砂上の楼閣 side:ヴィルハイム
「お前達の侵入経路である沼地に、捕虜を串刺しにしてオストビアの兵に見せてやろうと思っている。私の領地を脅かした者は一兵卒すら許しはしないことを理解させてやろうと思ってな。限りある残りの時間を有意義に過ごすといい。お前の骨をオストビア帝国が拾い家族に届けてくれることを祈りながらな。連れて行け」
兄上は情報を吐かせたオストビア帝国の捕虜に薄笑いを浮かべ、冷酷な眼差しを向けながらそう言い放った。
捕虜は震えながら「情報は吐いた!お願いです!!!命だけはお助けください!!」と叫び、騎士達に連れて行かれる。
「縄を緩めに縛っておけ。奴が逃げ出したら捕まえない程度に奴を追い込みながら、オストビア軍まで走らせろ」
扉が閉まると兄上は、そう騎士に命令を下す。
兄上が前回のオストビアの侵略を防ぐことができたのは、この敵の恐怖を最大限に利用した心理戦の上手さによるものだ。
彼はオストビア軍に逃げ帰り「悪魔公は捕虜になっても一兵卒まで見せしめに殺すらしい」と噂を流すだろう。
オストビア軍が侵攻している沼地は、すでに兄上によって浄土に変えられている。
自国の領土すら情け容赦なく瘴気の森へと変える冷酷さで、敵の恐怖心を最大にまで煽ってあるのだ。
あとひと押しで、オストビア帝国を完全に引かせられる。
兄上の思惑通り敵が引いてくれる事を祈りながら、捕虜が連れて行かれる扉を眺めた。
「ヴィルハイム、城は頼んだ。戦場に戻る」
兄上はそう言って戦場へと戻っていった。
侵略が始まる前にグラディモア公爵の陰謀に気付けた事は僥倖だった。
兄上はグラディモア公爵の裏切りに先手を打ち、グラディモアと隣接する領地全てに強固な防衛線を引かせた。
その上、フィオナ様をドラクレシュティに連れ帰ることで、アズウェルト王国は何があってもドラクレシュティを守り切らなくてはいけないという状況を作り出した。
奇襲に失敗したオストビア帝国とグラディモアに勝ち目はない。
後は、オストビア帝国と隣接するもう一つの領地で、グラディモア領の東にあるギオロク領がどのような状況に陥っているかだ。
ギオロク領は領地の周囲をオストビア帝国とグラディモアに囲まれている。
オストビア帝国との国境を真に守っているとも言える領地だ。
領地全てを軍事に特化させ、山脈という自然の要塞がないオストビアとの国境沿いを守っている。
ギオロク領の堅固な守りを突破することは難しい。
そのため、前回の侵略ではドラクレシュティ北西の街道が使われたのだ。
グラディモア領は国境である山脈を守るとともに、侵略の脅威に常に晒されているギオロク領を支える領地だった。
しかし、グラディモアはアズウェルト王国を裏切った。
細く険しい山脈から、少しずつオストビア軍の兵を引き入れ、アズウェルト王国への攻撃を開始したのだ。
背後からの攻撃を防ぐためギオロク領にも攻撃を開始しているだろう。
あの領地が簡単に落ちるとは思えないが、早急にこちらを片付けなくてはいけない。
あと少し。あと少しなんだ。
兄上は、フィオナ様を失わないために彼女を塔へと閉じ込めた。
優しすぎる彼女は、すぐに自分を犠牲にして他人を、ドラクレシュティを、兄上を守ろうとする。
王宮で行われた諮問会議。
あの時もそうだった。
兄上はどんな手を使ってでもフィオナ様を守り抜いたはずだ。
それほどまでに、彼女は兄上にとって大切な存在。
自分の命すら手放すことを躊躇わなかった兄上が、ただ一つ、誰からも奪われたくないと願ったものが彼女だった。
彼女を失うことを何よりも恐れていた兄上の心は、あの夜、司教による誘拐事件でついに決壊した。
彼女を失わない為に、彼はは再び悪魔公の仮面を被った。
国王を得意の心理戦で追い詰め、彼女をドラクレシュティに取り戻したのだ。
脅迫じみた言葉でアズウェルト王国全ての貴族を、オストビア帝国からフィオナ様を守るための駒に仕立て上げた。
そしてこの戦争を利用して、彼女に誰も手出しできないよう、すべてを操作するつもりだ。
そのために、彼女から自由を奪い安全な塔に閉じ込め、情報から遮断し彼女の想いを踏み躙った。
兄上を身も心も救い、彼を心から愛してくれたフィオナ様。
彼女は兄上と同じ目線に立ち、彼の心に寄り添い、支え合う夫婦として隣に立つ事。
それだけを望んでくれていた。
でも、彼女を失わない為には兄上の方法しかないのだと自分に言い聞かせるしかなかった。
このままでは彼女は権力争いの道具として、ドラクレシュティから遥か遠い地で誰かに使い潰される。
彼女を守る為に、私達は彼女の心を踏み躙るしかなかった。
彼女の心の傷は、兄上がきっといつか癒してくれる事を信じるしかなかった。
彼女の心が壊れてしまう前に、早くこの戦いが終ってくれるよう祈るしかなかった。
「ヴィルハイム様……フィオナ様がお食事を全くお召し上がりになりません」
兄上が戦場へと戻って数日後、アンナとミリーが顔を青くしながら私に報告してきた。
「どんどん……お痩せになっておられるのです。このままではフィオナ様が……」
兄上は、フィオナ様にオストビアの侵略について話したと言っていた。
だから、彼女に細心の注意を払うようミリーとアンナに言い含めていたのだ。
こうなる事は分かっていた。
だが、このタイミングで現実に起こってしまったことに焦燥感が募る。
「彼女の様子を見てくる」
久しぶりに会った彼女は、痩せ細り虚ろな目をして細い窓から外の様子を眺めていた。
どれほどの涙があの宝石のような青い瞳から流れたのだろう。
「アンナとミリーから……フィオナ様が食事を殆ど召し上がらないと伺って」
「ごめんなさい……」
彼女はそう言って視線を下げた。
お願いだから、謝らないで欲しい。
貴女は何も悪くない。
悪いのは……貴女を守るためだと言い聞かせ、兄上に従い、貴女の心を踏み躙った私達なのだ。
貴女の心を踏み躙っても、兄上の側にいるのは貴女であって欲しかった私達の願いのせい。
「ヴィルハイム……孤児院に行っちゃダメかしら」
彼女は窓から視線を外し、首だけを私に向けた。
「今はテオとリオも城を外れているので……」
「そう……」
彼女はあっさりとその願いすらも諦めて、再び虚な目は窓の外へと戻っていく。
これ以上、見ていられなかった。
このままでは、彼女の心が死んでしまう。
孤児院に行くことでせめて彼女の心が繋ぎ止められるなら……。
「ミリーを……一緒に連れて行くのであれば」
一緒に行くとは。言えなかった。
その判断が取り返しのつかない悲劇を生む事を私はまだ分かっていなかったのだ。
「フィオナ様がいなくなりました!!!」
ミリーはノックもなく悲痛な叫び声をあげて執務室へと飛び込んできた。
孤児院の子供達に、戦場である沼地へどう行くのか聞いた彼女は、一人で行方をくらました。
「ルーファス様に至急連絡を!!私も彼女を追いかける!!」
私はすぐに出る支度を整え、馬を出した。
胸を焦がすのは、間に合ってほしいという切なる願いと、すでに訪れたかもしれない最悪の事態への恐怖だった。
ーーしかし私の願いは届かなかった。
私が沼地に到着した時、兄上は彼女の亡骸を抱えたまま灰色の大地の真ん中で座り込んでいた。
兄上が築いた砂上の楼閣が、音を立てて崩れ落ちる。
兄上はそれから人形のように何の反応も示さなくなった。
ただ一度、彼女の亡骸を兄上から引き離す時に子供のように泣きじゃくっただけだ。
「嫌だ」と泣き叫びながら彼女の亡骸に手を伸ばし、彼は崩れ落ちた。
「戦場はもういい。後はオストビア帝国の残党を処理した後、ギオロク領を救えばこの戦いは終わる。ルーファスは私が王都に連れ帰りあちらで静養させる。ヴィルハイム、ここを頼めるか」
「かしこまりました……」
戦いの前線であるドラクレシュティに王宮騎士団を率いて指揮を取っていたサミュエル王子は、抜け殻のようになった兄上を見ながらそう言った。
彼は聖女を失ったことを王宮に報告しなくてはいけない。
その冷徹な言葉は、私に向けられた最後の優しさだったのかもしれない。
王都へと向かう馬車は静かにドラクレシュティの城門を抜けていく。
馬車の窓には、顔を伏せ微動だにしない兄上の姿があった。
その隣に、寄り添うように座るサミュエル王子。
彼らの背中は、まるでこの世のすべてから切り離されたかのように、ひどく遠く見えた。
私はただその馬車が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。
フィオナ様……貴女の望みは、ルーファス様の孤独を終わらせることだった。
だがその孤独が、これほどまでに深いものだとは。
私には、その悲しみを癒す術がない。
そして、その悲劇を招いたのは私自身だ。
私はただ黙って馬車が消えた道を眺め続けた。
フィオナ様、どうか安らかに眠ってください。
そして、どうか、許してください。
書いててとても胸が痛かったです(作者なのに)
ルーファス視点は次こそ!




