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残虐非道と呼ばれた悪魔公は、ただ一人を幸せにしたい〜『神に見放された伯爵令嬢』を幸せにするための回帰譚〜  作者: 白波さめち
一度目の世界ー悪魔公の過ちー

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神に見捨てられた伯爵令嬢 side:ヴィルハイム


「こんな婚姻……受け入れることなどできません!!!」


 静まり返った執務室に、ダンッ!と私の拳が机を打ち付ける音が響いた。


 オストビア帝国による侵略戦争から領地と国を守ったドラクレシュティ辺境伯である兄上に対し、王都や他領の貴族がなんと言っているかは知っている。


「残虐非道な悪魔公」


 この渾名(あだな)と悪意のある兄への逸話(いつわ)は、恐らく何かと敵対姿勢を取る隣のグラディモア領の貴族たちが広めたものだろう。

 

 ドラクレシュティがオストビア帝国の侵略を防いでいる間に、彼らはドラクレシュティ領の権力を奪うことに必死だった。


 ドラクレシュティは銀山という他の領地よりも頭一つ飛び抜けた資源を有しているが、領地としての力はとても危うい。


 父と兄が亡くなったことで、領地を継いだのが当時わずか十五歳の兄上だったからだ。


 その上で起こったオストビア帝国の侵略。


 オストビア帝国は瘴気のない土地を求めて侵略戦争を繰り返している領地だ。

 ドラクレシュティ領と接する隣国は、元々別の国があった。

 二十年前にその国はオストビア帝国に敗戦し、国を乗っ取られたのである。


 そしてオストビア帝国の次の標的は、瘴気の穢れが他国よりも少ないアスヴェルト帝国となった。


 数々の国を飲み込み、巨大な帝国となったオストビアの侵略戦争に、当時15歳の兄上は圧倒的な戦略と魔力で勝利はした。


 しかし、領地の貴族、民、土地すべてにおいて大きな犠牲が出たのである。

 

 知力、魔法、武力……すべてに秀でた兄上であっても、老獪(ろうかい)極まりない他領の貴族との情報戦は、手札と経験が圧倒的に足りていなかった。


 戦争が膠着状態となった時にはすでに、兄上は殆どの貴族から「悪魔公」と蔑まれていたのだ。


 そんな兄上にまともな婚姻話など来るはずもなく、「悪魔公」と影で蔑みながらもドラクレシュティを乗っ取ろうと腹に一物を抱えた貴族たちに、我らは翻弄されることとなった。


 ただそれも、“時間さえあれば”兄上は解決することができただろう。



 そう……時間さえあれば。



 侵略戦争を防ぐため、圧倒的な魔力で防衛し、ドラクレシュティを一刻も早く立て直すために尽力した兄上はーー


 酷い蝕身病を患っていた。


 ドラクレシュティ領に付け入る隙はないことを示すため、身体を蝕む瘴気を無表情の中に閉じ込め「悪魔公」としてこの地に君臨し続ける兄上。

 それは、自由も尊厳もなく、ただ道具のように命を消費される……まるで国と領地に捧げられる生贄のようだった。



 そんな兄上が選んだ婚姻相手。

 神に見放された伯爵令嬢フィオナ・ペンフォード。


 国を救った英雄が、こんな婚姻相手しか選ぶことができないなんて。

 言い表せないほどの屈辱を感じ、握った拳には血が滲んだ。


「婚姻によって、悪魔公の治世がこれからも続くことを内外に示し続けねばならないのは分かるだろう。それには、実家に強い権力があってはダメだ。裏をかかれることになる。権力もなく、実家との繋がりが薄く、金で買い切れる令嬢が最適であることは、ヴィルにも分かるはずだ」


「しかし!!!子供はどうされるおつもりですか!!」


 私の荒げた声に兄上はフッと自嘲的な笑みを浮かべた。


「子供を作るつもりはない。だからヴィルハイム・ドラクレシュティ……お前は私が作る時間を使って地盤を固めろ」


「ドラクレシュティ領主は兄上です!!!!そんな……そんなこと、私は認めない!!」


 兄上の赤い瞳は自己の幸福などとうに諦めたというような空虚さが滲んでいる。

 その瞳を思い切り睨みつけた。


「それでもこの婚姻は決定事項だ。アンナと…歳の近い侍女を一人彼女につけろ」


 そう切り捨てる兄上。それでも私は縋るように食い下がる。

 

「認められるはずがありません……。兄上がこんな扱いを受けたまま人生を終えていいはずは……ない……」


 私はただ、彼に幸せになってほしいのだ。


 国や領地の道具ではなく、一人の人間として彼に自分の幸せを望んでほしかった。


 その想いは兄上に届くことはなく、私の言葉は静寂に吸い込まれていった。






 

 兄上の考えを私たちは変えることができなかった。

 ならば私たちが望むことはただ一つ。


 残された時間を彼が幸せに過ごすこと、ただそれだけ。


 この世界で一人くらい、彼を理解し愛してくれる人が現れてくれれば。


 そんな祈るような思いで、私たちはフィオナ・ペンフォードを迎え入れた。


 彼女が来た時、兄上はもう半日も動くことができない身体になっていた。


 一日に何度も血を吐き、瘴気に全身を蝕まれる痛みに耐えている。夏でも長い袖に隠された右腕には、赤黒い呪紋が広がっている。

 見ることも恐ろしいソレは、首の近くにまで広がりつつあるという。


 それでも兄上は、その身を蝕む痛みを誰にも悟られないように隠してきた。

 朝、痛みに耐えきれずに何度も血を吐き、それでも執務机に座る。

 私は、王都の薬師に密かに連絡を取り、蝕身病に効果があるとされるあらゆる薬草や治療法を試した。

 しかし、どの薬も効果はなく、兄の身体を蝕む呪いは進行する一方だった。

 

 私は闇の神に祝福されていない。その為、兄上の負担を軽くすることすらできない。

 この無力さが私の心を深く抉り続ける。


 フィオナ・ペンフォードが実家で冷遇されていたことは一目でわかった。

 満足な環境も教育も与えられて来なかったのだろう。粗末なドレスに、細い手足。手入れの行き届いていない髪はそれを物語っていた。


 しかし青く輝く瞳だけは悪魔公と恐れられる兄上の赤い瞳を真っ直ぐに見つめている。

 それだけは好感が持てた。


 だが……彼女は私の想像以上だった。


 アルローやアンナは毎日事細かく彼女について報告をする。様々な貴族を見てきた彼らが、手放しに彼女を褒めるのだ。


 初日に無理をさせ倒れさせたからか、兄上も少し心を配っているように見えた。


 最初、兄上によって彼女に与えられた待遇は、彼女への贖罪だったと思う。

 実家で冷遇され、物のように金で売られた彼女を私たちは買ったのだ。


 それも妻としてではなく、ただ領地のための“道具”として……。

 

 せめて生涯不自由のない生活を。


 そんな兄上の思いで彼女には十分な待遇が与えられていた。


 しかし彼女は与えられた待遇に溺れることはなかった。

 与えられた予算で教師を雇い、辺境伯夫人としての振る舞いを覚えようとしているのだ。

 彼女が欲しいものは、輝く宝石でも美しいドレスでもない。


 


「ヴィルハイム様、お時間よろしいでしょうか?」


 ある日の午後、フィオナ様が書斎にいる私に声をかけてきた。兄上が不在の時、私はよくこの書斎で執務を代行している。


「フィオナ様。何か困ったことでも?」


 ペンを握る手を止めて尋ねると、彼女は何かを躊躇うように一瞬視線を落とした。


「いえ、先生に教えていただいたのですが、ドラクレシュティ領は特産物で銀山が有名だと伺いました。どのようなお仕事がされているのか、少し興味がありまして……。もしよろしければ、お教えいただけませんか?」


 彼女は本当にただ知りたいだけなのだろう。

 その純粋な好奇心に、私は少し驚いた。

 これまでの貴族令嬢は、銀山と聞けばその財力にしか興味を示さなかったからだ。


「ええ、もちろん。こちらへどうぞ」


 私はフィオナ様を執務机に招き、ドラクレシュティ領の地図を広げた。


「銀山は、こちらにあります。鉱夫たちが昼夜を問わず働いてくれています。採掘された銀は、この川沿いを通り、王都や他領に送られます。一部は領内で装飾品や武器の加工を。

 オストビアとの戦で採掘量が減っていましたが、今は徐々に回復しています」


 彼女は真剣な眼差しで私の話に耳を傾け、時折質問を挟んだ。

 その瞳には学ぶことへの喜びと、この領地への関心が満ちていた。


「ありがとうございますヴィルハイム様。おかげでとても勉強になりました。では、私はこれで失礼します」


 彼女は一礼し書斎を出て行った。

 私はしばらくの間そこから動けなかった。

 道具として買われ誰も期待などしていない中で、彼女は与えられた役割を健気に全うしようとしている。


 その姿がとても……美しいと思った。

 


 そしてある日、とんでもないことが起こる。


 兄上が興した蝕身病患者のための救護院、孤児を養うための孤児院に、兄上が彼女を連れて行くというのだ。


 どんなに心優しい人でも、蝕身病への畏れには抗えない。

 普通の貴族令嬢なら、城のすぐ側に蝕身病の患者を置いておくなど理解できないと怒り狂うだろう。そんな場所に、兄上は彼女を連れて行った。


 閉まる木製の扉を眺めながら、私は絶望した。


 しかし、彼女は……私の絶望とは裏腹に、兄上の想いをいとも簡単に、それが素晴らしいことであるかのように受け止めたのだ。


「フィオナがあそこを手伝いたいと言ってきた。救護院に入ることは却下したが、度々孤児院に行くつもりらしい」


 そう言った兄上の顔に浮かんでいたのは困惑だった。


 喜びによる困惑で表情が崩れるところなんて、私も、アルローもアンナも何年も見ていない。


 そんな彼の人間的な表情を、彼女は引き出した。


 アンナはフィオナ様についている侍女として、できる限りの配慮を行なった。

 彼女が孤児を慈しむ姿は、間違いなく兄上の救いになっていたから。


 そして数日後、アンナから驚くべき報告が入る。


「蝕身病の苦しみは、マロウで軽減させることができます」


 フィオナ様の発案でマロウのお茶を患者に与えたところ、苦しみが少し軽くなったというのだ。


 闇の神を表す花とも言われるマロウをお茶にするなんて発想は全く浮かばなかった。


 アンナはすぐにフィオナ様から聞いたマロウのお茶を淹れ、ベッドの上で痛みに苦しみ汗を流す兄上に飲ませた。


 兄上は効果を確かめるように、口にゆっくり含んで飲み込む。

 しばらくすると、兄上は驚いたように手を当てた。


「確かに……効果があるようだ」


「フィオナ様は救護院のためのマロウを孤児院で育てるとおっしゃっていました。すぐにこちらも各地で栽培を開始しましょう。王都への報告もお願いしたく存じます」


 弾むように生き生きとしたアンナの顔。こんな彼女の表情を見るのはいつぶりだろうか。

 本当は……ドラクレシュティ領に未来はないと思っていた。

 

 圧倒的な魔力と類い稀な魔法の才能を持つ悪魔公の治世が終われば、オストビア帝国はまた侵略を開始するだろう。


 侵略戦争が起こらなかったとしても、老獪な国内の貴族たちはドラクレシュティの資源を食い荒らそうと狙ってくるに違いない。


 先先代の治世で、王女がドラクレシュティ領主に嫁いだことから王族とは親密な間柄ではある。しかし何十年も前の話だ。王族という防波堤も貴族たちの声が大きくなると無視はできなくなるだろう。


 でも──蝕身病に対する糸口をドラクレシュティ領が発見したとなれば話は変わってくる。


 その糸口は、諦めた未来を開く可能性を秘めているのだ。


 フィオナ様のもたらしてくれるものの数々は、まるでおとぎ話の聖女がもたらす希望の光のように思えた。


「こんな奇跡が起こるなんて思わなかったな」


 ふと眺めた窓の外には澄み渡るような青空が広がっている。

 今日も彼女は勉強に励み、孤児院で子供たちに文字を教えているのだろう。


 私は生まれて初めて、フィオナ様をもたらしてくれた神に感謝と祈りを捧げた。






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― 新着の感想 ―
すこし翳った、けれど光も確かにある、雰囲気の良い作品ですね。 ファンタジー要素は濃すぎず薄すぎず、蝕身病という重い要素がひとつの芯となり、単なる恋愛とは一味違う苦味を醸し出しています。 その上にループ…
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