社交シーズンの幕開けと舞踏会
王都は、辺境のドラクレシュティ領とは全く違う空気に満ちていた。
城下町を馬車で進むと、石畳は磨かれ行き交う人々は華やかな衣装を纏い、建物は煌びやかな装飾で彩られている。
すべてのものが、眩しく、そして賑やかだった。
王宮からほど近い場所に、ドラクレシュティ家の屋敷はあった。
屋敷だと聞いていたので、領内にある領主管理の屋敷や、伯爵家の持つ王都の屋敷を想像していたのだが、その規模は比べ物にならないほど大きい。
初めて王都の屋敷に来たミリーは「これはお城では…?」と目を丸くしていたほどだ。
そして今日はいよいよ、国中の貴族が集まる王宮での舞踏会。
洗礼式もこの日に行われるのだが、これは主に子供のいる貴族達が子供の結婚相手を探すために参加するものだそうで、その後の舞踏会から参加することになった。
ミリーとアンナは朝から私の全身を磨き上げ、髪を整えてくれる。
私のドレスは、ルーファス様からの贈り物だ。
夜明けの空を切り取ったかのような美しいドレスは薄布が幾重にも重なり合い、純白から藍色へと移り変わるグラデーションが幻想的な陰影を描いている。
スカートには、まるで夜空に残された星々のように無数の小さな宝石が縫い込まれており、動くたびに光を反射して幻想的な煌めきを放っていた。
ミリーとアンナが仕上げに、とルーファス様から贈られた銀細工の髪飾りと耳飾り、そしてネックレスを順番につけてくれた。
「フィオナ様、いかがですか?」
全てを身につけ、鏡に映った自分を見ると、そこには見違えるほど華やかになった私がいた。
しかしそれ以上に、ルーファス様が贈ってくれたすべての贈り物が、私を優しく包んでくれているように感じた。
エスコートに来たルーファス様は、私を眩しそうに見つめ「とても似合ってる」と手を差し出す。
「緊張しているか?」
私の手をそっと握り、そう尋ねるルーファス様の優しい眼差しに胸が温かくなる。
「はい、少しだけ……」
社交界は、私にとって未知の世界だ。
これまで「神に見放された」と噂され、社交の場から遠ざけられてきた私には、人々が何を話し何を求めているのか全く想像がつかない。
「大丈夫だ。フィオナは悪魔公の妻だと言うことを忘れたのか?悪魔公と他領の貴族、どちらが恐ろしいと思う?」
おどけたようにそう言われて、私はつい笑ってしまった。
そうだ。私はもう一人ではない。
ルーファス様が隣にいる。彼の隣に辺境伯夫人として立つ。その事実が私の心を強く支えていた。
「ルーファス・ドラクレシュティ辺境伯、フィオナ・ドラクレシュティ辺境伯夫人がいらっしゃいました」
その言葉と共に開いた王宮の扉の先には、懐かしい煌びやかな空間が広がっていた。
音楽隊が奏でる優雅な曲が舞踏室全体を包み込んでいる中で、多くの貴族たちが色とりどりの美しい衣装を纏い、グラスを片手に談笑している。
ただその視線だけは、入場してきた私たちに向けられていた。
「悪魔公だわ」「いつのまに結婚を?どこの令嬢だ?」
貴族たちが、そっと私たちを避けるように道を開ける。
それと同時に、ヒソヒソと囁くような声が耳に届いた。
それは私のデビュタントを思い出させた。
あの時は惨めな気持ちでいっぱいになり、逃げ出したくなっていたが今は違う。
心が痛くなることも、苦しくもない。
「悪魔公のエスコートは歩きやすくていいだろう?せっかくの舞踏会だ。楽しもう、フィオナ」
ルーファス様はわざと悪そうな笑みを私に浮かべた。私はくすりと笑い「そうですね」と彼に笑顔を向ける。
(ルーファス様を知らない人たちだもの)
そう思うと、胸がスッと軽くなった。
ただ私は辺境伯夫人として美しく振る舞うこと、それだけ。
ドラクレシュティと取引のある貴族たちといくつか挨拶を交わすと「ルーファス!」と親しげに呼びかける声が聞こえた。
振り向くと、輝くような金色の髪に美しい緑の瞳を持った男性が立っていた。
「サミュエル第一王子」
ルーファス様が若干嫌そうな顔をしながら、スッと礼の姿勢をとった。私も急いで彼の隣で礼をする。
(やっぱり……!この人がサミュエル・ウィリアム・アズウェルト第一王子……!!)
「ああ、よいよい。先日ぶりだなルーファス。さあ、噂の妻を紹介してくれ」
ルーファス様は身体を起こし、明らかなよそ行きの笑顔を彼に向けた。
「サミュエル第一王子、私の妻、フィオナ・ドラクレシュティです」
「お初にお目にかかります。サミュエル第一王子。フィオナと申します。以後お見知りおきを」
「サミュエル・ウィリアム・アズウェルトだ。ルーファスとは幼き頃からの友人なのだ。しかし……」
サミュエル様はそう言って満足そうに私を下から上まで眺めて「そうか、そなたがルーファスの愛する奥方か」と呟いた。
「なっ……!ふざけないでいただきたいサミュエル王子……!」
ルーファス様はそう言って思いっきりサミュエル王子を睨みつける。
サミュエル様はそんなルーファス様の視線など全く気にしておらず「ドラクレシュティの贅をこれでもかと寄せ集めたように妻を着飾らせておいてよく言う」と揶揄った。
すると、いきなりサミュエル様が「ひっ」と小さな声を漏らし、びくりと姿勢を正した。
どうやら隣に立つ女性が、こっそり彼の脇腹あたりを肘で小突いたようだ。
「サミュエル様、わたくしのことをお忘れですか?」
優雅な微笑みを浮かべたまま女性が尋ねる。
その声音には、わずかながら冷ややかな響きが混じっていた。サミュエル様は気まずそうな笑みを浮かべ、居住まいを正しながら彼女を紹介した。
「フィオナ、こちらは妻のアイディーンだ」
私はアイディーン王子妃にも挨拶を交わした。
柘榴を思わせるような美しい赤い髪に琥珀のような瞳を持つアイディーン様はまるで宝石箱から飛び出してきたお伽話の精霊のような女性だった。
彼女は私にふわりと笑いかける。
「フィオナ様、サミュエル様が申し訳ございません。
彼はルーファス様に素敵な方が現れたことを、ご自分のことのように喜んでいらしたの。私も是非フィオナ様と仲良くなりたいわ」
その優しい微笑みに私は「光栄ですアイディーン様」と答えた。
「なら、私は少しルーファスと話したいことがある。ご婦人同士で話してきたらどうだ?」
サミュエル様がそう提案すると「そうですね、少しお話ししましょう?フィオナ様」とアイディーン様が誘ってくれる。
ルーファス様に視線をやると彼はこくりと頷いた。
「ええ、ご一緒させてくださいませ」
社交界で初めて好意的に対応された貴族が、まさか第一王子と王子妃になるなんて思わなくて私の胸はドキドキしていた。アイディーン様は優しく会話をリードしながら、友人の令嬢や夫人を紹介してくれる。
彼女たちはドラクレシュティに好意的な貴族たちだ。
銀の取引があったり、ドラクレシュティと同じく王族と親密な間柄であるなど政治的な側面もあるだろうが、悪意を向けられないことにほっとする。
きっとアイディーン様は敢えて私にそのご令嬢たちを紹介してくれているのだろう。
アイディーン様やその友人たちと和やかに談笑していると背後から甲高い声が届いた。
「あらっ?お姉様!!!!」
何度も聞いたことのある耳慣れたその声に、スッと背筋が凍りついた。
振り向くと、派手なドレスに身を包んだクロエが私に笑顔を向けていた。
お読みいただきありがとうございます。
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次回vsクロエ回です。




