大司教と悪魔公
魔術競技会が終わり、教会を訪れる日がやってきた。
王都にも本格的な冬が始まったことを告げるように、しんしんと雪が降り積もる中、ルーファス様と私を乗せた馬車は王都のはずれにある教会へと向かう。
「何か少しでも手掛かりがあればいいがな。大司教に期待するしかないだろう」
ルーファス様はそう言って少し表情を固くした。
魔法を使うことが邪悪だと考えている教会からすると、オストビア帝国の侵略を圧倒的な魔法で防ぎ、王族と親交の厚いルーファス様は彼らの教義における宿敵のようなものだ。
そして――彼の妻である私も勿論そうだろう。
歩み寄れるのかという大きな障壁が、その“期待”の前には立ちはだかっている。
「ルーファス様は……教会について、どのように思っているのですか?」
私がそう尋ねると、少し考えをまとめるように指で膝を叩いて口を開いた。
「教会の考え方については理解はできる。国境沿いは今も瘴気が立ち込め、民衆は蝕身病に苦しんでいるからな」
「それは侵略があったからじゃ……」
「そうだ。アズウェルト王国は瘴気による土地の穢れが少ない土地だが、オストビア帝国はそうではないからな」
ルーファス様はそう言って窓の外に視線を移した。
ここから見える事はないが、その視線の遥か先にはドラクレシュティ領とオストビア帝国がある。
「オストビア帝国では、魔法が多用された結果土地が穢れ作物が育たなくなった。だから侵略し他国の土地を奪っているんだ。それを考えると魔法など使わないで暮らせるならそれが最善だと思う。しかし、魔法がなければ国民を養うだけの作物が育たないことも事実だ」
作物には魔法がないと育たない食べ物も多い。
そのため土地を持つ貴族は、春のはじめに農村に出向き土の魔法をかけるのだ。もちろん継父も行っていた。
「だから、魔法を使うことをやめれば大量の餓死者が出る。まあそれは教会も望んではいないだろうがな。気をつけなくてはいけないのは王権を失墜させようとする強硬派の連中だ。教会も一枚岩ではない」
ルーファス様はここで一度言葉を区切り、私に視線を戻した。
「なので魔法の扱いに関する考え方には賛同するが、王権を失墜させたいとは思わないし、教会に与したいとも思わない……というのが私の考えだ」
「私もサミュエル様やアイディーン様に不幸な事が起こって欲しいとは思いません」
「ああ……私もそう思う」
ルーファス様はそう言って私の髪にそっと触れた。
初めて見る教会の建物は、王宮ともドラクレシュティ城とも雰囲気がまったく違う。
それは、教会がこの国の秩序や権威から独立していることを表しているようだった。
正面の国旗も王家の紋章もない巨大な門を通り過ぎ、指定された裏口に馬車を停める。すると裏口から案内のための使用人が出てきた。
「ドラクレシュティ辺境伯、大司教がお待ちです」
裏口に通されたということは、ルーファス様を教会の正式な訪問者として扱っていないということだ。
すれ違う人々もそれを示すように、私たちに冷たい視線を向ける。
案内された部屋に入ると白い衣装を着た大司教が私たちの到着を待っていた。
彼はただ静かに、しかしその存在だけで部屋の空気を支配するような威圧感を放っている。
形式的な挨拶を交わすと、大司教様はルーファス様を正面から見据える。
その目は、まるで汚れたものを見るかのような嫌悪と、微かに侮蔑の色を宿していた。
そして大司教の周囲を、無言のまま数人の教会関係者が取り囲んでいる。
彼らはルーファス様に視線を向け、まるで彼が少しでも動けば、一斉に襲いかかるかのような緊迫した空気を放っていた。
「それで、この度はどのような要件か、ドラクレシュティ辺境伯。悪魔公と呼ばれ、先日も競技会で目覚ましい活躍をしていたそなたが、罪を悔い改めにきたということはあるまい」
「お時間を頂戴し、ありがとうございます大司教。訪問したのは、教会の保管する古の神の記録をお教えいただきたく思い参上しました」
「ははっ、それを知ってそなたはどうすると言うのかね。また神から授かった力で人を殺め、瘴気を大地に撒き散らすのか。悪魔公のことを教会側が把握していないとでも思ったのかね?我々はそなたの罪についてよく知っている。神から授かった祝福で村を焼き、森を焼き、多くの生き物と人を殺めた罪人に神のことを知る権利があるとでも?」
大司教様の言葉を、ルーファス様はそれが本当であるかのように粛々と受け止めている。
私は悔しくて、悲しくて堪らない。
テーブルの下で握った掌に爪が食い込む。
「ドラクレシュティ辺境伯夫人。何か言いたいことでも?」
大司教様は薄笑いを浮かべながら私に目を向ける。「任せておけ」とルーファス様は言っていたけれど、これ以上黙って聞いていられなくて、思わず口から言葉が漏れた。
「では、どうすれば良かったんですか……?」
「何?」
溢れ出た涙が頬を伝っていく。
でも俯くことなんてできなかった。
薄笑いを浮かべ続ける大司教様の瞳が私を捉える。
その目を真っ直ぐに見つめ、言葉を続けた。
「オストビア帝国はアズウェルト王国の大地を手に入れるために侵略してきました。巨大な帝国が軍を率いて攻め込んできたのです。大司教様はルーファス様を罪人だとおっしゃいますが、ではルーファス様はどうするのが最善だったのでしょう?オストビア帝国の兵に民が蹂躙され、搾取されるのを黙って見ているのが神から祝福を与えられた者としての正しい行いだったんですか?」
大司教様の顔から薄笑いが消えた。
代わりに深い思索の影が浮かんでいる。
彼の口が、何かを言おうとして、しかし言葉にならないまま閉ざされた。
大司教様を取り囲んでいた者たちが口々に「無礼者」と私を責め立てる中、ルーファス様は私をかばうように前に出る。
その時――「……フィオナ。ありがとう」という彼の小さな声が私に届いた。
大司教様は取り囲んでいた者たちを静かに手で制し、そしてルーファス様を見た。
困惑と、ほんのわずかな驚きがその瞳に浮かんでいる。
「ルーファス・ドラクレシュティ。そなたは、彼女の言葉が真実だと申すか?」
ルーファス様は赤い瞳を逸らすことなく大司教に言葉を返した。
「しかし、私が人を大勢殺め、多くの大地を瘴気で穢したのは事実です」
その真摯な態度に大司教様はさらに深く考え込んで口を開いた。
「我々が知る神の記録は、そなたの言うような戦争の解決策を記したものではない。それは古の時代、神から祝福を与えられた人々がどのように魔法と共存していたかを記した、ただの歴史だ。なぜ、そなたはそれを知りたい?」
ルーファスは、大司教様の瞳をまっすぐ見つめた。
そこには今まで隠されていた、深い悲しみと決意が宿っている。
「……我が領地は今も、瘴気で穢れています。民は、作物が育たない土地で苦しみ、蝕身病に蝕まれています。私はそれを終わらせたい。フィオナはそれを終わらせる可能性を我々に授けてくれました。彼女の力が何なのかを知るために、古の神の記録を知りたいと思っています」
「ドラクレシュティ辺境伯夫人の……力だと?」
大司教様の少し驚きの混じった言葉に、ルーファス様は右腕の袖を捲り上げ、大司教の前に右腕をかざした。
「私の身は瘴気に蝕まれておりました。右腕の呪紋は広がり続け、半身を覆っていたのです」
「……呪紋など私には見えぬが?」
「フィオナが魔法で私の身体に巣食う瘴気を取り除いたからです。この身体にもう瘴気はありません」
その言葉に大司教様の周囲がざわめいた。
大司教様は驚きのあまり目を見開いてルーファス様の右腕を見つめている。
「瘴気を浄化する魔法を使えるとでもいうのか!嘘も大概にせよ!!!」
取り巻きのその一言で我に返った大司教様は「全員退室せよ」と、周囲の人々を部屋から追い出した。
そして彼は見定めるように私を見る。
ゆっくりと首を振った彼は「こちらへ」と部屋の隅にあった木製の扉を開けた。
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