断罪の場に現れた王の影の息子――婚約破棄は覆される
※未来息子シリーズ最新作!
各話パラレル構成のため、単独でも楽しめます。
大広間に王太子カールの冷酷な声が響いた。
「侯爵令嬢アナスタシア――そなたの罪は明白だ。本日をもって、我との婚約を破棄する!」
ざわめきが一斉に広がり、群衆の視線が壇上の令嬢に突き刺さる。
陽光を受けて揺れる金の髪。澄んだ灰青の瞳。
白磁のような肌と気高い立ち姿は、誰もが「王妃にふさわしい」と信じて疑わなかった。
だが今、その美貌ですら罪と共に断罪されようとしていた。
掲げられた羊皮紙には彼女の署名と印章。
偽造に違いない――そう思っても、群衆は冷ややかに頷く。
理由はひとつ。
広間に立ち込める重圧――それは王命に従い沈黙する影、黒紫の髪に銀の瞳を持つ男、ジークフリートの気配だった。
彼の沈黙は、何より雄弁だった。
虚偽を許さぬはずの影が声を上げぬ以上、それは真実と同義。
広間の空気を凍らせるのに、彼はただ気配を放つだけでよかった。
(影までも……沈黙している……。ならば私は……)
アナスタシアの胸は、深い絶望に締めつけられていった。
カールの口元がわずかに歪む。
(父王の署名と印章を偽るのは容易かった。
影は王命に逆らえぬ――その一点さえ押さえれば、この舞台は完璧に仕組めるのだ)
――もはや覆るはずがない。
「──母上を、傷つけるな」
澄んだ少年の声が、大広間を震わせた。
人々は驚いて振り向く。壇上の傍らに、いつの間にか一人の少年が立っていた。
黒紫の髪に、灰青の瞳。
その姿は、アナスタシアと王の影ジークフリートを重ね合わせたように見えた。
「な、何者だ……?」
「見ろ、あの衣服! 影の紋章……!」
「まさか、影の後継者……?」
ざわめきが広間を満たす中、アナスタシアは呆然と彼を見つめた。
(だ……誰? なぜ私を……母と……?)
少年──アドリアンは、まだ胸の鼓動の速さを抑えられずにいた。
(……訓練中、古代の装置に触れたはずだ。気づけば光に包まれ、この場に……)
だが、視界に飛び込んできたのは──断罪の場。壇上で震える母の姿。
(馬鹿な……母上が、罪人扱いだと? そんなの、ありえない!)
状況は分からない。
けれど、ただ一つだけ胸に燃えるものがあった。
大好きな母を傷つけるものは許さない、という衝動。
言葉は自然に口をついて出ていた。
「母上を、傷つけるな」
その一言に広間がざわめき立つ。
「な、なんだと……!? 王の影に、あんな少年が……!」
カールの顔色がさっと変わる。
(馬鹿な……! こんな想定外があるものか。影に後継者など、あり得ぬはず……!)
「影の後継者……! ならば、殿下の陰謀を正そうとしているのか!」
「いや、王家の密命で来たのかもしれん……!」
「とにかく、殿下の立場が危ういのでは……?」
「違う! 違うのだ!」
カールは慌てて声を張り上げる。
「私が仕組んだのではない! その少年は何者だ、正体を明かせ!」
だが、群衆の視線はもはや少年に釘付けだった。
アナスタシアの前に立つその姿は、誰の目にも「彼女を守る影の後継者」として映っていた。
だがアドリアンは視線を逸らさず、もう一言だけを紡いだ。
「虚言に、価値はない」
少年の言葉が広間を切り裂いた。
一瞬の静寂の後、ざわめきが湧き起こる。
(……誰? なぜ私を……母と?
私は知らない子なのに……でも、今だけは……その言葉に縋りたい……!)
アナスタシアの胸は、張り裂けそうなほどに揺れていた。
「虚言……? 今のは証拠が偽りだと……」
「影の血筋がそう断じるなら、もはや確かだろう!」
「あ、ありえぬ……!」
壇上のカールは声を荒げる。
「私は何も仕組んでいない! 陰謀など断じて──!」
「……殿下があれほど取り乱すなど、前代未聞だ」
「動揺が隠せていないぞ!」
「違う! 私は潔白だ!」
必死の否定。しかし言葉を重ねるほど、その声は虚しく響く。
冷たい視線が次々とカールに注がれる。
その場に漂う空気は、もはや彼の掌から完全にこぼれ落ちていた。
「……本件、証拠に不明点が多い。断罪を下すには尚早であろう」
国王の一声に広間がざわめいた。
「よって、調べ直しを命じる。
さらに本件が解決するまで、カールとアナスタシアの婚約は効力を停止する」
重々しい宣言に、広間は再びざわめき立った。
「婚約まで……」
「殿下にとって不利では……?」
「ち、違う! 私は無実だ!」
カールは声を荒らげた。
「これは誤解だ! 断じて私が仕組んだことではない!」
「だが、殿下が無実ならば、なぜ王は断罪を下されなかったのだ」
「証拠が揃っているなら、即座に有罪のはず……」
群衆の視線は冷ややかに突き刺さる。
カールは顔を青ざめさせ、なおも言葉を重ねた。
「罠なのだ! 私は嵌められたのだ! 信じてくだされ、父上!」
「もうよい、カール」
国王の声は低く鋭かった。
「下がれ」
「し、しかし──!」
「下がれ」
王命に逆らうことはできず、カールは唇を噛みしめて一礼し、無様に退場していった。
残された広間には、冷ややかな疑念だけが渦巻いていた。
「……父上」
少年の声が、静寂を切り裂いた。
広間にいる誰もが、その呼びかけの意味を理解できずに息を呑む。
だが、呼ばれた相手には確かに届いていた。
人目に映らぬはずの影。
隠密の術で身を潜め、ただ王命に従い傍観していたジークフリートの心臓が、強く脈打つ。
(……気づかれた……? いや、ありえぬ。私の姿を見抜けるはずなど……)
だが、あの少年の瞳は迷いなく自分を捉えていた。
黒紫の髪、灰青の瞳──アナスタシアと己を混ぜ合わせたような顔立ち。
未来から来た者であればこそ、見抜けるのか。
(……まさか……私の、息子……?)
馬鹿げているはずだ。
王の影は代々「長」のみが後継者を残し、血を絶やさぬよう受け継がれてきた。
それ以外の影は結婚すら許されず、子を持つことなど決してない。
だが、ジークフリートは知っていた。
古代遺跡に眠る魔道具や術式が、時に人の理解を超える力を発揮することを。
未来から息子が現れるなど、荒唐無稽に見えて――完全な否定はできなかった。
(ならば……これは現実。私と彼女の子だ)
断罪の場でなお母を守ろうと立ち続ける息子の姿を見て、ジークフリートの胸の奥に押し込めていた感情がついに堰を切った。
(私は一体、何を守ってきたのだ)
あの『父上』と呼ぶ声で、これまでの抑制が砕けた。
彼女を見捨てれば、誇りも任務も形だけ残り、心は空洞になる――
そのことは、ずっと前から胸に巣食っていた痛みが物語っていた。
証拠がどこか不自然だと気づいていた。
それでも王命に背けず、沈黙を選んだ。
いずれ彼女を追い詰めることになる――その予感を抱いてから、胸の痛みは片時も癒えることなく、今日まで彼を苛み続けていた。
なぜこんなにも苦しいのか、自分でも分からなかった。
(……私は、彼女を愛していたのか)
ジークフリートは、もはや抑えきれなかった。
隠密の魔術を解き、広間の光の中に姿を現す。
彼は無表情のままアナスタシアの傍らに立ち、その細い体を腕の中に抱き寄せた。
「王命に従う影ではなく、私の意思で君を守る」
ジークフリートの腕に囚われた瞬間、アナスタシアの体はこわばった。
けれど恐る恐る顔を上げたとき、銀の瞳に宿るものに気づいた。
炎のように揺れる、熱を秘めたまなざし――彼女だけを見つめる光。
王命に縛られた従者の視線ではなく、ひとりの男の瞳だった。
その強烈な眼差しに触れた瞬間、胸を締めつけていた緊張がゆるやかにほどけていく。
冷徹なはずの王の影が放った言葉に、人々は一瞬息を呑み、そして次々にざわめき出す。
「己の意思で……?」
「影が、あの方を……いや、あれは求婚の言葉では……」
噂は抑えようもなく広がり、広間を揺らす。
抱き寄せられたアナスタシアは、胸の鼓動が耳の奥でうるさいほどに響くのを感じていた。
ずっと冷徹だと聞かされてきた男の腕が、今はあまりに熱く、力強い。
混乱しながらも、その温もりに心が震えた。
(どうして……私はこんなにも……)
戸惑いと、ときめきと。
押し寄せる感情に言葉を失い、ただ彼を見上げる。
その横でアドリアンは、どこか満足げに微笑んでいた。
自分の役目は果たされた、とでも言うように。
「影が……あの影が……」
「これはやはり……!」
外野の声は収まらず、期待と驚きが交じり合う。
しかし、その喧噪の中で。
ジークフリートの銀の瞳だけは、ただ真剣に、アナスタシア一人を見つめていた。
※誤って公開してしまいましたが、このまま読んでいただけるようにします。
いつもありがとうございます!
そして本日(9月26日)夜21時には、予定通り三作目の番外編を公開します。
1日に2作読んでいただける形になりましたが、楽しんでいただけたら嬉しいです!