私が来ることを分かっていたということか?」
「ああ。手紙に記載した理由が違うから、日付はズレるかもしれないとは思っていたがな。フィオナを見るためにドラクレシュティまで足を運んでいたから、来ると思っていた」
サミュエルはまだ半信半疑だ。いや、疑いの方が強いだろう。
どのように返答すればいいかわからないと言う顔をしている。
「……記憶の世界では、私はサミュエルに王家の保管する古の神の蔵書があれば閲覧させて欲しい。と手紙に書いた。それを君は持ってきた」
「ほう……?私が?」
「ああ。“神の名”の秘密を私は知っているぞ」
その瞬間、サミュエルの顔つきが変わった。
「数百年も王家の地下書庫に封印されていた、古の神に関する記述。王族の血を引く者しか触れることを許されない、この国で最も貴重な本だと君は言っていた」
「……先先代の王女から漏れた可能性がある」
そうだ。この情報ではまだ弱い。
信じてもらうには、誰にも知り得ない王家の秘密を提示する必要がある。
「シェリルを知っていると言えばどうだ?」
サミュエルは目を見開き、顔が青くなった。
そして、隣にいるヴィルハイムを恐れるような目で見る。
「神に見放された王女」は王族にとって今最も隠さねばならない秘匿事項だ。
「すべてうまくいけば……シェリルも救えるかもしれない」
サミュエルの手は震えていた。
彼の緑色の瞳が混乱に揺れている。
彼の決断を祈るような気持ちで待った。
「話を……聞かせてくれ」
サミュエルはそう言ってテーブルに膝をつき、両手を握りしめ視線を落とした。
俺は、悪夢のような悲劇を語った。
グラディモア公爵の陰謀、大司教の暗殺、王族によるフィオナの保護、司教による誘拐、俺が王族を脅しフィオナを閉じ込めたこと、そしてオストビア帝国の侵略。
そして……彼女の死。
言葉を紡ぐたび乾いた喉が震えた。
まるで、もう一度あの時の痛みをなぞっているようだ。
すべてを話し終えた時、サミュエルはまるで悪夢でも見たかのように青ざめていた。隣で聞いていたヴィルハイムも何も言葉を発することができない。
「信じがたいだろう。だが、これはこれから起こり得る未来だ。そして私はフィオナを二度と失いたくない」
「大司教が暗殺されれば調和の女神の存在を証明する手がかりが全てが失われ、フィオナしかその力を使える者はいなくなる……というわけだな」
彼の声は震えていたが、その瞳は鋭く俺の言葉を分析していた。
「そしてシェリルはこのまま神に見放された王女として歴史から葬られる可能性が高い……」
「存在するかどうかも分からない神を心から信じられなければ……そうなるだろうな」
フィオナは特別だった。
彼女は、存在するかも分からない神の存在を、母との絆で信じていたのだ。
秩序の女神によって私達に祝福を与えてくれた神は6柱のみ。この常識は私達が幼い頃より擦り込まれている。この擦り込まれた常識を自分の中で覆すのは簡単じゃない。
「そしてオストビアの侵略は恐らくフィオナの浄化の力が露見していなくても起こるだろうな……とうの昔にグラディモア公爵は動き始めているはずだ。アズウェルト王国の大地を奪うために」
「そうだ。私の力だけでは全てを防ぎきれない。アズウェルト王国の王族であり、第一王子であるサミュエル……お前の力が必要だ」
サミュエルは指を一つずつ折り曲げながら息を深く吐いた。
フィオナを生かす策、シェリルを救う策を頭の中で考えているのだろう。
「正直、フィオナを生かすだけならば簡単だ。フィオナさえ生きていれば、生きている前例がいる以上シェリルだって救える可能性は高くなる」
「……それだけじゃダメなんだ。私は、フィオナの力は人を不幸にさせる力じゃないと……争いを生む力じゃないと証明しなくてはいけない」
サミュエルは「そういうことか」と呟いて、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、もはや混乱の色はなかった。
代わりに深い悲しみと、そして強い決意が宿っていた。
「ルーファス……」
彼は深く息を吸い込み、そして決然とした眼差しで俺を見つめた。
「友人として、そしてアズウェルト王国の第一王子として、君の頼みを断る理由はない。だが、一つだけ約束してほしい」
「なんだ?」
「君は、二度と一人で背負い込まないことだ。この国を、そしてフィオナを救うために、君は私を、そしてヴィルハイムを最後まで頼ること。それが私の協力の条件だ」
サミュエルの言葉に、俺は力強く頷いた。
「もちろんだ。約束しよう。」
俺は彼の目に映る、新しい未来への希望を見た。
それは決して俺一人で掴むことのできない、大切なものだった。
サミュエル王子が仲間に加わりました。




