第二十九話 通った想い(一)
走り出した車の窓から顔を出すと、志乃は振り返って何度も手を振る。
谷崎と唯子は、志乃たちを乗せた車が門を出るまで、ずっと手を振っていてくれた。
「今日はとても楽しくて幸せな日でした。旦那様が迎えに来てくださったことが、一番嬉しかったですが……」
車が海沿いを走り出した頃、志乃は小さく口を開くと、花奏の顔を見上げる。
そして恥じらうように、またすぐに顔を下に向けた。
さっきから花奏は、ずっと志乃の顔を見つめている。
花奏に見つめられた頬が、熱を持ったようにじりじりとした。
――今日の旦那様はどうされたのかしら……。いつもより、とても瞳がお優しい……。
このまま花奏に見つめられていたら、ここで溶けてしまいそうだ。
ドキドキとした鼓動の音が、外にまで聞こえてしまうのではと心配した志乃は、恥ずかしさを取り繕うように、脇に置いた箱を見ながら声を出した。
「あの、今日は、唯子ちゃんに誘われて、ケーキを焼いていたのです」
「ケーキ?」
花奏が小さく首を傾げている。
「はい。クリスマスプディングと呼ぶそうです」
「ほお」
「西欧ではこの時期にクリスマスのお祝いをして、家族で食卓を囲むのが習わしだとか。とても時間がかかったのですが、旦那様と五木さんに召し上がっていただきたくて、頑張って作りました……」
頬を赤らめる志乃に、花奏は少し驚いたように目を丸くしている。
「家族か……」
花奏がそうつぶやき、志乃は小さく首を傾げた。
「旦那様? どうかされましたか?」
「いいや……。それで運転手を先に帰したのか」
花奏は優しく首を横に振ると、話を戻すように志乃の顔を覗き込む。
「そうなのです。谷崎様が、帰りが遅くなる旨を、旦那様に手紙を書いてくださるとおっしゃられて……。運転手さんに託したのですが、ご覧になられましたか?」
花奏は志乃の話に「あぁ」と相槌をうつ。
「谷崎殿からの手紙は、ちゃんと読んでおる」
「あぁ、良かったです」
花奏の声に、志乃はほっとしてほほ笑んだ。
花奏が雪の中、志乃を迎えに来たことが気になっていたが、ちゃんと手紙は読んでいたようだ。
――ではどうして、旦那様は谷崎様のお屋敷まで、迎えに来られたのかしら? それも傘もささずに……。
志乃が小さく首を傾げた時、膝に置いていた志乃の手を、花奏がそっと握った。
志乃は「きゃっ」と悲鳴を上げると、飛び上がって花奏を見つめる。
花奏は志乃の反応はそのままに、志乃の手を両手で包み込むと、そっと自分の唇に当てた。
「だ、旦那様……!?」
志乃は悲鳴にも似た声を上げる。
花奏がこんなことをするなんて、未だかつてないことだ。
志乃は今にものぼせて倒れてしまいそうになりながら、真っ赤な顔を花奏に向ける。
「志乃、俺はやっと気がついたのだ」
すると花奏が、志乃を愛おしそうに見つめながら口を開いた。
「志乃を失うことほど、今の俺を苦しめるものはないのだと」
「え……」
志乃は目を見開くと、吸い込まれそうなほど深い、花奏の瞳の奥を見つめる。




