第四話 突然の嫁入り(一)
「私がお嫁に……?」
志乃は息をのむと、目の前に座る背の曲がった初老の男性を見つめる。
五木と名乗った男性は、志乃の差し出した湯飲みを持ち上げると、ズッと茶をすすった。
「はい。お母上はもう了承されていると聞いております」
五木はそう言うと、深い皺の入った目をさらに細める。
志乃ははっと、母が休んでいる隣の部屋の襖を見つめた。
母は眠っているのか、物音一つ聞こえない。
「で、でも、今私が家を出たら、この家はどうなるのですか……? 母の看病は、妹たちの世話は誰が……」
「そこはご安心ください。嫁入りと言っても、奉公のようなもの。いつでもご実家に帰っていただいて構いません。こちらとしては家の中の事をやっていただきたいのです。その代わりに、お母上の療養にかかる費用、そのほかの生活費、必要なものは全てこちらで用意いたします」
「そんな……そんなうまい話があるわけ……」
眉間に皺を寄せた志乃に、五木はフォッフォッフォッと怪しげな笑みを浮かべると、再びズッと音を立てて茶をすする。
なんともいかがわしい話だ。
志乃は不信感に満ちた瞳を五木に向ける。
「では、お相手のことをお聞かせください。お相手はどなたなのですか!?」
志乃はちゃぶ台に握った拳をのせると、少々強気で身を乗り出した。
志乃の声に五木はぴたりと手を止めると、静かに湯飲みをちゃぶ台に戻す。
「ほお。それをお聞きになった場合、志乃様もこの縁談にご納得いただけたものと承知いたしますが、よろしいですかな?」
「……え?」
五木の今までとは違う、射るような眼差しに、志乃は一瞬で身がすくんでしまう。
名前を聞いたが最後、この話から逃れることはできないとでもいうのか?
すると酷く動揺する志乃の耳に、襖の奥から母の声が聞こえてきた。
「志乃……よくお聞きなさい」
「お母さん……?」
「母はこの話を聞いた時、救われた思いがしましたよ。これで私の身に何かあっても、安心して逝けると……。華や藤のためにも、お嫁に行ってはくれませぬか?」
母の絞り出すようなかすれた声に、五木は再び目を細めている。
志乃はそれ以上、何も言うことができなくなってしまった。
「それではまた五日後にこちらに参ります。お返事はその時にお聞かせください」
玄関先まで送りに出た志乃に、五木は恭しく頭を下げると、そのまま引き戸に手をかけて静かに戸を開く。
――どうしたら良いの……。
志乃はその小柄な五木の、丸い背中をぼんやりと見つめていた。
「そうそう」
すると五木がふと声を出す。
五木は振り返ると、怪訝な顔をする志乃に、にっこりとほほ笑んだ。
「志乃様にだけ、特別に教えて差し上げましょう。お母上はご存じありません」
「何をですか?」
「旦那様が、街の人々から、なんと呼ばれているかです」
「なんと呼ばれているか……?」
五木は細めた目をさらに細くすると、口元を怪しく引き上げた。
「旦那様は、よく“死神”と呼ばれております」
「死……神……?」
「では志乃様、ごきげんよう」
五木は、息をのみ動けなくなった志乃に頭を下げると、フォッフォッフォッという笑い声と共に、そのまま消えるようにいなくなった。