城下町の景色
この地にきて初めて、城の外に出る日がやってきた。
領主管理のお屋敷に泊まりながら四泊五日の日程で回る予定だ。
侍女はミリー、護衛騎士としてテオとリオがついてくることになった。
私は領地の特産物や特徴を復習したので準備は完璧だ。この日が待ち遠しくて朝日と共に目が覚めてしまったのは内緒。
ミリーとアンナは、なんだか昨日の晩からソワソワと落ち着かない様子でいた。「足りないものがあったかしら?」と聞くと二人は笑顔で否定していたのだが、その理由は仕度の時に判明した。
「こちら、ルーファス様からの贈り物です。今日はこれをつけて行きませんか?」
そう言ってミリーは私に細長い木箱を手渡した。
そっと開けてみると、中には繊細な銀細工で作られた髪飾りと耳飾り。
細やかな銀細工でできた蔓が美しい曲線を描きながら編み込まれ、所々に蕾や葉のモチーフがあしらわれている。その繊細な銀の輝きの合間には、朝露のように小さくきらめく青い宝石が嵌め込まれていた。
「ドラクレシュティで採掘される銀は、不純物が少なく、美しい輝きを持つことで知られています。領地を象徴する銀にフィオナ様の瞳の色の宝石をあしらって贈りたい、とルーファス様がおっしゃっていましたよ」
アンナは内緒話をするように「少し照れておいででした」とそっと私に教えてくれる。
「すごく綺麗……じゃあ、これをつけてもらえるかしら?」
「かしこまりました。せっかくですから、耳飾りがよく見えるように雰囲気も少し変えましょうか。今日は髪を上げてみましょう」
ミリーは腕をまくり、とても楽しそうに髪を編み始めた。
準備が整ったタイミングでルーファス様が部屋まで迎えに来てくれる。
髪を上げ、もらった髪飾りと耳飾りをつけた私を見て、満足そうに「よく似合っている」と言って手を差し出した。
彼のエスコートで馬車に乗り込み、城門がゆっくりと開く。
向かい合わせに座ったルーファス様との距離が近い。緊張が顔に出ないよう平静を装っていたが、長く緩やかな坂を下った先にある城下町に入った途端、私の視線はとても賑やかで美しい景色に奪われた。
美しい石畳みに沿って、橙色の瓦屋根に白い壁の建物が並んでいる。通りのあちこちには、鮮やかな花を飾ったバルコニーや、蔦が絡みつく壁があり、まるで街全体が生きているようだった。
道の両脇には、店先からせり出した日よけの下で、人々が楽しげに会話している。パン職人が焼きたてのパンを並べ、その甘く香ばしい匂いが通りいっぱいに広がる。幼い姉妹が、母親にせがんで色とりどりの飴玉を買ってもらっている。
そんな微笑ましい光景を眺めていると、焼き菓子の甘い香りが風に乗って漂ってきた。どこからともなく聞こえる楽しそうな笑い声は、私の心を温かく満たしてくれた。
馬車がゆっくりと進むにつれ、その賑やかさは増していく。やがて、人々の活気と熱気に包まれた大きな広場にたどり着いた。
広場では、小さな木の屋台がずらりと並び、活気に満ちた商人たちの声が響き渡る。
ある屋台では、鍛冶師が金属を叩く音が軽快に鳴り響き、そのそばでは、細やかな模様が施された銀の装飾品が日光を浴びてキラキラと輝いている。別の屋台では、鮮やかな色の布が風に揺れ、その隣では異国の香辛料が積まれ、人々の好奇心を掻き立てていた。
「今日はお祭りですか?」
私がルーファス様を振り返ると、彼と目が合った。彼は私の問いかけに、まるで今、自分が市場にいることに気づいたかのように少しだけ目を丸くした。
「ん?……ああ」
そう言ってルーファス様は、身を乗り出して窓の外を見る。
「あれは市場だ。ペンフォード領にはなかったか?」
「ありましたが、これほど大きくはありませんでした」
小さな頃の記憶なので曖昧だが、野菜や果物が多かった気がする。
「あの商人たちはここに銀細工や武器を買いに来ているんだ。異国からも来ているから、異国の商品もあるぞ」
「コブのある馬や、鼻の長い岩のような生き物が住む国からも来ているのかしら……」
そう呟くと、彼は「ははっ」と楽しそうに笑った。
「あの本を読んだんだな?」
「はい。異国の話と聞いたので、もしかしたらあの中にその国の人がいるのかな、と」
ルーファス様が子供達にと勧めてくれた旅人の冒険譚。
見たこともない生き物が多く出てくるあの物語は子供達に大人気で、何度も何度も読み聞かせている。
「どうだろうな。ただ、コブのある馬は広場にはいなさそうだな」
おどけたように言われて、私は思わず声を出して笑った。
ゆっくりと馬車を走らせてくれたのだが、あっという間に反対側の城門に到着した。
城門が開くと、広くて大きい街道が現れる。
後ろを振り返ると、城下町を見下ろすようにドラクレシュティ城があった。
「まるで街を守っているみたい」
不思議とそう声に出た。
初めてドラクレシュティ領に来た時は、全てを寄せ付けない要塞のように思えたが、今は自然とそう思える。
ゆっくりと前を向くと、ルーファス様と目が合った。
さっきの市場でも振り向いた時に目が合ったはずだった。
その時も、彼は景色など見ていなかった。彼が見ていたのは──。
「ルーファス様……あの……先ほどからずっと私を見ていませんか?」
ルーファス様は少し驚き、ごまかすように答えた。
「ああ、本当に楽しそうにはしゃいでいるな……と」
そう言われて顔に熱が集まる。思わず私は手で顔を隠した。
「しかし…せっかくの銀青色の髪が、髪飾りで上げられてしまったのは少し残念だ」
彼は私の耳飾りにそっと触れた。
その時、彼の手が頬を隠している私の手に当たり、ますます顔に熱が集まる。
彼の手の温かさを感じながら、私は窓の外に目をやった。
馬車が北へ進むにつれ、風はどこまでも穏やかになり、空は高く澄み渡っている。
見慣れた城下町は遠ざかり、代わりに広がる平原の先に、未だ知らぬドラクレシュティの景色が広がっていた。
これから始まる旅は、いったいどんな景色を見せてくれるのだろう。
馬車はゆっくりと城門の先へと進んでいった。




