灰色の大地にて
「フィオナ様……失礼します」
部屋を訪ねてきたのはヴィルハイムだった。
ヴィルハイムを見るのは何日ぶりだろう。
この部屋はルーファス様の私室にあるから、彼が訪ねることなんてこれまで全くなかった。
「アンナとミリーから……フィオナ様が食事を殆ど召し上がらないと伺って」
「ごめんなさい……」
ルーファス様が「全てを片付けてくる」とこの部屋を出てから数日。私は殆ど食事を摂っていない。
ヴィルハイムは「謝らないでください」を顔を顰めた。
「フィオナ様、不自由な思いをさせてしまっているのは重々承知しています。辛い……思いをさせてしまっているのも」
ヴィルハイムはただそう言った。
優しいヴィルハイムの言葉は今もグラグラと葛藤しているのが私にも分かった。
だからこそルーファス様はあえてヴィルハイムを私の部屋には近づかせなかったのだろう。
だから……これから彼を騙してしまうことに罪悪感が湧く。
「ヴィルヘルム……孤児院に行っちゃダメかしら」
「今はテオとリオも城を外れているので……」
「そう……」
元々かなり確率の低い賭けだった。
私は窓の外に視線を映す。
先日まで静まり返っていた城下町が侵略の終わりを迎えて俄かに活気付いているのがここからでも分かる。
「ミリーを……一緒に連れて行くのであれば」
その言葉に私は振り向いた。
ヴィルハイムは険しい顔をしている。
きっとルーファス様の命令を破ってしまっているのだろう。
(ごめんなさい。ヴィル)
「フィオナ様だ!!!!」
孤児院への長い坂を下ると、外で遊んでいる子供達が顔を輝かせて飛んできた。
子供達は久しぶりに顔を見せた私に口々に話しかける。
孤児院の隣に作ったマロウの畑は沢山の花を咲かせていた。冬の間も子供達が丁寧に世話をしてくれていたことがすぐにわかる。
「フィオナ様!本読んであげる!」
「文字が上手になったの!」
そう言って子供達は私の手を引いた。
「ミリー、お父様に会ってきて?全然会えていないでしょう?」
ミリーの父はじき家族の住む村に帰る事になっている。それなのにミリーは少しでも私のそばにいようと救護院へ行くことも少なくなっていた。
きっと会いたいはずだ。
「では……少しだけ顔を見て参りますね」
ミリーの姿が見えなくなったのを確認して、私は屈んで子供達に話しかけた。
「みんな、ここから沼地に行くにはどうすればいいか教えてくれないかしら?どうしても行きたいの」
「沼地は少し遠いけど森を抜けたら近いよ?あっち」
「僕たち、たまに内緒で探検に行くんだ!内緒だよ?」
「でも、危ないから最近は行っちゃダメって言われてる。怖い兵隊さんがいるんだって」
子供達はそう言って森を指差した。
前回碧玉の泉に行った時は、城下町を降ったら城壁をぐるりと回るように東へと馬車を進めた。
だから時間がかかってしまったが、やはり城から遠くない。
「途中まででいいの。案内してくれないかしら?」
「いいよ!!」
子供達は誰が先頭を切るか揉めながら森の中に入って行く。
私は振り返り、青々とした木々の隙間からドラクレシュティの城を目に焼き付け、子供達の後をついて行った。
獣道のような小さく細い道を子供達と歩いた。
小川を超えたところで子供達が「ここから先はダメなんだ」と立ち止まる。
「ありがとう。先に孤児院へ戻っていてくれる?」
「後で私の文字見てくれる?」
「……ええ」
子供達は私の言葉を疑うことなく「はーい」と孤児院へ戻って行った。
子供達に心の中で何度も謝りながら私は子供達の指差した小道を進んだ。
森を抜けると沼地に続く街道に出た。
私は北東に足を進める。
周囲の森がどんどん深くなるこの光景には覚えがあった。
この森の奥に、碧玉の泉がある沼地がある。
しかし、まるで突然そこだけを切り取ったように森は突然途切れた。
森の代わりに広がるのは灰色の大地。
地面からは瘴気の黒い粒子がのぼり、残っている僅かな木は葉を無くし色を失っている。
広がっているはずの沼地は消えてしまっていた。
土が不自然に盛り上がり、所々にある濁った水溜りの中で魚が浮いているのが見える。
至る所に、見た事がない鎧をつけた人の亡骸が転がっている。きっとオストビア帝国の兵士だ。
この光景を引き起こしたのは私だ。
ルーファス様がドラクレシュティで一番好きだと言っていたあの美しい碧玉の泉を私は消してしまった。
枯れたと思っていた涙が再び私の頬を濡らす。
私はしゃがんで灰色の大地に両手を置いた。
「天の理よ、この地に降りて。我が心、我が手、我が知識に宿り給え。調和の女神 ハルモニアの御心に従い、奇跡をこの身に成さん」
私は魔力を注いだ。
灰色の大地の先を見つめ、遠く遠く届くように。
白く淡い光が大地を包み込み、瘴気が白い光と合わさって天に昇って行く。
「フィオナ!!!!!!!」
振り向くといつか見た炎の翼で私のそばに降り立つルーファス様がいた。
彼は地面に降り立つと走って私の腕を握り強引に地面から引き離す。
私の手が地面から離された瞬間、淡い光は音もなく砂のように消えた。
「何をしている!!!こんなところで!!!」
苦悶の表情を浮かべ、悲痛に叫ぶ彼の声。
私は彼の手を思いっきり振り解いた。
「離して!!!!」
ルーファス様は私に手を振り払われたことに驚き目を見開く。そして泣きそうな顔になった。
「ここは危険だ。迎えにきた。城に帰ろう」
そして「この手を取れ」と言うように再び差し出された彼の手。
私は首を振った。
私の心臓が、痛みに焼かれるかのように脈打つ。
この手を握れば、私は再び彼の檻に戻ってしまう。
それでも、彼の差し出す温かさに戻りたいと、もう一人の私が叫んでいた。
「帰れません……」
「なっ……!!」
溢れた涙が灰色の地面に吸い込まれていった。
視界は滲み、これ以上ないと思っていた胸の痛みがどんどん増していく。
それでも、私は彼に告げなくてはいけない。
「ルーファス様の元へは帰れません」
ーー貴方の隣にいたい。
「私の力は……貴方を不幸にすることしかできない」
ーー貴方と幸せになりたい。
「だから、もう貴方のそばにはいられないの」
ーー貴方を愛しているから。
「ダメだ。ダメだフィオナ……」
そう言って縋るように手を差し伸べる彼に背を向けた。
その時、視界端で何かが動いた。
それは亡骸だと思っていたオストビア帝国の兵士。
彼はただルーファス様だけを見て、剣を握り起き上がった。
「地獄に堕ちろ!!!!悪魔公!!!」
彼は剣を突き出しルーファス様に向かって駆ける。
私は彼の前に飛び出した。
身体の中心を貫いた刃。
口からは一瞬にして血が溢れた。
「フィオナ!!!!」
彼はオストビア兵士に止めを刺し、地面に倒れた私を優しく抱き起こす。彼の顔はもうよく見えなかった。
ただ私の頬に冷たい雫が降っていることだけはわかる。
「泣かないで……」
「嫌だ」と叫ぶ彼の悲痛な声が聴こえる。
彼の腕の温もりに反して私の身体はどんどん冷たくなっていった。
感覚そのものが消えていくような感じだった。
「今、治癒を……!!」
私に手をかざす彼の手を、そっと止めた。
これ以上彼の愛するこの場所を穢してほしくない。
最後なら、言ってもいいだろうか。
彼に触れてもいいだろうか。
私は最後の力を振り絞り、彼の頬に触れた。
「貴方の孤独が…終わりますように」
その言葉に心からの祈りを込めた。
愛しています。
最後の言葉は声になって彼に届いたのか、もう私には分からなかった。
オストビアの兵士は、フィオナの浄化で起き上がりました。
これで第一章におけるフィオナ視点は終わりです。
あと2話、第一章が続きます。
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