王都にむけて
感謝祭が終わると、城はすぐに冬の社交界の準備で慌ただしくなった。
社交シーズンの期間中は王都にあるドラクレシュティ家の屋敷で過ごすため、使用人たちは移動の準備に大忙しだ。
私もまた救護院にいる人々の浄化や、孤児院の手伝い、社交界に必須のダンスの練習に加え、他領の貴族の名前や特徴を覚えるための勉強を行っていた。
冬の社交シーズンのタイミングで教師も王都に帰る予定なので「最後の仕上げですね」と、彼女は張り切っている。
ルーファス様もまた、領内の仕事を片付けながら、社交期間中に行われる商談の準備に追われ、忙しい日々を送っていた。
いよいよ王都へ向かう日が目前に迫ったある日、「話がある」とルーファス様から告げられ、私は執務室へと足を運んだ。
護衛も侍女も外すようにと言われたことで、胸の奥にわずかな緊張が走る。
重厚な木の扉を叩くと「入れ」という彼の低い声が聞こえた。
いつものように淡々とした声だが、どこか張り詰めた空気が漂っている。
扉を開けて中へ入ると、ルーファス様が思い詰めた面持ちで私を待っていた。
「君が村に滞在していた間、アズウェルト王国の第一王子がきた」
「第一王子様ですか……?」
「ああ。君に祝福を与えた神のことを知るために、王族の書庫を閲覧できるよう依頼していただろう?彼は王族の書庫から古の神に関する記述がある文献や書物を持参してきたのだ」
「……王都の外に出しても大丈夫なのですか?」
第一王子はかなり破天荒な人物のようだ。
ただ、彼のことを話すルーファス様の様子を見る限り、親しい間柄なのがすぐわかる。きっと第一王子は彼を深く信用していて資料を託したのだろう。
「ドラクレシュティ家には一応王家の血が入っているが、露見すれば大丈夫ではないだろうな。古語で書かれていたため多くの者には読めないだろうが、かなり危険な内容もあった。それを話すために、ヴィルハイムも外してもらっている」
そう言ったルーファス様は深く息を吸い込むと、まるで重い鎖を解き放つかのようにゆっくりと口を開いた。
彼の瞳は私を射抜くように、真剣な光を宿している。
「まず結論から言おう。彼の持参した資料を隅から隅まで読んでみたが……君に祝福を与えた神については何も分からなかった」
「え……」
王都でこの力の手がかりを必ず得たいと思っていた私は、冷や水を浴びせられた気持ちになった。
私の肩がわずかに落ちたのを見たルーファス様は、そんな私を突き放すように言った。
「残念な話にはまだ続きがある」
彼は一瞬伝えるべきか躊躇った後、口を再び開いた。
「……まず、この危険な情報を第一王子は理解した上であえて私に渡したことを理解してほしい。今から伝える内容は、君の一件とは完全に切り離された話ではあるが、君も無関係ではいられないので知っておいてもらおうと決めた」
彼の真剣な眼差しは私の奥底まで見透かそうとしているようだ。私は固く唇を結び、ごくりと喉が鳴る。
手には、じっとりと冷たい汗が滲んだ。
差し迫った危機を予感しながら、私は覚悟を決め、彼の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
そして無言で続きを促すように頷いた。
「王家の持つ神に関する書物には、神々の名前が記されていた。神々と魔法の関係は覚えているか?」
「“神に見守られていると確信して祈ること”が必要なんですよね」
「そうだ。何の神に祈っているのか、確信することで魔法の威力は上がる。だから君の魔法はひどく不完全だ。ただ、何の神に祈っているか分かっていなくても魔法は使えることを君は証明している。
じゃあ、神々に名前があることを知らずに魔法を使っていた君以外の貴族の魔法も不完全である……ということはわかるか?」
私はその言葉で理解した。
“誰が” 見守ってくれているのかを知った上で魔法を使うことが重要なのだ。
秩序の女神が産み出した神々。
火の神、水の神、風の神、土の神、光の神、闇の神……神々のことを私たちはそう呼んでいる。
なぜなら、彼らに名があることを知らなかった。いや、意図的に隠されていたからだ。
「神々の名前を知ることで、完全な魔法が使える……ということですね」
「そうだ」と彼は真剣な表情で答えた。
あの灰色に染まった景色を思い出す。あの瘴気を産み出す魔法が不完全なものとは信じられなかった。
(今ある魔法が不完全なら、完全な魔法を人々が使えるようになるとどうなるだろう)
答えは簡単だ。世界はもっと瘴気に溢れていただろう。
だから王家は魔法とそれによる瘴気をコントロールするために、意図的に情報を封じた……ということになる。
(なら、それをルーファス様に伝えた意図は……?)
答えは簡単だった。
「……第一王子は、再びオストビア帝国の侵略の可能性を考えているわけですね」
ただでさえオストビア帝国との戦争の爪痕は、今もドラクレシュティの人々を苦しめている。人々を傷つけたあの悲劇が再び繰り返されるかもしれないという可能性に、私は身震いするほどの恐怖を覚えた。
「だから、その可能性が現実になった時のために、君にはその秘密を先に知っていてもらう必要がある。まずはこの絵が分かるか」
ルーファス様はテーブルに置いてある本を開き、あるページを私に見せた。
美しい女性がアガパンサスの花を男性に与えている……これはとても有名な絵だ。
「これは秩序の女神……最高神が自身の身体から創造した火の神とその祝福を人に与えている時を描いた絵です」
「そうだ。最高神は火の神を創造し人に与えた。私は幼い頃よりずっと思っていたんだ。何故、最高神の姿は絵画に描かれるのに、火の神の姿は描かれないのだろう……と。アガパンサスの花が火の神を表していることは知っているが、火の神はどのような姿なのだろう……と」
ルーファス様は気づかなかったことを悔しがるように顔を顰めて言葉を続けた。
「この絵に描かれているアガパンサスは火の神を表しているんじゃない。最高神は火の神アガパンサスという花を産み出し人に与えた……神々を表す花の名は、神々の名前だ」
その言葉は、私の中にストンと落ちた。
もう彼も私も……知らない時には戻ることができない。
「重荷を背負わせてすまない」
争いが再び起こった時に、彼はまた最前線に立つだろう。ドラクレシュティの人々だけじゃない。この国の人々を守るために。
「一緒に背負わせてほしいのです」
謝る彼に答えたのは、心からの言葉だった。
ただ問題なのは、私に祝福を与えた神の手がかりがなくなってしまったと言うことだ。悩む私に、ルーファス様は「まだ可能性を失ったわけじゃない」と言った。
「王家にもない資料となると、可能性があるのはただ一つ。“教会”しかないと思う」
教会は、王家や貴族の歴史よりもはるかに古く、国境を越えて各地にその教えを広める独立した巨大な組織だ。
その存在は王権から完全に切り離されており、王家の権威に縛られることはない。王家や貴族が魔法をもって人々を統治するこの世界において、教会は彼らと対立してきた。
教会は、魔法の力を自然の理を歪め、邪悪な瘴気を生み出すものとして捉えている。だから、魔法を基礎とした王権による統治を「神の摂理に反する」と厳しく糾弾し、人々から魔法を遠ざけようと活動しているのだ。
「それは……教会がアズウェルト王国建国前から存在しているからですか?」
「そうだ。だから私は王都滞在中に教会派の貴族を通して、教会に接触をはかるつもりだ」
「私も一緒に行きます……!」
私は思わず立ち上がった。
彼一人に任せるなんてしたくなかった。そんな私の気持ちを汲むように、彼は赤い瞳で真っ直ぐに私を見つめる。
「なるべく私のそばを離れないと約束できるか?」
「はい……だから、一緒にいさせてください」
ルーファス様はフッと微笑んで「わかった」と了承した。
彼の口元に浮かんだ微笑みは、初めて会った時に見た冷酷な笑みとはまるで違う。温かい色を帯びていた。




