侍女の祈り side:アンナ
わたくしはアンナ。
ドラクレシュティ領主ルーファス・ドラクレシュティ様の奥様、フィオナ様の侍女をしております。
ドラクレシュティ家に仕える子爵家の次女として生まれたわたくしは、幸運なことに結婚し子供を授かり、ドラクレシュティ家の乳母としてルーファス様とヴィルハイム様にお仕えすることになりました。
子爵家の次女としては、これ以上ないほどの幸運だったと思います。
しかし、幸せは長くは続きませんでした。
ドラクレシュティ辺境伯であった旦那様とドラクレシュティ家を継ぐ予定だったロスウェル様が亡くなり、15歳のルーファス様が突然、家を継ぐことになったのです。
領地が落ち着く間もなく始まったオストビア帝国からの侵略。
奥様は心を病まれ、そのまま亡くなりました。
わたくしの夫と息子も、その戦いで命を落としております。
領地の誰もが希望を見出せない中、ただ一人、幼さの残るルーファス様は辺境伯として戦場に立ち続けました。
かの国の侵略から国と領地を守るためにルーファス様のなさったことは、聞けば誰もが悪魔のような所業だと思うでしょう。
しかし、どのような被害が出ようとも、ただ勝つために最善の方法を粛々と取り続け、たった三年でオストビア帝国を引かせたルーファス様がいなければ……今頃、この国は大国オストビアに飲み込まれていたと断言できます。
まだ幼さの残るルーファス様の心の傷は、どれほど深かったことでしょう。オストビア帝国の侵略が終わった後も、ルーファス様は心を戦場に置いてきたかのようでした。
自分は幸せになることなど許されないとでもいうように闇の魔法で瘴気を受け入れ、自己をすり減らし領地に献身し続けます。
そんなルーファス様の右腕に呪紋が浮かび上がっているとアルローから聞いた時の絶望は、言葉では言い表せないほどでした。
いえ、それよりも……ルーファス様が己の死を前にしてもなお、自分を道具のように扱われたことの方が悲しかったのかもしれません。
あの時は、ヴィルハイム様も大層悲しんでおいででした。
しかし、そんなルーファス様はフィオナ様がきてから少しずつ変化していきました。
最初はドラクレシュティ領のための道具として婚姻した彼女が、到着してすぐに倒れたことに少し罪悪感を持たれたのかもしれません。
彼女の様子を尋ねたその姿に、私とアルローは彼が心を取り戻すための一抹の希望を抱いたのです。
彼女の様子を細かく報告していくうち、いつしかルーファス様も彼女に興味を持ち始めました。
フィオナ様は大変努力しておられましたから、報告には事欠かなかったほどです。
だから……フィオナ様がルーファス様の呪紋を消し去ったあの日の感動を、私は一生忘れることはないでしょう。
「きゃー!!本当ですかフィオナ様?!?!」
「ええ」
王宮での舞踏会を終えたフィオナ様の入浴のお手伝いをしているミリーの華やかな声が、部屋まで聞こえてきました。
厨房と使用人に明日の指示を出しに行ったわたくしが、少し早く帰ってきたことにフィオナ様とミリーは気づいていないのでしょう。
彼女たちは時折、こうやって若い娘のように二人ではしゃいでいる時があります。
目の前で行われる時は、フィオナ様には主人としての自覚を、ミリーには侍女としての心構えを注意いたしますが、このような時間もきっと……幼き頃よりご苦労されたフィオナ様には必要な時間なのでしょう。
気づいてもそっと見逃すようにしております。
就寝の準備を整えつつ、彼女たちの会話に耳を傾けました。
「他の貴族から守った上で、王妃様の前でダンスにお誘いするなんて……あぁ!まるで素敵な恋物語のようですね!」
「ええ……私も…そう思うわ」
恥ずかしそうなフィオナ様のお声に思わず笑みが溢れました。
15歳で辺境伯となり残虐非道な悪魔公と呼ばれているルーファス様ですが、本来の彼はとても臆病で内向的な性格です。
ですからフィオナ様とどのように気持ちを繋げてよいのか、随分と悩んでおられました。
遠回しにしか恋心を伝えられないルーファス様のお姿は悪魔公のかけらなど微塵もなく、ただ初恋に振り回される一人の青年のようで、乳母としてはとても微笑ましく思っています。
(ルーファス様は随分と頑張られましたわね)
そんな風に思っていると雲行きが少し怪しくなってまいりました。
「ルーファス様は、優しい方だからこんな未熟な妻でも大切にしてくださっているの」
「……それだけじゃないと思いますよ?!」
お願いですミリー、もっと言ってください。
思わずそんなふうに考えてしまいました。侍女としてわたくしももっと成長が必要なようです。
フィオナ様の鈍さは、きっと己の評価の低さに由来するのでしょう。
これ以上ないものをドラクレシュティにも、ルーファス様にも与えてくださっているのに、フィオナ様はご自身の価値にまだ気づいておられないようです。
(ルーファス様、頑張ってくださいませ)
あなた様には、きっとたくさんの幸せがこれから待っているのですから。
部屋の扉がノックされる音にお茶を準備する手を止めます。扉を開けるとアルローが立っていました。
「どうされました?」
「王宮より使者がきまして、アイディーン王子妃様がフィオナ様をお茶会に招待したい……とのことです。予定をご確認いただけますか?」
わたくしは胸が躍りました。
王子妃様と親交を深めることは、今後のフィオナ様の立場を確固たるものにすることに繋がります。
素晴らしい知らせですが、それにしてはアルローの表情が少しばかり固いように思います。
わたくしは廊下に出て、部屋の扉を閉めました。
「何かありましたか?」
「ルーファス様が教会派の貴族と連絡をとるようおおせで……少し嫌な予感がしただけです」
「……フィオナ様のお力の件でしょうか。そうとしか考えられませんわ」
ドラクレシュティ辺境伯とロスウェル様が亡くなる直前にも、似たような胸のざわめきがあったのを覚えています。
あの時と同じ胸の感覚に、思わず手を握りしめました。
幸せが崩れ去るのは一瞬であることを知っているわたくしたちは、ただ祈るばかりでした。
どうか、お二人に幸せな未来が訪れますように。




