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第三十八話 風がはこんだ奇跡(二)

 平打ちのかんざしは、表と裏の両面に菊の細工がいくつも施されたもので、真ん中に三つ大きな菊が配置され、それを取り囲むように金色と銀色の小さな菊が丸く表現されたものだ。


 とても繊細で細かい装飾は、見ているだけでため息が漏れるほど。


「本当に、良いのでしょうか……?」


 志乃がうっとりとした顔を上げると、花奏はにっこりとほほ笑む。


「当たり前だ。俺は、志乃のその顔が見たかったのだからな」


「え? 私の顔ですか?」


 花奏の声に、志乃は慌てて自分の頬に手をやった。


 すると花奏が、そっと志乃の手に重ねるように触れる。



「志乃は本当に幸せそうな顔をする。見る度にころころと変わって、それが面白いのだ」


「まぁ、旦那様ったら」


 わざと志乃がぷっと頬を膨らませると、声を上げて笑った花奏が、そっと志乃の手からかんざしを持ち上げた。


「どれ、俺がつけてやろう」


「……はい」


 志乃は恥じらうように、頬を染めてうなずくと、そっと横を向く。


 花奏の節ばった長い指が、志乃の後ろ髪に触れる感覚が伝わった。



 ――あぁ、鼓動がどきどきとしてしまうわ……。



 今まで、こんなにも自分の髪に意識を集中したことなどあっただろうか。



「これで、どうだ?」


 すると、かんざしをつけ終えた花奏が手を離し、志乃の顔を覗き込む。


「ありがとう存じます……」


 志乃がほほ笑みながら、花奏を見上げた瞬間。


 凪いでいた海から山の方へと、突然強い風が吹き込んできた。



「きゃ」


 志乃は思わず小さく悲鳴を上げ、花奏の腕に縋りつく。


 花奏は志乃を守るように、ぐっと身体を引き寄せた。


 強い風はしばらく二人の辺りを回っていたが、やがて静かに流れるように去っていった。



「もう大丈夫だ」


 花奏の声に、固く閉じていた目をそうっと開けた志乃は、急に後ろ髪に刺激を感じて慌てて手をやった。


 先ほど花奏につけてもらったかんざしに、何かが引っかかったような気がしたのだ。


 すると志乃は、手に触れたものに慌てて声を出す。



「大変です。旦那様の御髪(おぐし)が……」


 どうも風に舞った花奏の長い髪が、志乃のかんざしに絡んでしまったようなのだ。


 志乃は再び手を後ろに回すと、見えないまま、かんざしから花奏の髪を外そうとする。


 でも花奏の細くしなやかな髪は、余計に絡んでしまい外すことができない。



「志乃、慌てるな。大事(だいじ)ない」


 すると花奏が落ち着いた声を出し、志乃の手をそっと下におろす。


「外れるでしょうか?」


 志乃が声を出した瞬間、花奏はかんざしに絡んだ自分の髪を、手でぷちんと切った。


 志乃ははっと息を止める。


「旦那……様……?」



 香織が亡くなってから、一度も切っていないという花奏の髪。


 “懺悔(ざんげ)(あかし)”となっていたその髪を、今花奏が己の手で切ったのだ。



「旦那様……」


 志乃はもう一度そう呼びかけると、溢れ出す涙をこぼしながら、花奏の顔を見上げる。


 花奏はしばし呆然としたように自分の手を見つめていたが、手のひらに残る切れた髪をぐっと握り締めると、潤んだ瞳を志乃に向けた。



「あぁ、そうだ。志乃にもう一つ頼みがあったな」


「はい……」


「俺の髪を、志乃に切ってもらいたいのだ。もう俺には、この髪は必要ない」


 花奏の声は涙で震えている。


 志乃は溢れる涙をそのままに、ぎゅっと瞳を閉じてから再び花奏を見上げた。



「はい、もちろんです……旦那様」


 噛みしめるように声を出す志乃の手を、花奏がしっかりと握り締める。


 手に手を取り合い、お互いを愛しいまなざしで見つめ合う二人を、穏やかな夕暮れは、いつまでもいつまでも、包み込むように照らし続けた。


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