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おいしい水

作者: 唐揚げ

 みんなが寝静まった夜、目がパチリと開いた。

 喉が渇いている。

 喉の食道の方が水分を失っていて、粘っこい粘膜でぴっちりとくっついてしまっているのではないかという渇きだ。口の奥の方も渇き、舌と口の上の方がくっついてしまいそうな渇きである。呼吸の一回一回が、鈍く、のそりと布団から抜け出す。

 そして、足早に台所へと向かう。

 ワンルームのアパートはすぐに台所へとアクセスできるのに感謝して、食器棚に片付け忘れていたマグカップに手を伸ばしながら、蛇口の栓をひねる。

 真鍮の蛇口からじゃあーっと水が勢いよく流れ出て、それをマグカップで受け止める。

 マグカップから水が溢れ出すほどに入れて、それからマグカップへと口をつけ、一気に水を飲み干した。


 水が、冷たい水が喉の奥へと入るのを感じる。

 ごくりごくりと喉を鳴らして水を飲み、あっという間に、マグカップは空になった。


 喉が渇く。

 信じられない。今、間違いなく、喉に水が流れたはずだ。それだというのに、いまだに渇いている。

 いいや、違う。

 さっきよりも渇いている。息の一つ吸い込むのですら痛みを感じる。

 また、再びマグカップに水を満たして口をつけて飲み込むも、渇きはそのままである。


 たまらず、流し台の隣にある冷蔵庫の扉を開ける。中にある牛乳を手に取ると、そのまま、口をつけた。牛乳牛乳牛乳牛乳牛乳牛乳と、ごくりと喉の奥へと冷たい牛乳が流れ込んでいく。しかし、ねっとりとした牛乳の粘りが喉の奥にしがみ付いたようで、渇きが癒されることがない。

 慌てて、別のアイスコーヒーのパックを開けて、口をつける。それであっても、喉が潤わない。

 どうなっているのかと慌てて、洗面台へと向かい、電気をつけて鏡に向かって大きく口を開ける。


 口の中には何もない。

 と、一瞬、思った。

 しかし、私は見逃さなかった。喉の奥。舌の向こうにちらりと黒い影が見えた。

 よく見ようと手元に灯りを持ち、奥を照らす。

 眼が見えた。

 血走った目だ。


 乾いた喉は悲鳴を出せない。

 ただ、乾いた空気を吐き出すだけだ。


 喉の奥に何かがいる。

 それは、明らかに、常識の範囲内にはない出来事だ。きっと、この異常な渇きはそれが原因であるのは間違いない。そうは思って、原因がわかってはいても、どう対応すればいい。幽霊ならば塩と、戸棚を開けて塩を一掴み口に放り込んで飲み込むが、塩辛いだけでなんともならない。

 口の中を再び、覗き込むも、変わらず、目があり、それと目線があった。

 どうすればいいのか。

 仏教徒でもないので、生半可なうろ覚えの念仏でも唱えてみればいいのかと思ったものの、そもそも、唱えようにも喉から声がでないので、唱えようがない。


 ぱっと思いついた。

 近所に、湧き水で有名な神社があった。そこの湧き水は、霊験あらたかな水であり、夜中も取りに行くことができると聞いたことがある。急いでつっかけを履き、転がり出るように家を出て行く。夏の始まりを感じさせるぬるっとした熱の空気を受けながら、急ぎ足に神社へと向かった。

 神社は、住宅街の中にぽんといきなり現れた。

 周囲を石垣と檜に囲まれたその神社は、外からでも社が見えた。

 鳥居を駆け抜けるようにくぐって、神社の境内に入ると、手水舎が目に入る。


 のまないでください。


 と、手書きの張り紙を無視して、その手水舎の前に膝をついて口をつけた。

 

 ごくり、と水が喉に、胃に、通っていく。

 それは今までの液体とは異なり、体の隅々まで入り込んでいくような、浸透していくような感覚があった。

 湧き水を配るための蛇口が目に入ると、そちらへと体を引きずるように移り、蛇口の栓を開けた。

 身体中で浴びるように水を浴び、飲み込む。

 渇きが満たされている。

 あらかた、自分が満足するころに、蛇口の栓を閉じて、ふうっと濡れた顔を手で拭った。

 随分と落ち着いて、冷静に周りを見渡すことが出来る。

 夜の神社。人気も何もない。

 そこに神聖な空気はなく、どこか不気味だ。せめて、賽銭でもと本殿に目を向けた。

 ぞっと怖気がしてきた。

 神社の境内に、ぽつりとぼんやりとした一つの黒い影が見えたからだ。自分は近眼ではあるが、それとは異なるほどの輪郭のぼやけ具合で、かつ、真っ黒い。熊かと思ったが、熊の目撃なんて聞いたこともない。

 声をかけたとき、はっと思いついた。

 もしかして、ここにおびき寄せるための渇きだったのか。いや、神社は神聖な場所だ。

 そんな邪な思惑はないはずだ。


「お、おいしいお水、でした」


 曖昧にするために、そう声をかけるだけだった。

 人影は、何も、動かなかった。

 いいや、違う。

 人影にある目は、鏡の中、喉の奥に見えた、あの目だった。

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