追い詰められた心
目が覚めると王都にあるドラクレシュティの屋敷にいた。
枕元にいたミリーとアンナは私の目覚めに泣きながら喜んでくれた。
司教に誘拐され、ルーファス様が助けに来てくれたことは覚えている。
――でも、何故王宮じゃないのだろう。
「ルーファス様はフィオナ様を抱えてお屋敷に戻ってきました……。ドラクレシュティ領に帰る準備を早急にするようにと言われ、ドラクレシュティにも急ぎ遣いを出しておられたご様子でしたが……私達にもわかりません」
そう言ってアンナは不安そうに視線を落とす。
部屋を見ると、すでにほとんどの荷物が運び込まれていた後だった。
そして部屋に入ってきたテオとリオは、跪き泣きそうな顔で私に謝ってきた。
温室で守れなかったこと、浄化の魔法を使わせたこと……。
でも二人のせいじゃない。
温室にはそもそも護衛を連れて入れなかった場所だ。
それに、私はリオが止めていたとしても浄化の魔法は使っていた。
助けられる人がいて、助けられる力があるなら何度だって同じ選択をしただろう。
そして王宮にいく事を決めたのも、ルーファス様を守りたかった私の意志だ。
「これからもフィオナ様の護衛騎士でいさせて欲しい」
二人の言葉に私は視線を合わせ「もちろんよ」と笑って返事をした。
しばらくするとルーファス様、ヴィルハイム、アルローが屋敷に帰ってきた。
屋敷の入り口まで出迎えると、ルーファス様はほっとしたように表情を少し緩ませる。
「体調は?」
「もう大丈夫です」
「では早急に馬車を出す。ドラクレシュティに先に向かってくれ。ヴィルハイム、テオ、リオはフィオナの馬車に乗り護衛しろ」
「え……?」
どういうことなのかとルーファス様に尋ねるが「途中で追いついて説明する」と言われ、私は急ぎ馬車に乗せられる。
10日以上かかるドラクレシュティまでの長い道のりを、まるで逃げるように馬車は走り出した。
サミュエル王子やアイディーン様も私が連れ攫われて心配しているはずだ。
国王陛下や王宮で私の力を研究していた人々に挨拶もしていない。
一言も言葉を交わせないまま離れることに罪悪感が浮かぶ。
少しずつ離れていく美しい王宮に、このままでいいのかという思いが募った。
「ヴィル、何があったの?教えて」
「……すいませんフィオナ様、全てを話すなと言われています」
ヴィルヘルムは罪悪感の籠った橙色の瞳を私から逸らすように視線を下に向ける。
テオとリオに視線を向けるが、彼らも知っていることについて話すつもりはないらしい。
「ただ、王家に無断でフィオナ様を連れ出したわけではありません。王宮にいてもフィオナ様の安全は守れない事が今回の事件で明るみになりました。王宮での安全が保証されてない以上、ドラクレシュティで守る方が確実ですから」
たくさんの真実がその言葉の裏に隠されていることは嫌でもわかった。
司教が捕縛されたこと、私を連れてドラクレシュティに帰る事に許可があること、それしかヴィルヘルムは教えてくれない。
ルーファス様は私たちを先に帰して王都で何をしているのか、それも話せないという。
どうして?
疑問が次々に湧いていくが、仮説すら立てられないほど私には情報がない。
その無力さに、膝の上で握る手に力が入った。
最後の停泊場所に到着し就寝間際の時間になって、ようやくルーファス様が私たちに追いついたとアルローから連絡が入った。
しかし彼は着いて早々部屋に引き上げてしまったという。
「アルロー、お願い。ルーファス様と話がしたいの。だから部屋に行かせて」
「フィオナ様……」
「何日も誰も何も教えてくれない。それを指示しているのはルーファス様でしょう?だから彼に直接聞く。お願い……」
いつも穏やかなアルローが眉間に皺を寄せやむを得ないというように私をルーファス様の部屋に案内した。
「ルーファス様、フィオナ様が面会を望んでおられます」
「……入れ」
部屋に入ると、ルーファス様はすでに入浴を済ませたようで簡易的な装いになっている。
手にしていた書類をテーブルに置いてこちらを見た。
私を中に入れると、彼はアルローに下がるよう命じる。
「どうしたフィオナ」
「……何があったのか、教えてください」
「何が知りたい」
そう言って、彼は私の目の前に詰め寄った。
今までのルーファス様とは思えないほど、聞くことに敢えて圧力を与えるような彼の行動に、胸が苦しくなる。
「今まで……何をなさっていたのですか?」
「事件の黒幕を追っていた」
「捕まったんですか……?」
ルーファス様は緩く首を振る。
それでも彼の赤い瞳は全てを見透かすように私を見据えたままだ。いつもなら、彼は全てを説明してくれていた。
淡々と答える彼の言葉ひとつひとつが“関わるな”とでも言うように私を拒絶する。
ずきりと痛んだ胸を押さえるように私は胸に手を乗せた。
「私が……王宮を出ることを許されたと聞きました。どのようにされたのですか?」
「王宮ではフィオナを守りきれないことを彼らに突きつけただけだ」
「突きつけた……?どういうことなんですか?」
私の言葉に、彼の赤い瞳が手負の獣のようにギラリと光った。
彼の大きな手が胸の前に握る私の手を上から覆うように強く握られる。
「何故知りたい?そんなにあの場所へ帰りたいのか?」
「そうじゃありません!」
絞り出すような彼の怒号に、私は首を振った。
「また危険な場所へ自ら赴くのか?自分を犠牲にして!!」
「そんなことない!!私は………!」
貴方を守りたかった。
貴方の助けになりたかった。
貴方の隣で胸を張って歩ける、そんな女性になりたかった。
それを伝える前に、彼の唇が私の言葉を遮るように重なった。
それは、私の言葉の続きを許さないかのように乱暴で、それでいて、呼吸すらできないほど深い口づけだった。
唇が離されると、彼の黒い柔らかな髪が頬に当たり震える声が耳に届く。
「君は教会の聖女でも、王国の聖女でもない。俺の妻だろっ……」
ただ彼を守りたかった。
それが彼をこんなにも追い詰めていたなんて。
思い詰め、懇願するような声に身体が固まる。
彼はそのまま私の腕を引き寝台に押し倒すと、私の上に覆い被さった。
まるで縋り付くように、ここにいることを確かめるように繰り返される深い口付け。
彼の抱えている孤独と恐怖がそのまま流れ込んできて涙が溢れる。
どうして私はこんなにも無力なんだろう。
彼の唇が離れると、そのまま彼は私の首筋に口付けを落とした。
熱を帯びた彼の唇が皮膚の上を這い、次第にその動きが激しくなる。
彼の歯が首筋に強く押し当てられ痛みが走った。
「……っ!!!」
私の漏らした声に、我に返ったように顔を上げたルーファス様の赤い瞳からは涙が溢れていた。
彼は自分の涙に今気づいたのか、一瞬困惑に目を見開き、それを隠すように私を強く抱きしめた。
彼の腕が震え、背中に回された手は氷のように冷たい。
「すまない……お願いだから……離れないでくれ」
まるで怯えた子供のように縋り付く彼の声に応えるよう、私は彼の背中に腕を回し、孤児院の子供をあやすように背中を撫でた。
彼はそのまま静かに泣き続け、やがて眠ってしまった。




