慣れない生活
貴族とは、優雅にお茶を飲んで、畑仕事や水仕事もなくて。きっと楽しいことばかりの生活。
そんなはずがなかった。何もすることがない。退屈すぎて。
今までとは全く違う環境。慣れなかったし、慣れようとも思わなかった。
いつか追い出される。きっと、1年以内に。
この秘密が知られてしまえば、追い出されないはずはないのだから。
だから、豪華な食事なんてほとんど手を付けず、衣服も地味なものを最低限だけ使うことにした。
それでも、立派な部屋を与えられ、豪華なドレスを与えられ、たくさんの優しいメイドたちまで与えられて。
歓迎されていると錯覚してしまいそうになる。
どうして自分がこんな環境におかれているのか。歓迎されているのか否か。
いつしかそう考えるようになっていた。
「お嬢様、お食事をお持ちしました」
メイドたちが部屋まで食事を運んでくれる。
本来、昼食や夕食は家族で取る決まりらしいが、あの息の詰まる食事会はイヤだと、オリビアは部屋から出ないことを選んだ。
しかし、部屋にいるからといって食欲が出ることはなく。ぐったりと横になったまま一日を過ごす。
「さ、食べられるだけでもお召し上がりください」
たくさんの料理を前にするだけで、気分が悪い。しかし、それは誰にも言えず。
スープを一口と、野菜を数口。これだけで精一杯。
「下げてください……」
そう告げて、なかば倒れるようにベッドに横になった。
「お嬢様……お加減が悪いのですか?公爵様にお話して、お医者様をお呼びいたしましょうか?」
「大丈夫、です」
そう答えながら、その声には覇気がなかった。
「お嬢様、本日はお顔の色もよろしいようですし、お庭をお散歩されてはいかがですか?」
メイドのひとり、クララがそう言いだした。
「お散歩……」
「はい。公爵家のお庭はとてもすばらしくて……、王宮の庭園よりも素敵、なんていう話もあるんですよ」
この鬱々とした日々の気分転換になるだろうか。
「わかりました」
そう考えて、オリビアは庭園に出てみることにした。
長い廊下を歩き、少しそれて、庭園の方へ。
すると、庭園の中にメイドたちの姿を見つけた。
その中央にいるのは、なんとなく見覚えのある少女。
「……やっぱり、帰ります」
慌てて踵を返そうとした時、
「あ!」
明るい声が聞こえた。
「オリビアお姉さま!」
ハッと振り返った彼女の目に映ったのは。グレースと名乗った12歳の公女の姿だった。
「お会いできてうれしいです!今日はご気分がよろしいのですか?」
「……ぇ……」
どう答えるのが正解か。年齢なんて関係ない。身分が違いすぎる。
「……あ、の……えっと……」
「あ、そうだわ。薔薇のお花はお好きですか?」
そばにいたメイドの手から薔薇の花を一輪取り、それを差し出してくる。
ふわりと香ったきつい匂いに、思わず顔を背ける。
「あ……お花の匂い、お嫌いですか?」
違う。そんなはずはない。家畜の世話をする中で、野花を摘んで遊んだ記憶だってある。薔薇なんて高級な花に慣れないだけだ。
「いえ、その……」
答え方がわからない。戸惑っていると
「あ、アンドリュー兄様」
グレースの視線が、オリビアの後ろへ動いた。
オリビアが振り返れば、ヒラヒラと手を振りながら歩み寄ってくる小公爵の姿が。慌てて端に避ける。
「今日は天気がいいね。花たちも、いつも以上に綺麗に咲いているみたいだ」
「オリビアお姉さまが出てきてくださったのですよ。わたくし、うれしくて。ついお喋りしてしまいましたわ」
「グレースのお喋りは長いから大変だろう。オリビア、無理はせずにね」
小公爵から微笑みを向けられ、オリビアは反応に困る。
「あの……わたし……」
もう帰りたい。こんな場所、いつまでもいたくない。いつ暴言や暴力が飛んでくるか、不安で仕方がないのだ。
その時、視界がぐらりと歪んだ。
「……っ」
思わずその場に座り込む。
「オリビア!」
「お姉さま?」
慌てて2人が手を差し出してきた。
「大丈夫ですか?」
「疲れたのかな。部屋に戻った方がいいだろう」
「だい、じょうぶ……です……」
なんとかそう言いながら立ち上がろうとした時。ぐっとお腹の中をえぐるような感覚を覚えた。とっさに口元を抑え、再び座り込んでしまう。
「……随分疲れてるみたいだね。抱えるよ」
「あ……」
その様子を見たアンドリューが、軽々とオリビアを抱えあげる。
「オルコット先生を呼んで」
「かしこまりました」
アンドリューの指示を受けて、そばにいた使用人が離れていく。
「アンドリュー兄様、お姉さまはどうかされたのですか?お医者様なんて、どうして……」
医者、と言われて、オリビアはハッとした。
病気やケガを治してくれる人、という認識のみ。その治療費は膨大で、裕福でなければ縁遠い人。
「わ、わたし、大丈夫です。医者なんて……」
治療費を払えるほどのお金なんて、自分に使うのはもったいない。
「食事も十分じゃないって聞いているし、念のためだよ。何もなければそれでいい」
しかし、小公爵に優しくさとされてしまった。
自室のベッドに寝かされたオリビアは、医者が来るまで大人しくしているようにと、小公爵に見守られていた。
「あの、わたし、本当に……」
「わかってる。僕にも大丈夫だって安心させてほしいんだ」
何度言っても、断れない。さらには
「公爵様がいらっしゃいました」
公爵の来訪を告げられた。
「父上」
小公爵が立ち上がって父に向き直る。
「倒れたと聞いた」
「めまいのようでしたので、念のため医者を呼びました。すぐに来てくれるそうです」
あの一瞬で、オリビアの症状を見破り、医者を呼ぶという判断をできるのがすごいと思う。
そんな息子の言葉に、公爵は頷くこともなく、ただオリビアを見た。
「わたし……大丈夫、です。ちょっとたちくらみがしただけで……」
ベッドの上からオリビアはそう訴える。それを聞いて、公爵はふいっと視線を逸らした。
やっぱり、私生児を良く思っていないらしい。
それなら早く追い出してほしい。身を守れるお金さえもらえれば、すぐにでも出て行くのに。
少し寂しく思っていると、
「ドクター・オルコットがいらっしゃいました」
ついに医者が来たらしい。
「オリビア、ゆっくり横になっていて。診察してもらおうね」
小公爵に寝かされ、オリビアは戸惑いながら扉の方を見る。
しわしわの白衣姿に、ボサボサの髪。そして不衛生な無精髭。田舎によくいた近所のおじさんのような懐かしさを覚える。
「……相変わらずだな」
「へいへい。兄上も相変わらずお堅そうで」
公爵の呆れたような声に、医者はあっけらかんと答えた。
「オルコット先生、よろしくお願いします」
小公爵が医者を呼び寄せ、ベッドのそばを開ける。
「……ふぅん」
その視線に、なんとなく不快感を覚えた。
「ちゃんと診ろ」
「はいはい」
公爵の声が聞こえ、医者は肩をすくめてみせる。
「じゃ、お嬢様。いくつか質問していきますよ」
「は、い」
オリビアが戸惑う中、診察は始まった。
ただ聞かれたことに正直に答えるだけ。これだけで、本当に病気がわかるのだろうか。
そう疑問に思いながら、オリビアは答えられる範囲で答え続けた。
「……んー……」
オリビアの返答をメモしていた紙をじっと見て、医者は考え込んだ。
「オルコット先生?」
「……いや。とりあえず、スキャンもします」
小公爵の疑問にも答えず、医者は立ち上がる。
メイドたちがオリビアの身体を覆っていた布団たちを取り払った。
「そのまま横になっていてくださいね」
なにが始まるのだろう。オリビアは何もわからないまま、黙って指示に従う。
医者がオリビアの身体にそうように両手をかざす。その手がじわりと光を放ち、それに呼応するように、オリビアの身体にも熱がこもった。
「……うん」
そのまま何の異変もなく、光が弱まり、医者は手をかざすのをやめた。
そして、その視線が、真っ直ぐにオリビアに向かう。
それは、まるですべてを見透かしているようで。オリビアは思わず目を逸らした。
「……わかっているな?」
優しい声だった。責めてはいない。しかし、それはどこか叱られるようで。
「自分自身の体の変化だ。気づかなかったはずがない」
医者とは、ここまでわかるものなのか。今まで誰一人として気づかれることはなかったのに。
違和感を覚えた瞬間に、彼女を昔からよく知る人々が多い村を飛び出してきたからだが。
「オルコット先生、どういうことですか?」
小公爵が尋ねる。医者がすっと視線をそちらへ向けた。