悪魔公との対面
何日も馬車に揺られ、ようやくドラクレシュティ領にたどり着いた。
私の住む国『アズウェルト王国』の最北、オストビア帝国との国境沿いにドラクレシュティ領はあった。
長時間の旅で辛くないか、と何度も気遣ってくれる御者に、私はこの領地がどんな場所なのかを尋ねた。
すると彼は誇らしげに笑顔で答える。
「冬は寒さが厳しいですが、いいところですよ。戦争の混乱もずいぶん落ち着きました。皆、フィオナ様が来てくださるのを楽しみにしております」
ドラクレシュティの銀と、それで作られる銀細工、装飾品は一級品なのだと御者は胸を張る。
「楽しみにしている」
――生まれて初めて言われたその言葉に、私は胸を締め付けられた。
もしかしてドラクレシュティ領の人々は、私が魔法を使えない伯爵令嬢だと知らないのではないか。
そんな不安が込み上げ、膝の上のトランクを持つ手に自然と力が入る。
洗礼式は王宮で行われる。十歳を迎えた貴族の子息令嬢が一堂に集められ、国王や多くの貴族の前で、最高神である秩序の女神の力の欠片を宿した盃に手を添えるのだ。
魔力に加え、神の祝福を戴いていると、盃から光の粒が溢れ出す。
その溢れた光の色でどの神の祝福を得たかが分かる。
火の神は赤
水の神は青
風の神は緑
土の神は橙
光の神は黄
闇の神は黒
貴族の子ならこの中の色の光が盃から溢れるはずだった。
しかし、私が手を添えた盃から溢れたのは雪のように虚ろな白い光。
それは魔力はあれど、神々から祝福を戴けなかった貴族にのみ起こる現象だった。
“神に見放された者“
貴族からは嘲笑の対象、平民からは貴族の資格がないと侮蔑される存在。
私は15歳で参加した最初で最後の舞踏会で、それを嫌というほど思い知った。
国王や多くの貴族が見守る中で行われた洗礼式だ。
ペンフォード家の長女が「神に見放された者」であることは、きっとドラクレシュティ辺境伯もご存知のはず……。
それでも、もしかしたら……。
私とクロエを間違えているのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
私は15歳の時に一度参加したきりで社交界に顔を出していない。
ペンフォード伯爵家の令嬢が、継父の再婚によって二人いることを知らない可能性だってある。
または、クロエに来た辺境伯からの婚姻話を提示された破格の支度金のために了承し、何食わぬ顔で継父が私を送り出したのかもしれない。
だって「神に見放された者」である私を楽しみにしているなんて……そんなこと、あるはずないもの。
胸に渦巻く不安を抱えながら、私は馬車の窓から外に広がるのどかな景色を眺めていた。
やがて視界に飛び込んできたのはドラクレシュティの城下町だ。
石造りの分厚い城壁が町全体を厳重に囲んでいる。城壁の中は活気に満ち、人々の話し声や行き交う馬車の音が響いていた。
そして町の先にある小高い丘の上には、王都で見た華やかな宮殿とは似ても似つかない巨大な石造りの城がそびえ立っていた。
それは領主が住むための「お城」という次元をはるかに超え、すべてを寄せ付けない要塞そのものだった。
幾重にも重なる城壁と天を突く尖塔が、私の緊張を一気に加速させた。
二つの城門を抜け、最後の城門が開く。
その先にはドラクレシュティ城に仕える多くの使用人たちが、馬車を出迎えるために集まっていた。
馬車が城の正面玄関の前で止まると、白い髪に眼鏡をかけたモーニングコートの男性が恭しく頭を下げた。
「お待ちしておりました。フィオナ・ペンフォード伯爵令嬢。わたくしはこの城の執事、アルローでございます」
私は緊張を抑えつけ、精一杯の笑顔を作った。
「ペンフォード伯爵家より参りました、フィオナと申します。これからよろしくお願いいたします」
その言葉にアルローは柔らかく微笑む。
「ルーファス様のいらっしゃるお部屋までご案内させていただきます」
中に入った私は息をのんだ。
ドラクレシュティ城の玄関ホールは、王宮とも、もちろん伯爵家とも違う、重厚で厳かな空間だった。
天井は遥か高く、見上げると首が痛くなるほどだ。複雑な木の彫刻が緻密な模様を描き。荘厳な美しさを放っている。
華やかさはないが、その圧倒的なスケールと細部にまで施された職人の技は、この城の主が持つ力と彼が守り続けてきたものの重みを物語っていた。
玄関ホールの階段を上がり、長い廊下をアルローの後ろについて歩く。いくつかの扉を抜け、辺境伯の執務室と思われる場所に到着した。
「ルーファス様、フィオナ様がご到着されました」
アルローが扉を開けると、そこには大きく美しい執務机と椅子に座る一人の男性がいた。
少し癖のある真っ黒な髪に、まるで血のように鮮やかな赤い瞳。私を見定めるように見据えるその姿は、他国の侵略を阻止した英雄とも、悪魔公と呼ばれてるとも思えないほど美しかった。
しかし細身の身体に生気のない様子は、やはり彫刻のように静謐に見える。
広い部屋の中には、彼とその隣に控える赤茶色の髪に橙色の目をした貴族らしき若い男性しかいない。
私は伯爵家の使用人から学んだ精一杯の礼儀作法を思い出しながら、カーテンシーを捧げた。
「ペンフォード伯爵家より参りました。フィオナと申します」
「ルーファス・ドラクレシュティだ」
彼の赤い瞳は鋭く私を捉えたままだ。何か失敗してしまったのではないかと、手にじっとりと汗が滲む。
「婚姻の書類は持参しているか?」
「はい……。荷物の中に……」
アルローに視線を移すと、彼はトランクを持った使用人からそれを受け取った。「開けさせていただいても?」と私に確認すると、中に入った婚姻の書類を取り出し、ルーファス様に渡した。
すでに私の名前が署名された書類を、ルーファス様は受け取るとその場で私の署名の横に、自らの名を書き入れようとペン先を向ける。
「お待ちください!!!」
咄嗟にそう声が出た。
ルーファス様はペンをぴたりと止めて私を睨むように赤い瞳を向ける。
胸の前で組んだ手の指先は白くなり、心臓が痛いほど鼓動していた。
「私は……神に見放された者です。魔法は一切使うことができません。私のような……」
魔法も使えない貴族の出来損ないが選ばれるはずがない。
そう言いかけて、私は咄嗟に言葉を飲み込んだ。
「……もしかすると、行き違いがあり、妹のクロエ・ペンフォードと勘違いされているかもしれないと……」
言い切った私は、俯いたままルーファス様の言葉を待った。すると思いがけない言葉が降ってきた。
「勘違いではない。こちらはフィオナ・ペンフォード伯爵令嬢が魔法を使えないことを知っていて、婚姻を申し込んだ」
その言葉に思わず顔を上げると、そこには先ほどと同じ感情の読めない彼の顔があった。
「何故私を……?」
心で思った言葉はそのまま震える声となり外に出た。
そんな私の問いに彼は目を僅かに細める。
「……君は知る必要はない。君に何かを求めるつもりはないので好きに過ごせ」
そう言い切ったルーファス様は視線を再び書類に落とし、私の署名の横に自らの名前を書き入れた。
「この書類はこちらが王宮に提出しておく。これで手続きは終わりだ」
私の手は不安で自然と力が入る。
「君の部屋はこちらで整えさせた。気に入らないものがあれば、君に関する予算をアルローに渡してある。それで入れ替えてもらって構わない。その予算は君の好きに使え。あとは……」
「ルーファス様、フィオナ様は先ほど到着されたばかりです。少し休まれてからの方がよろしいかと」
ルーファス様の隣に控える、赤茶色の男性が彼の話を遮るように口を開いた。
すると彼は私の顔を一瞥し小さくため息をつく。
「そうだな。残りは落ち着いた後、アルローから聞いてくれ。下がっていい」
そうして私は執務室を出た。
「お部屋にご案内します」
労わるように差し伸べられたアルローの手に手を伸ばそうとしたその瞬間、私の意識は暗転した。
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