タイムリープと怪しい聖女
「クリスティーネ:人間」
文字が一瞬見えた気がした。
クリスティーネが目を開けると、今度は人狼初日。6月1日に戻っていた。
――断罪当日にループするよりはずっとマシね。
教室の床に、モーリスの死体が無残に転がっていた。まるで大型の獣に食べられたように腹部に深い傷があり、血の海が広がっている。
モーリス・ブランカ伯爵令息。モーリスは、このゲームのチュートリアルキャラ、転校生の聖女リリィを攻略キャラ1人ひとりと丁寧に引き合わせてくれる。良い人なのに、決まって5月31日の夜、人狼の最初の犠牲者になる。ゲームクリアのために何度もループした私にとって、彼の死体も見慣れたものだった。
「モーリス。あなたの死、絶対無駄にしないわ。」
転生して経験した、1回目のループ。婚約者レオナルドに断罪され、人狼裁判で処刑された。もう、あんな恐ろしい経験は2度とごめんだ。
――早く人狼を見つけて、さっさとこんなゲーム終わらせてやるわ!
心の中で誓いながら、クリスティーネは周囲を見渡した。
婚約者のレオナルドが、聖女リリィの隣で彼女を気遣うように肩を抱いている。リリィは青ざめた顔で俯き、か弱い花のような雰囲気をピンク色の髪が更に強めていた。
「リリィさん、大丈夫?こんな顔して…可哀想に。」
クリスティーネはわざと優しく声をかけた。本来のクリスティーネなら悪役令嬢らしく、婚約者の隣でイチャつくリリィを叱り飛ばすべきだ。しかし、そんなことをしたら好感度が急降下して処刑ルート一直線だ。処世術として、まずは無難に振る舞う。
リリィを心配して駆け寄ってきたもう1人は、男爵令嬢のマチルダ。リリィの親友という設定だ。
「ありがとう…私、大丈夫だから。」
マチルダに向けて、リリィが儚げに微笑む。その泣きそうな表情に、近衛騎士のヴィクターが頬を赤らめた。
――乙女ゲームの攻略キャラって、こういう演技にすぐ落ちるよね。
プレイヤーがリリィを操作して恋愛を楽しむゲーム設定だから、仕方ないのは分かっているけれど、ついイライラしてしまう。
――そういえば、私、リリィに無視された?
「クリスティーネ、お前も意外と優しい一面があるんだな。」
違和感は一瞬だった。次の瞬間にはレオナルドが、キラキラしたキメ顔で私に話しかけてきた。乙女ゲームあるあるのイケメンムーブだ。
だが、次の瞬間、クリスティーネは凍りついた。レオナルドの隣にいるリリィが、私を鋭く睨みつけてきたのだ。
――リリィが、睨む?嘘でしょ?
聖女である彼女に、そんな攻撃的な仕草はありえない。ゲーム設定上、どんなクズなプレイヤーが操作していても、リリィは清純なヒロインでいないといけないはずなのに…。初回の記憶が頭をよぎる。
――今回も人狼だから?でも、あの態度はそれだけじゃない。
クリスティーネはリリィをじっと見据えた。
リリィが人狼の時だって、聖女リリィは聖女らしく、清いイメージのまま。だからこそ人狼リリィの時の、人を食わねば生きられないという人狼の悲惨さと、運命の人との悲恋が際立つのだ。
――あんなリリィは、リリィじゃない!
きっと、リリィも転生者だ。
前回のループでリリィが最後に放った言葉。
「悪役令嬢は人狼かしら?」
まるで警告みたいに、頭の中であの場面が何度も再生される。どうやら、彼女への恐怖は消えてくれないらしい。
その時、教室の扉がガラリと開き、クリスティーネは身構えた。