第三話 風がはこんだ音色(二)
斎宮司 花奏は、ガタクリと鳴る音と振動を感じながら中折れ帽を外すと、開いた窓から吹き込む風に小さく目を細めた。
風は花奏の後ろで一つに括った長い髪を、もてあそぶかのように揺らしている。
蒸し暑くなってきたこの時期の潮風は、爽やかで心地よく、今年もこの季節がやってきたのだと気づかされる。
それでも今花奏の心は、幾分か乱されているのは確かだ。
今日、なぜ運転手がいつもと違う道を通り、あの家の前で一旦停車したのか、箏の音を聞いた時にはっきりとわかった。
「田所だな……」
花奏は小さく声を出すと、ため息をつく。
趣のある庭が見事な屋敷の前で自動車が止まった時、花奏は小さく首を傾げた。
その瞬間、風にのって聞こえてきた箏の音に、はっと顔を上げた花奏の瞳は揺れていたと思う。
すぐに周囲を見渡した花奏は、庭の奥の障子が開け放たれた部屋で、視線をピタリと止めた。
箏は、あの少女が奏でたものか。
聞きなじんだ曲と、なめらかな指使いで紡ぎ出される音色。
目の前のまだ幼さの残る少女の姿が、在りし日の面影に重なったことに、花奏は少なからず動揺した。
――あの少女、どこかで見たことがあるような……。
記憶を辿った花奏は、つい先日、やはり今日と同じように動揺した日の事を思い出す。
目の前で転びそうになった少女を助けたが、その少女が持っていたのは箏の譜面だった。
それを見た瞬間、花奏はひどく心が掴まれる思いがした。
その少女が今、目線の先で箏を弾いている。
自動車が再びガタクリと音を立てて動き出し、花奏は静かに目を閉じると、自分に言い聞かせるように繰り返す。
今まで何人も見送ってきた。
それでも、心は浮かばれなかったではないか、と。
――いや、違うか……。
花奏は窓の外に目をやると、再び心の中で繰り返す。
“浮かばれては、いけないのだ”と。