感謝祭
ドラクレシュティ領で初めて迎える、感謝祭の日がやってきた。
この日は人々に魔法の恵みを与えた神々に感謝を捧げ、貴族と平民が共に祝う特別な一日だ。
城の中は神々を象徴する花々が至る所に飾られ、いつもにも増して華やかな空気に包まれている。
ドラクレシュティ領では城下町の広場で盛大に祝うのが習わしだそうで、領主夫妻としてルーファス様と私も参加することになっていた。
朝食を手早く部屋で済ませた私は、感謝祭のためにルーファス様の衣装と合わせて誂えられたドレスに着替える。
私が長期間城を離れていたため、ドレスのデザインをルーファス様と相談してくれたのはアンナだ。
薄く柔らかな生地を何層にも重ねた純白のドレスには、花が咲き誇るような細やかな刺繍が、光の女神を思わせる金色で施されている。
「フィオナ様、髪飾りには昨日子供たちからもらったお花から選びますか?」
「そうね、お願い」
ミリーは花を並べ、それを複雑に編み込まれた髪にバランスよく飾っていく。
感謝祭は神々への感謝を捧げるのと同時に、大切な人へ思いを伝える日でもある。
家族や恋人に花束を贈ったり、友人同士で一輪の花を贈り合ったりする風習が古くから根付いているのだ。
昨日、私は孤児院の子供たちや使用人たちから「感謝祭の日は辺境伯夫人として忙しくなるでしょうから……」と、たくさんの花を贈られた。
その温かな心遣いに胸がいっぱいになった。
私も日頃の感謝を込めて、使用人たち一人ひとりに小さな花のデザインが刻まれた銀のブローチを贈ることにした。
ミリーはさっそく胸元につけてくれたようで、彼女の胸には私が贈ったブローチが控えめに輝いている。
「フィオナ様、ルーファス様がいらっしゃいましたよ」
アンナが「ちょうど準備が終わったところです」とルーファス様を部屋に入れた。
私とデザインを合わせた白を基調とした衣装には、同じ繊細な金の刺繍が施されている。
彼は赤い瞳を細め、眩しそうに私を見てから、花で溢れた部屋を見回した。
「どうやら先を越されたな」
ルーファス様は少し悔しそうにそう言うと、私に大きな花束を差し出した。
「ありがとうございます」
私が受け取った花束の優しい香りを楽しんでいると、ルーファス様は私の背後に回り耳元でそっと囁く。
「まだ飾られていない場所に、こちらを贈らせてくれ」
「シャラリ」という上品な音と共に、私の首に冷たい感触が触れた。
以前もらった髪飾りと意匠を揃えた、美しい銀細工のネックレスが胸元で輝いている。
緻密に編み込まれた銀の鎖には、ルーファスと同じ燃えるような紅い瞳を思わせる小さな宝石と、煌めくダイヤモンドが散りばめられている。
そして、中央には碧玉の泉を思わせるような淡い青緑色に光る宝石がひときわ眩い輝きを放っていた。
「君の瞳によく似合ってる」
顔の熱が集まるのを感じながら、私はミリーから木箱を受け取った。それをルーファス様に差し出す。
「私からもこれを……」
私もルーファス様にちゃんとした贈り物がしたくて、初めて宝石商を呼んだ。
選んだのは、彼の瞳を思わせるレッドベリルの宝石。それをドラクレシュティの銀細工と合わせブローチにしてもらった。
「つけてくれるか」
私はそっと彼の胸にそのブローチを差し込んだ。彼は噛み締めるようにブローチをそっと撫で、私に手を差し出す。
「では、行こうか」
城下町の広場は、色とりどりの花で埋め尽くされていた。露店が軒を連ね、焼き菓子の甘い匂いと香辛料の香りが混じり合う。馬車から降りると、広場に集まった人々が拍手と歓声で私たちを歓迎してくれた。
広場の中央には祭壇があり、そこには最高神である秩序の女神の像が飾られている。その正面には領主夫妻の席が設けられており、ルーファス様にエスコートされて私は椅子に腰かけた。
定刻になると、広場に集まった人々はしんと静まり返った。ルーファス様は神々への祈りを捧げるため、花を持ち祭壇へと向かう。私も彼の後にそっと続いた。
火の神を表すアガパンサス
水の女神を表すデルフィニウム
風の神を表すニゲラ
土の神を表すラナンキュラス
光の女神を表すフリージア
闇の神を表すマロウ
これらの花を静かに捧げていく。
人々の視線が彼に注がれる中、彼の動作は淀みがなかった。
彼は祭壇に跪き、人々に魔法を与えた秩序の女神に深く祈りを捧げた。私も彼の後ろで、私に祝福を授けてくれた神様と秩序の女神に静かに祈る。
すべてを捧げ終えたルーファス様は、私に振り返り少しだけ表情を緩めた。
祈りが終わると彼は顔を上げ、落ち着いた力強い声で話し始めた。
「親愛なるドラクレシュティの民よ。感謝祭は、神々からの恵みに感謝する日。そして、新たな希望を見つけ、共に歩むことを誓う日でもある」
彼の言葉に、人々は静かに耳を傾ける。
「ここに、私の妻、フィオナ・ドラクレシュティを紹介する」
ルーファス様は私に手を差し出し、彼の隣へと招いた。周囲の視線が一斉に集まり戸惑う私に、ルーファス様はそっと「大丈夫だ」と耳元で囁く。
ルーファス様は私の手を優しく握り、再び話し始める。
「この地はオストビア帝国との戦いの爪痕が、まだ色濃く残っている。瘴気による絶望もその一つだ。私の妻フィオナは、その身を顧みず多くの命を救おうと瘴気と向き合い、一筋の希望を見出した。彼女は、神がこの地に送ってくださった祝福であり、希望そのものだ」
彼の言葉は迷いなく、そして誇りに満ちていた。
「我々は、蝕身病に苦しむ人々を救うための治療施設を今後設立する。この施設はフィオナが中心となり、この地の病を根絶するための礎となるだろう」
その発表に広場は一瞬静まり返り、やがて嵐のような歓声と拍手が沸き起こった。
人々は「聖女様!」「フィオナ様!」と叫び、感謝の言葉を口々に伝えてくれた。
感動と驚きで胸がいっぱいになった私は、熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
涙で滲む視界の中、私はルーファス様を見上げた。彼の瞳には、深い優しさと安堵の色が浮かんでいる。
「ありがとう……ルーファス様……」
私はただそう呟くことしかできなかった。
ルーファス様は何も言わず、ただ優しく私の手を握り締め、その熱を伝えてくれた。
そして彼は、広場に響き渡る声で言った。
「これより、感謝祭を始める!」
その言葉を合図に、広場は一斉に歓声に包まれた。
屋台からは威勢の良い声が上がり、広場の片隅に設けられた舞台では神話の劇が始まる。
賑わいの中で握られた彼の温かい手を、私は一生忘れないだろう。
彼の口元には冷徹な悪魔公ではなく、大切なものを守る穏やかな領主の微笑みが浮かんでいた。




