終章 二人の夢(二)
次第に温かさが増し、桜の花も満開を迎えたころ、志乃と花奏の生活には、少しの変化が訪れていた。
「志乃、寒くはないか?」
縁側でぼんやりと桜が散るさまを眺めていた志乃に、花奏がそっと羽織をかけてくれる。
「旦那様。ありがとうございます」
志乃は羽織をきゅっと握り締めると、隣に腰かける花奏の横顔を見上げた。
最近の花奏は、心配しすぎだと思うほど、志乃の体調を気にかけ優しく労わってくれる。
「これでは先が思いやられますなぁ」
五木の呆れる声を聞きつつも、志乃はそんな花奏がますます愛しくてたまらなかった。
志乃がじっと花奏を見つめていると、風に吹かれた花びらが、ひらひらと舞いながら花奏の髪に止まる。
「まぁ、旦那様の髪に……」
志乃は短く切りそろえられた花奏の髪に手を伸ばすと、薄桃色の花びらをそっと指でつまんだ。
「旦那様のお側が、居心地がよかったのですね」
くすりと肩を揺らした志乃に、花奏は嬉しそうにほほ笑む。
二人の間を柔らかな春の風が吹きぬけ、志乃の指先から花びらを再び空へと舞わせた。
ゆらゆらと風に吹かれ、今度は庭先の池に落ちる花びらを目で追いながら、小さく息をついた志乃は、ふいに花奏に顔を覗き込まれ、はっと顔を上げる。
「何か心配事でもあるのか?」
意図せず息をついたのが、花奏に聞こえてしまったようだ。
「いえ、そんなことは……」
慌てて首を振る志乃に、花奏がぐっと顔を寄せる。
「ここ最近、時折志乃が考え込むような様子を見せているのが、気になっていたのだ。何か不安な事があるなら、言って欲しい。もしや身体のことか?」
眉を下げながら志乃の手にそっと触れる花奏に、志乃は「違うのです」と、大きく首を横に振った。
「心も身体も、旦那様に見守られて、私は本当に幸せです。不安は一切ありません」
「では、どうしたというのだ?」
首を傾げる花奏に、志乃はそっと仏間を振り返る。
「なぜだか最近、毎朝、仏壇に火を灯す度に、ふと考えてしまうのです。今日もどこかで、身寄りもなく一人で生涯を閉じる方がおられるのではないかと……」
志乃の言葉に、花奏は静かにうなずくと深く息を吐いた。
「そうだな……。ついこの前、療養所に行った時も、病に罹る者の数は増加の一途をたどっていると聞いた」
花奏の重い声に、志乃は眉を寄せた顔を上げる。
「あの、何か私にも出来ることはないのでしょうか? 旦那様が皆に手を差し伸べたように、私にも何か……」
志乃は花奏の腕を掴むと、少し興奮したような声を上げる。
「志乃」
花奏は志乃を落ち着かせるように、優しく顔を覗き込ませた。
「お前は本当に心優しい。志乃が感じているもどかしさは、俺にも十分わかる」
「旦那様……」
「でも今は、志乃の身体が一番大切な時期だということは、忘れないでいて欲しい」
花奏の言葉に、志乃ははっとすると、そっとお腹に手を当てる。
花奏は志乃の手に自分の手を重ねると、優しくほほ笑んだ。
「俺に一つ、考えがあるのだ」
「考え……ですか?」
「志乃の想いを形にするため、今回は俺にも一役買わせてはくれまいか」
志乃を真似たように話す花奏に、志乃は思わずくすくすと笑いだしてしまう。
「まぁ、旦那様ったら。でも、どのようなお考えなのですか?」
首を傾げる志乃に、花奏はにっこりとほほ笑んだのだ。