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残虐非道と呼ばれた悪魔公は、ただ一人を幸せにしたい〜『神に見放された伯爵令嬢』を幸せにするための回帰譚〜  作者: 白波さめち
一度目の世界ー悪魔公の過ちー

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大司教と教会の書庫


 魔法競技会が終わり、教会を訪れる日がやってきた。


 王都にも本格的な冬が始まったことを告げるように、しんしんと雪が降り積もる中、ルーファス様と私を乗せた馬車は王都のはずれにある教会へとたどり着いた。


 初めて見る教会の建物は、王宮ともドラクレシュティ城とも雰囲気がまったく違う。

 それは教会がこの国の秩序や権威から独立していることを表しているようだった。


 正面の国旗も王家の紋章もない巨大な門を通り過ぎ、指定された裏口に向かうと案内の者が待機していた。


「ドラクレシュティ辺境伯、大司教がお待ちです」


 裏口に通されたということは、ルーファス様を教会の正式な訪問者として扱っていないということだ。

 すれ違う人々もそれを示すように、私たちに冷たい視線を向ける。


 案内された部屋に入ると、先日見た大司教が私たちの到着を待っていた。


 彼はただ静かに、しかしその存在だけで部屋の空気を支配するような威圧感を放っている。


 形式的な挨拶を交わすと、大司教様はルーファス様を正面から見据えた。


 その目は、まるで汚れたものを見るかのような嫌悪と、微かに侮蔑の色を宿している。

 そして、その周囲を無言のまま数人の教会関係者が取り囲んでいた。


 彼らはルーファス様に視線を向け、まるで彼が少しでも動けば一斉に襲いかかるかのような緊迫した空気を放っていた。


「それで……この度はどのような要件か、ドラクレシュティ辺境伯。悪魔公と呼ばれ先日も競技会で目覚ましい活躍をしていたそなたが、罪を悔い改めにきたということはあるまい」


「お時間を頂戴しありがとうございます大司教。訪問したのは、教会の保管する古の神の記録をお教えいただきたく思い参上しました」


「ははっ、それを知ってそなたはどうすると言うのかね。また神から授かった力で人を殺め、瘴気を大地に撒き散らすのか。悪魔公のことを教会側が把握していないとでも思ったのか?我々はそなたの罪についてよく知っている。神から授かった祝福で村を焼き、森を焼き、多くの生き物と人を殺めた罪人に神のことを知る権利があるとでも?」


 大司教様の言葉をルーファス様はそれが本当であるかのように粛々と受け止めている。


 私はそれが悔しくて、悲しくて堪らない。

 テーブルの下で握った掌に爪が食い込む。


「ドラクレシュティ辺境伯夫人。何か言いたいことでも?」


 大司教様は薄笑いを浮かべながら、私に目を向けた。


「任せておけ」とルーファス様は言っていたけれど、これ以上黙って聞いていられなくて、思わず口から言葉が漏れた。


「では、どうすれば良かったんですか……?」


「何?」


 溢れ出た涙が頬を伝っていく。

 でも俯くことなんてできなかった。薄笑いを浮かべ続ける大司教様の瞳が私を捉える。

 

 その目を真っ直ぐに見つめ、言葉を続けた。


「オストビア帝国はアズウェルト王国の大地を手に入れるために侵略してきました。巨大な帝国が軍を率いて攻め込んできたのです。大司教様はルーファス様を罪人だとおっしゃいますが、ではルーファス様はどうするのが最善だったのでしょう?オストビア帝国の兵に民が蹂躙され、搾取されるのを黙って見ているのが神から祝福を与えられた者としての正しい行いだったんですか?」


 大司教様の顔から、薄笑いが消えた。


 代わりに深い思索の影が浮かんでいる。

 彼の口が、何かを言おうとして、しかし言葉にならないまま閉ざされた。


 大司教様を取り囲んでいた者たちが口々に「無礼者」と私を責め立てる中、ルーファス様は私をかばうように前に出る。その時、「……フィオナ。ありがとう」という彼の小さな声が私に届いた。


 大司教様は取り囲んでいた者たちを静かに手で制し、そしてルーファス様を見た。

 困惑とほんのわずかな驚きがその瞳に浮かんでいる。


「ルーファス・ドラクレシュティ。そなたは、彼女の言葉が真実だと申すか?」


 ルーファス様は赤い瞳を逸らすことなく大司教に言葉を返した。


「しかし私が人を大勢殺め、多くの大地を瘴気で穢したのは事実です」


 その真摯な態度に、大司教様はさらに深く考え込んで口を開いた。


「我々が知る神の記録は、そなたの言うような戦争の解決策を記したものではない。それは古の時代、神から祝福を与えられた人々がどのように魔法と共存していたかを記した、ただの歴史だ。なぜ、そなたはそれを知りたい?」


 ルーファスは、大司教様の瞳をまっすぐ見つめた。そこには、今まで隠されていた深い悲しみと決意が宿っている。


「……我が領地は今も、瘴気で穢れています。民は作物が育たない土地で苦しみ、蝕身病に蝕まれています。私はそれを終わらせたい。フィオナはそれを終わらせる可能性を我々に授けてくれました。彼女の力が何なのかを知るために、古の神の記録を知りたいと思っています」


「ドラクレシュティ辺境伯夫人の……力だと?」


 大司教様の少し驚きの混じった言葉に、ルーファス様は右腕の袖を捲り上げ、大司教の前に右腕をかざした。


「私の身は瘴気に蝕まれておりました。右腕の呪紋は広がり続け、半身を覆っていたのです」


「……呪紋など私には見えぬが?」


「フィオナが魔法で私の身体に巣食う瘴気を取り除いたからです。この身体にもう瘴気はありません」


 その言葉に大司教様の周囲がざわめいた。大司教様は驚きのあまり目を見開いてルーファス様の右腕を見つめている。


「瘴気を浄化する魔法を使えるとでもいうのか!嘘も大概にせよ!!!」


 取り巻きのその一言で我に返った大司教様は「全員退室せよ」と、周囲の人々を部屋から追い出した。


 そして彼は見定めるように私を見る。


 ゆっくりと首を振った彼は「こちらへ」と部屋の隅にあった木製の扉を開けた。


 使用人が出入りするような小さな木の扉の向こう側には、複雑な模様が描かれたタイルが敷き詰められた狭い廊下があった。

 

 人一人が通れるような狭い通路は入り組んでおり、使用人のための通路とは思えない。


 いくつかの角を曲がり「ここだ」と案内されたのは、狭い書庫だった。


 両側の壁一面には本棚があり、古い本や羊皮紙の束が詰まっている。

 最奥の壁には、美しい女性が涙を流している男性にアガパンサスの花を与えている、秩序の女神の絵画が飾られていた。


 中には大司教様と似た衣装を着た壮年の男性が一人。


 彼は私たちを見て信じられないとばかりに目を見開いた。


「大司教!どのようなおつもりですか!このような穢れた者たちをここに案内するなど!」


 彼はすごい剣幕で大司教に詰め寄る。

 大司教様は彼を手で制止しながら「アバルモート司教、少し席を外してもらえるか」と言ったが、司教と呼ばれた男性は譲らなかった。


「ここに穢れた者を入れるならば、私は同席せねばなりません!」


 頑なにそう言い募る彼に、大司教様は致し方ないと彼の同席を許し、私たちに席をすすめた。


 私たちの正面に座った大司教様は手を組み「先ほどの話は誠か」と真剣な眼差しで問う。


「はい。彼女は私の呪紋を消したのです。呪紋だけではありません。土地の瘴気も消し去ることができます」


「それは……闇の魔法でか?」


「いえ、我々の知るどの魔法とも思えません。その魔法は何なのかを知るために……ここへ伺った次第です」


 隣で話を聞いていた司教は「そんなことあるわけが」と口を挟もうとしたが、大司教様に「話を遮るならば出ていけ」と言われ渋々口をつぐんだ。


「では……フィオナと言ったか。それを証明できるか」


 そう言われてどうすればいいか悩んでいると、ルーファス様がテーブルの上に手をかざした。


 するとすぐに緑の光が玉となって空中に浮いている。「こんなものか」と言ったと同時に緑の光は消え、光の玉から解き放たれた風がぶわりと髪を揺らした。


 風の魔法の真下にあったテーブルには薄く瘴気の痕が残った。


「な……なにを……」


 アバルモート司教は、喉の奥で息を詰まらせたような声で呟く。


 私は瘴気の痕にそっと手のひらを重ねた。

 瘴気の痕を包み込むように、静かに祈りながら魔力を流し込む。


 するとテーブルに染み付いていた瘴気は淡い白い光に包み込まれ、まるで朝露が消えるように静かに跡形もなく消えていった。


「瘴気が……なんだ……この光は……!」


 司教は我を忘れたかのようにテーブルに前のめりに手をつき、白い光が鼻の先に当たってしまうのではないかと思うほど食い入るようにその現象を見つめる。瘴気を浄化し、魔力を流すのをやめると白い光は消えた。


「こんな……ことが」


 大司教様は、信じられないという表情で、瘴気のあった場所を確かめるように滑らかなテーブルの表面を何度も撫でた。


「聖女だ……」


 そう渇いた声で呟いたのはアバルモート司教だった。

 

 私の目を真っ直ぐ見つめるその瞳は、先程までの侮蔑に満ちたものとは違う。まるで飢えた獣のような、ギラギラとした妖しい光を宿していて、背筋が凍りつくように冷える心地がした。


「聖女様、貴女こそ我らの光です。貴女は我等の教えが正しいことを国中に……いや世界中に証明してくれる!」


 まるで何かに魅せられたかのようにゆっくりと私に手を伸ばした司教の手を、ルーファス様は冷ややかに払いのけた。


 ルーファス様は立ち上がり、私を庇うように前に出る。


 司教は不当な扱いを受けたとばかりに憎しみの籠った目で彼を睨んだ。「穢れた悪魔め」とルーファス様に向かって呟いた彼は、すぐに大司教へと向き直った。


「大司教、聖女様を教会にお迎えする準備を致しましょう。自然の理を歪め、邪悪な瘴気を生み出す魔法は悪であると、我らはずっと叫び続けておりました。その言葉を聞いた神々が、我等の元に聖女様を遣わしてくださったに違いありません!」


「口を閉じていなさい。司教」


 信じられないことを言われたとばかりに、司教は大司教と私を交互に見据えた。彼の声は焦燥に震えている。


「何故です!大司教は、聖女様を悪魔公の側に置いておけると?彼が行った罪の数々を大司教は誰よりもご存じでしょう!聖女様の聖なる光の恩恵は、神の御心に寄り添い続けた我等にこそ与えられるべきだ!我等の声を聞かず、瘴気で大地を穢し続けた貴族らに聖女様の聖なる光は与えられるべきではない!」


 司教は瞬きすらも勿体無いとでもいうように、ギラギラとした獲物を狙う獣のような目で私をみた。


「さぁ、聖女様……もう一度わたくしめに先ほどの力を見せていただけませんか。聖女様のお力をもう一度……」


 彼の顔に浮かんだ狂気の籠った笑みが恐ろしくて、私は無意識にルーファス様の黒い袖を指先が白くなるほど握りしめた。


「司教!もうよい!退室せよ!!」


 大司教様は、それまでの穏やかさを一変させ、部屋中に響き渡るほどの強い声で命令を下した。

 目を見開いた司教は大司教様に縋り付くように言葉を続けるが、大司教は彼の言葉を受け取ることなく退室させた。


 彼の足音が遠ざかるのを聞き、私はようやく肺の奥に溜めていた息を吐き出した。

 ルーファス様は、すぐに身を屈めて私の顔を覗き込んだ。彼の赤い瞳には、深い心配が滲んでいる。


「大丈夫か、フィオナ」


「大丈夫です……ありがとうございますルーファス様」


「大変失礼した。彼には後でこちらから話をしておく」


 大司教様はそう言って、一度乾いた掌で顔を覆い、心を落ち着かせるように深く息を吐いた。そして、改めて私たちに向き直る。


 「それでは、話の続きを聞かせてくれ」


 

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