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静かな献身


 次の日、銀山の街を後にした私達は、広大な山脈に沿って西へと向かった。

 

 私は、朝からずっとルーファス様を見るたびに、昨夜の口付けを思い出してドキドキしていた。

 

 今も同じ馬車に二人きりで乗っているのが恥ずかしくて、つい顔を逸らし、窓の外を見てしまう。


 いくつかの川を渡り、馬車は広い平原を走っていく。


 穏やかな景色はいくら見ても飽きることがなかった。

 途中で昼食を摂るために馬車を止め、広い平原に布を敷いて軽食を食べる。

 草の上はまるで寝台のように柔らかく、優しい匂いがした。

 

「この辺りの平原は、昔は穀倉地帯だったんだ」


「ここが?」


 ルーファス様は目を細め、広い平原とその先にそびえる山脈を眺めた。彼の顔からは先ほどまで浮かんでいた穏やかな気配がなくなり、今は感情が見えない。


「瘴気で食物を育てるのには敵さなくなったからな。ある程度の瘴気は取り除いたが、食物を栽培するにはまだ難しい。だから、今はこの平原を利用して牧畜を行っているんだ。馬や、皮革はオストビア帝国との緊張状態が続く限り備え続けねばならぬからな」


 感情を殺しているような彼の横顔からは、わずかな苦味が滲んでいるように見えた。

 彼の言葉の端々には、これ以上は自分の力ではどうにもできないというような空虚な諦念が漂っている。

 まるで自分の犯した罪を語るような彼の横顔に胸が締め付けられた。


「それでも……ルーファス様がこうして瘴気を減らしてくれたから、領民は生きていけます」


 彼が驚いたように私に視線を移した。


 私は教師に習ったドラクレシュティの産業について思い出しながら口を開く。


「この辺りは……冬になると鷹狩りを行うのでしょう?冬の間の食糧を得るために。その方法をこの地にもたらしたのはルーファス様だと伺いました」


 鷹狩りを行うには多大な費用と時間、そして訓練するための専門の知識を持った者が必要となる。

 まさに、貴族の威光を示すためだけに許された特権だ。平民がそれを習得することは厳しく制限されている。


 権力の象徴とも言える鷹狩りを、困窮する民の生活が成り立つようにと、この地にもたらしたのはのは他の誰でもない。領主であるルーファス様だ。


「生きてさえいれば、いつか……変わるかもしれません」


 私のように。

 そう、心から思った。


 ルーファス様は赤い瞳をわずかに揺らめかせ、俯いた。そして、隠しきれない熱を振り払うように、自分の黒い髪をくしゃりと掻き上げ、「そうか……」と小さく呟く。

 

 少しの沈黙の後、ルーファス様は再び口を開いた。

 

「今日は……ドラクレシュティの北西にある山脈の麓の村に泊まる予定だ。先日の魔物の件もあるから、本来なら近寄らせるべきではないのだが……」


 そう言うと、ルーファス様は私達のお茶の準備をしているミリーを横目で見て、少し声を落とした。


「あの村は領地の中で、最も国境に近い村だ。ミリーの家族もあの村に住んでいる。村人の多くはもっと山の麓に住んでいたそうだが、オストビア帝国との一件で故郷を追われ、あの村に越したらしい」

 

「では、瘴気も?」

 

「ああ、蝕身病の者も多いし、土地の北部は瘴気に汚染され、もう殆ど使い物にならない状況だ。土地は短期間でどうにかできるものではない。だがせめて苦しむ人々だけでもと思ってはいる……」

 

「では、練習の成果を試す時ですね」


 私が拳を握り彼に笑顔を向けると、ルーファス様は申し訳なさそうに少し微笑んだ。


「すまない。ただ見て回るだけにしてやれなくて」

 

「謝らないでください。私は辺境伯夫人ですもの。使える力を領地のために使うのは当然でしょう?」

 

「ああ……」


 それでも申し訳なさそうな彼に、私はいいことを思いついた。


「ルーファス様、では私のお願い事を一つ聞いてくださいませんか?」


「願い事?」


「はい。村にいる間、ミリーに休暇をあげてほしいのです」


 理解できないとばかりに驚くルーファス様に、私は説明する。


「領主夫人の侍女ともなると、結婚はともかく、簡単には里帰りできないでしょう?だから、この地にいる間ミリーに家族と過ごす時間を与えたいのです」


「……君はそれでいいのか?」


「はい!ミリーにはとても感謝しているので」


 ルーファス様は少し考えるように手を口元に当てた。


「……だめでしょうか?」


「いや、そうじゃない。力の報酬に侍女の休暇を願うなんて……君はやはり変わっているな」


「ミリーにはとても感謝をしているのですもの」


 お父様が故郷へ帰れるかもしれないと喜んでいたミリー。彼女はこのまま私に仕えてくれると言ってくれたが、彼女だって家族に会いたくないはずがない。

 

 私はミリーの優しさに少しでも報いたかった。


 私達が山から少し離れたミリーの故郷に到着する頃には夕方になっていた。

 

 馬車はドラクレシュティ領に仕える男爵家が管理する屋敷の前で止まる。屋敷の前には多くの村人がいて、私達の到着を歓声で迎えてくれた。


「お待ちしておりました、ドラクレシュティ辺境伯。さぞ長旅でお疲れでしょう。お食事の用意ができております」


 人の良さそうな男爵家の当主が挨拶し、私達を屋敷の中へと促すと、ルーファス様が私の手の甲をトントンと叩き、住人の方に目をやった。

 村人が既に集まっているならこのまま浄化してしまう方が効率がいいということだろう。


 私が頷くと、ルーファス様は男爵に声をかけた。


「男爵、申し訳ない。フィオナが歓迎してくれた村人に礼をしたいそうだ。少し待ってもらえるか」


 ミリーを見ると、彼女は荷物を下ろしながら、蜂蜜色の瞳がちらりちらりと群衆の一角を見ている。


 そちらを見ると、ミリーと同じ橙色の髪の活発そうな少年と女の子がミリーに向かって手を振っているのが見えた。とすると、兄妹の後ろにいる少し顔色の悪そうな女性は母親だろうか。


(あれがミリーのご家族ね)


「ミリー、村の方に挨拶がしたいの。ついて来てくれるかしら?」


「はい!フィオナ様!」


 私はミリーと護衛騎士のテオとリオを連れて、村人の方へと足を進めた。彼らをよく見ると、手足は痩せ細り、顔色が悪い者も多い。

 きっと……蝕身病の症状が出始めているのだろう。


 突然のことにはなったが、私は今、ドラクレシュティ辺境伯夫人としてここにいる。初めての公の場なのだ。


 イサドラ先生から教えてもらったことを意識して、姿勢を正し、前を見る。


「皆様、温かい歓迎感謝致します。ドラクレシュティ辺境伯の妻、フィオナと申します。皆様にこうしてご挨拶できることを、心から嬉しく思います」


すると、村長が出てきて私に跪いた。


「この度、領主夫妻がおいでになるとのことで、村からささやかながら肉と野菜をお届けしております。領主様には先日の魔物の件だけでなく、先の侵略でも命を助けて頂いたのです。ささやかではございますが、村からの感謝の印です。フィオナ様もぜひ召し上がって頂きたい」


「ありがとう。楽しみにしているわ。皆様の温かいもてなしに、私からも礼をさせてください」


(人数が多くても……きっと同じようにできるはず)


 私はゆっくりと膝を折り、地面に手をついた。

 城や救護院で何度も試し、練習した方法である。


 頭の中で村人が入りきるような大きな円を描き、その上に立っている人々を強く意識する。私の魔力を、蔓を伸ばすようにイメージしながらその円に届くよう薄く流し込んでいった。


 淡い光が人々を包み込むと、彼らは驚きの声を上げる。


(そろそろ……かしら)


 私は地面から手を離した。同時に淡い光も消え、人々は信じられないと言うように自分の身体を見ている。


「身体が……軽くなった?」

「息がしやすい……」


 何が起こったのかとどよめく村人をテオとリオが鎮めに向かった。その隙に、私はミリーに話しかける。


「ミリー、この村に家族がいらっしゃるのでしょう?せっかくだから、明日の朝まで休暇を取って?」


「え?でも……」


「大丈夫よ。ほら」


 そう言って私は彼女の背を押した。ミリーは一度こちらを振り返り、家族の元へと駆け寄った。

 すると小さな少女が「お姉ちゃん!」とミリーへと飛びつくのが見えた。



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