第三十六話 二人きりの外出(一)
松の内もすぎ、ようやく皆が日常を取り戻した頃、志乃は花奏とともに商店が多く集まる、港近くの街まで来ていた。
今日は志乃の実家へ、花奏と二人で訪ねることになっている。
元々は正月の挨拶がてら訪ねる予定だったが、エドワードの一件があり、時期を逃していたのだ。
はじめ志乃は、花奏に出向いてもらうだけで充分だと思っていた。
でも花奏が、母や妹たちに土産物でも買っていってはどうかと提案してくれ、実家に行く前に、久しぶりに賑やかな通りへと立ち寄ったのだ。
活気のある声が飛び交う街は、久しぶりにワクワクと心が弾む。
いくつかの店先を覗き込み、足取りも軽く歩いていた志乃は、どこからか甘い香りが漂って来たのを感じて、ふと足を止めた。
匂いの先を辿るように見上げた暖簾の奥では、職人がお菓子を焼いているのが見える。
「まぁ、きんつばだわ」
志乃は思わず声を上げると、奥を覗き込むように、つま先立ちになりながら首を伸ばした。
熱い鉄板の上でジュウジュウと薄い焼き色をつけたきんつばは、とても上品で、周囲にほんのりと甘い香りを漂わせている。
「きんつばは、母の大好物なのです」
少し興奮したように顔を上げる志乃に、花奏はにっこりとほほ笑んだ。
「それはよい。ではこれを土産にしたら、母上も喜ぶであろう」
花奏の声に瞳を輝かせた志乃だったが、多くの人が並ぶ列を見て途端に尻込みする。
「でも、あんなに行列が……。これでは、旦那様をお待たせしてしまいます」
落ち込んだように志乃がうつむくと、花奏は大きく首を横に振った。
「何を言っておる。せっかくなのだから、買っていけばよい。俺は近くの店でも見て待っておるから、志乃は気にせずに求めてくればよい」
花奏の声に志乃はパッと笑顔を咲かせると「はい」と元気に返事をする。
「では旦那様、少し行ってまいります」
志乃は満面の笑みでそう言うと、きんつばを求める人で賑わう店先に小走りで向かった。
◆
志乃の弾むような背中を見送った花奏は、ゆっくりと街の中を巡る。
このように穏やかな気持ちで、街中を歩くのは何年ぶりだろう。
「すべて、志乃のおかげだな……」
そうつぶやいた花奏は、ふとよく見覚えのある暖簾を見つけて足を止めた。
藍色に染められ、真ん中に白い家紋を表した暖簾をしばらく見つめていた花奏は、何かを思いついたように自分にうなずく。
「あぁ、そうだな……」
花奏は小さくつぶやくと、ゆっくりと店へと足を向けた。
すると店先の掃き掃除をするために、暖簾をくぐって現れた小僧と目が合ってしまう。
小僧は花奏の顔を見つけるなり「いらっしゃいまし!」と、飛び跳ねながら大きな声を出すと、慌てて暖簾の奥に引っ込んだ。
花奏が不思議そうに見ていると、今度は恭しく手をこねながら、良く見知った顔の番頭が現れた。
「これはこれは、斎宮司様。ようこそおいでで。ここはお寒うございますから、どうぞどうぞ、中へお入りください」
番頭は手際よく花奏を店の中へと案内すると、すぐ小僧に「女将を呼んでおくれ」と声をかける。




