魅惑の誘い side:アバルモート
「クソッッ!!!」
荒々しく扉を開け自室に入ると乱暴にそれを閉めた。誰もいない部屋でその場に立ち尽くし憎しみを込めて拳を握りしめる。
聖女様……。
あれこそが私が待ち望んだ光だ。
あの穢れた悪魔公の隣にいる、あの方こそが。
沸き上がる怒りを抑えきれずテーブルに向かった。
教会本部へと宛てた書きかけの手紙が視界に入った。その手紙を感情に任せて荒々しく手で払いのける。
手紙だけでなく、上に置いてあったインク瓶やペンが床に散乱し、インクの染みがじわじわと絨毯に広がっていく。
あの大司教は事の重大さを全く理解していない。
聖女の力は教会にあるべきなのだ。
王族を頂点とした魔法属性と魔力による絶対的な階級社会。これを瓦解させるため神々が我らの元に聖女様を遣わせてくださったのだ。
彼女さえ手に入れることができれば、教会は人々を脅かす瘴気を解決できる唯一の組織となる。
魔法は邪悪な力である事を人々に知らしめ、我々こそが真の神の意志を継ぐ者であり、この国の救済者であるということを分からせることができるのだ。
それなのに大司教は教会へと足を運んだ聖女をあっさりと帰した上、この件に関して私への一切の関与を禁じた。
私よりも先に教会本部へと手紙と使者を送り、私を締め出して書庫に入り浸っている。
聖女の放つ美しい光を見た時に、私は明るい未来が見えた。
教会本部から聖女を見つけ出した者として賛美され、侯爵家の庶子として私を軽く扱った貴族達が私の足元に平伏す素晴らしい未来を。
それは陰鬱とした私の人生における希望のような光。
それを大司教は「この件に一切関わることを禁ずる」の一言で最も簡単に切り捨てた。それは何の感情もなく庶子である自分を突き放し切り捨てた父の姿と重なった。
彼は聖女を見つけ出した功績を独占するつもりなのだ。
この教会という新たな場所でも、私はまたこのどうしようもない階級の壁に阻まれるのか。
王族と貴族を憎み、彼らの支配から逃れてきたはずなのに……。
結局私はより大きな権力を持つ大司教の足元に平伏すしかない。その事実に私の内側で何かが焼け焦げるような、行き場のない怒りが渦巻いた。
すると部屋にノックの音が響いた。
扉を開くと平民の使用人が手紙を持って立っていた。彼は私の部屋の惨状をみて顔を引き攣らせる。
「なんだ」
「いくつか教会に手紙が届いております。いつも通り大司教にお届けに行ったのですが、忙しいので司教に対応してもらうよう言われました…!」
どうせ底辺貴族からの援助の申し出だろう、と私はその手紙を使用人の手から奪い取る。
教会は困窮した底辺貴族から援助を求められることがある。
瘴気によって土地が痩せ、領民が土地を手放し逃げ出すのだ。貴族はその土地に教会を建てることを許可する代わりに、教会は抱える平民の信者をその土地に住まわせ領民として税を納めさせている。
そうして教会は世界の各地に少しずつ信者を増やしながら根を張ってきた。
しかし、底辺貴族の相手は非常に面倒だ。
プライドだけは高い彼らは援助を求めながらも、その態度には傲慢さが滲み出る。
「我々が教会に土地を与えてやるのだ」
そんな言葉が聞こえてくるようだ。
彼らはまるで施しを受けているのは自分たちではなく、こちらであるかのように振る舞う。
自身にはなんの得にもならない底辺貴族の相手をさせられた上、大司教には聖女の功績を奪われようとしていることにやり場のない怒りの感情は止まるところを知らなかった。
「この手紙は……公爵家ではないか」
グラディモア公爵家の家紋が刻まれた封蝋に、私はその手を止めた。
「ようこそおいでくださいました。アバルモート司教」
グラディモア公爵家の広く美しい応接間に通された私は、教会の椅子とは比べ物にならないほどの豪華な椅子に腰掛けた。
グラディモア公爵は大司教の代理として訪れた私を、まるで大切な賓客のように私をもてなす。
オストビア帝国からの侵略、それを防衛するための戦いで北の大地の瘴気は悪化の一途を辿っているという。
グラディモア公爵は今の貴族の在り方について疑問を抱き、教会の意見を伺いたい。と、丁寧な口調で私に教えを求めた。
私は教会の教えを懇切丁寧に説いた。
彼は熱心な姿勢でその話に耳を傾け、私の言葉を肯定する。そして話題は先の侵略での“悪魔公”の行いについて及んだ。
「悪魔公は目的の為には手段を選びませんからな。私の領地はかの領地の隣ですから、その人物像はとてもよく知っております。まだ年若いので侮っている者も多いですが、彼は自分の名声の為ならば、敵味方関係なく残虐非道な行いも簡単にやってのける。ドラクレシュティの北方など、瘴気で人が住むことすらままならないそうですよ。彼は名声の為なら領地も領民もいくら犠牲にしても構わないということなのでしょう。恐ろしいですな」
私はグラディモア公爵の話に深く頷いた。
私の手を払いのけた時に向けられた彼の赤い瞳は冷たく敵意に満ち溢れていた。
「彼が蝕身病である……という噂もありましたが、どうやらデマだったようで、先日の魔法競技会ではみっともない姿を晒してしまいました。まだまだ彼の治世は続きそうですよ。彼の治世の間にどれほどの瘴気が広がるか……」
憂いを帯びた表情で盃を傾けるグラディモア公爵。
私は内心、焦りに満ちていた。悪魔公が蝕身病である話は私も聞いたことがある。その時は、眉目秀麗でアズウェルト王国で一番の魔法の使い手と称された愚かな貴族に神の罰が降ったのだと喜んだものだ。
その話は当時かなり現実味を帯びていた。
彼の身体の瘴気が消えた心当たり……それは私の聖女しかいない。
アズウェルト王国一の魔法の使い手で、王家の信頼も厚いドラクレシュティ辺境伯。彼の元に聖女がいる限り、私にも教会にも栄光など来ることはないだろう。
「そういえば先日、悪魔公が教会を訪ねたそうですな。まさかあれほどの残虐の限りを尽くした悪魔が、罪を悔い改めに来たなんてことはありますまい。彼はどのような理由で教会を訪れたのですか?アバルモート司教」
先ほどまでの温かさなど嘘だったかのように、公爵の声色は冷たい刃のように鋭く私に向けられた。
彼の顔にはまだ笑みが残っていたが、その瞳は一切の嘘を許さない凍てついた光を宿している。
「私はなんらかの方法で彼が身体にある瘴気を消したのではないか……と考えているのですよ。アバルモート司教は何かご存知ありませんか?」
ひたり、ひたりと刃が背中に当たるような感覚に背筋が凍った。まるで猫に睨まれたネズミのように微動だにできない私を追い詰めるように、彼は優雅な足取りで背後に立ち私の肩に手を乗せる。
「ドラクレシュティ領にも、王家にも私はほとほと嫌気がさしているのですよ。
辺境伯の地位でありながら、王女殿下を迎えた事もあるほど王家との親交が深く、さらに、あの銀山を所有し、莫大な富を築いているという。そして今年はマロウが蝕身病に効果があるということを発見したそうです。グラディモア公爵家が権力の中枢から遠ざかっていくというのに、ドラクレシュティ領はこの国で最も栄華を極めています。その上、身体に巣食った瘴気を消す方法をドラクレシュティが持っていたら……」
彼は冷たい息をそっと吹きかけるように、耳元で小さく囁いた。
「……アバルモート司教、私達の望みは近いところにあると……思いませんか?」
その言葉の裏に隠された真意に、私の背筋はさらに凍りついた。
彼の言う「私達の望み」とは、単にドラクレシュティ辺境伯を排除することだけではない。
この国の秩序そのものをひっくり返す、恐るべき企てが隠されている。
私の肩から手を離したグラディモア公爵は何事もなかったかのような軽い足取りで元の席へと戻る。
「いかがでしょう?」
穏やかな笑みを貼り付けたその目には、自身の物とは比べ物にならないほどの深い闇が宿っていた。




