喪失の果てに side:ルーファス
目の前にある世界は、もはや意味をなしていなかった。
――色がない。
馬車の窓から見る景色はすべての色が薄い灰色に塗りつぶされていた。
――感覚も鈍い。
誰かが俺の腕を掴む。その手が、まるで遠い星の光のように遠く、熱も冷たさも何も伝わってこない。
ただ、漠然とした圧迫感だけが残る。
声も同じだ。誰かが何かを言っている。
「聖女を失った事に関しては、後日話し合う。ドラクレシュティ辺境伯はもう下がって良い」
「聖女を失ったとはどういうことだ!!」
「ドラクレシュティが守ると言うたではないか!!」
「聖女はお前が殺したんだ!この悪魔め!!」
怒り、悲しみ、すべての感情が、ぼやけた音の塊になって鼓膜を通り過ぎていくだけだった。
まるで水の中にいるようだ。
「ルーファス、屋敷まで送る……」
誰かが何かを言っている。
でも何を言っているか理解できない。
俺の胸には、ぽっかりと穴が空いている。
フィオナ。
その名前を呼ぼうとすると、胸の奥から冷たい風が吹き抜け声にならない声が喉に詰まる。
彼女の笑顔も、温もりも、何もかもが、もう俺の手には届かない。
なぜだ。
なぜだ。
俺は、彼女を守るために全力を尽くした。
塔に閉じ込めて、誰も手出しできないようにして、この命を懸けて彼女を守ったはずだ。
それなのに、なぜ彼女は俺の腕の中から消えてしまったんだ。
彼女がいない世界にどんな意味がある?
俺はただ一つの光のために、すべてを懸けていた。
その光が消えた今、俺には何も残されていない。
静かに涙が頬を伝っていく。
ただその雫の温度すら、俺にはもうわからなかった。
気づくと王都の屋敷にある、自分の寝台にいた。
従者が甲斐甲斐しく何日も俺の世話をしていた気がするが、あれから何日経ったのか、いつから屋敷にいたのかも思い出せない。
ただ、戦争で培われた危険を察知する直感が、脳の片隅で警戒を知らせた。
窓の外から微かに聞こえてくる物音と殺気が僅かに俺の意識を引き戻したのかもしれない。
ぼんやりとした思考の中、寝台から出ると同時に窓ガラスが割れ、顔を隠した男が刃物を持って侵入してきた。
彼は何も言わず、ただ真っ直ぐに私の腹にナイフを向けて走り出した。
「貴方の孤独が…終わりますように」
その声が刺された瞬間、脳裏にこだました。
突き立てられた刃が腹を貫き、熱いものが溢れ出す刹那に浮かんだのはフィオナの最後の笑顔。
この世界の誰よりも彼女を愛していた。
ただ彼女が隣にいてくれるだけで、これ以上の幸せはないと思っていた。
彼女は、俺を果てしない孤独から掬い上げ生きる喜びを教えてくれた。
そんな彼女を、殺したのは俺だ。
その報いとして、今この命が奪われようとしている。
腹からどっと血が噴き出す。このままでは助かってしまうかもしれない。
暗殺に成功したと確信し、ナイフの柄を離そうとした何者かの手を俺は上から押さえつけた。
「何を…?!」
暗殺者の悲鳴に答えず、俺は刃をさらに深くねじ込むように押し込んだ。
先ほどとは比べ物にならないほどの鮮血が、肉を裂いてほとばしる。
これでようやく死ねるだろう。
暗殺者は俺の狂気的な行動と、噴き出す血の量に動揺し怯えるように手を離して後ずさった。
「聖女を殺した報いを受けろ!悪魔公!」
絞り出すようなその叫び声がひどく遠く感じられる。
報い?
こんなものが、報いだというのか。
刺されたはずの腹には不思議と痛みがない。
フィオナを失ってから、何も感じなくなっていたが、まさか痛みすらも感じなくなっていたとは。
それでも、これでようやくすべてが終わる。
彼女のいない世界に、もう何の未練もないのだから。
暗殺者は素早く窓から去っていった。
その背中を見送り、俺はゆっくりと壁にもたれかかりそのまま床に座り込んだ。
物音に気づいたのか、部屋に入って来た従者が慌てて人を呼びにいった。
そこからは慌ただしく何人もの人間が俺の部屋を出入りする。
「どけ!!!!!ルーファス!!!」
部屋に入って来たサミュエルが私の肩を抱き、泣きそうな顔で何かを叫んでいる。彼の手は震えていた。
なぜそんな顔をするのか。
俺はフィオナを守る為に、お前の父親である国王すら脅したのに。
彼は「ダメだ」と何度も叫びながら必死に光の魔法をかけ治癒を試みる。
しかし、もうどうやっても助からない。
その為にナイフを深く押し込んだ。
ただ最後に一つだけ知りたかった。
「サミュエル。俺は……どうすれば良かったんだ?」
フィオナを失わないために、どうすれば良かった?
俺が欲しかったのは、ただ彼女の笑顔をずっとそばで見ていられる日常だった。
完璧だったはずなんだ。彼女を守れたはずなんだ。
でも彼女を守ることができなかった。
彼女は、俺のもとに還ることを拒否した。
拒否したのに、彼女は俺を庇った。
俺の幸せを願い、笑顔で死んでいった。
なぜ?
サミュエルは苦痛に顔を浮かべつつ、俺の肩を強く掴んで口を開いた。
「……彼女の心を、一人にさせないことだ。そしてもっと私を頼れ!友人だろう!」
その言葉が頭の中で何度も反響する。
それなら、彼女を守れたのだろうか。
あの笑顔を守れたのだろうか。
どんなに後悔しても、また彼女に会いたいと願う愚かな自分がいる。
薄れゆく意識の中で、胸から下げた銀のロケットが熱くなった気がした。
これで第一章は終わります。
第二章からは主人公が入れ替わり、ルーファス視点でお送りさせていただきます。
悪魔公はフィオナを幸せにできるのか。
(安心してください。ハッピーエンドです)
孤独な悪魔公の再生物語をこの後もお楽しみください。
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